プリキュア見習い、その後
一年くらい前に書いたnoteを読み返した。
そうだ、わたしはプリキュア見習いだった!!
夜行バスで移動できるだけの体力は無くなったし、相変わらず今年も五月病に悩まされた。帰省して家族に会うと、それまでわたしの心を守ってくれてた堤防が決壊する!!(大好きすぎて安心するので!!)
再びフォワードを固めるには時間がかかるから、GWのような短い休暇で帰省するのはよくないんだと気づいた。
一年前のわたしが悲鳴を上げながらもフランス語を勉強してくれたおかげで、今はフランスのプロヴァンス地方にいる。夏休み期間だけの滞在だけど、充分この土地の魅力を感じることができた!!
もっと大人になって、自分のお金でまたここに来れたら、すごく感動するだろうな。
一年前とはずいぶん状況が変わった。勉強が楽しくなって、宗教学が好きになった。日本で、さまざまな形で信仰をしている人に会った。彼らはわたしに、忘れられない言葉をたくさんくれた。一言で言い切ることができないような、複雑な問題との出会いがあった。(それはわたしが「問題」として認識しただけであって、誰かはそれを「自然」として受け止めている。学問することを言い訳に「問題」を作り出すことの暴力性を忘れてはいけない!!)
「わたしにできること」を考えてみたけど、わたしがメッセージを発したとして、それを補強してくれる「立場」も「実績」も持ってないからどうにもならないと気づいた。
そんなとき、高校時代の部活の合宿にお手伝いとして参加して、研究者数人のトークセッションを聞いた。「博士」というきらきらの言葉を、丁寧に味わった。
学問を究めて「博士」になれば、「研究者」になれば、わたしが発するメッセージは一定の根拠と影響力を持って伝わる!??????
だったらそうするか〜と思って、その研究者の方がタクシーに乗り込むのを見送りながら、隣にいた友達に
「博士って響き、かっこいいからわたしもなるね」
と言った。間髪入れずに大きな声で「は?」って返されたのを覚えてる。
その日の夜、ホテルの部屋で「金髪ギャル宗教学博士」「ギャル金髪宗教学博士」「宗教学博士金髪ギャル」「ギャル宗教学博士金髪」みたいな感じで将来の肩書きを想像して、めっちゃ良くない?と思った。
わたしはメディアが宗教関連のニュースを過激かつ俗的に取り上げるのがほんとうに好ましくないと思っているので、その日みた夢はわたしが専門家として「ひるおび」に出て、正しくニュースを解説するという内容だった。(とても気が早い)
秋から本格的に宗教学の勉強と研究を始めたんだけど、今はとても取り組みがいのあるテーマと出会えて、研究がすごく楽しい。励みになるアドバイスをくれたり、こんな大人になりたいと思えるような先生方と出会えたこともほんとうによかった。
勉強と並行して、ゆるゆると続けているのが詩を書くこと。
夢を持って、毎日頑張っていても、心の底には絶望感が停滞していて。
勉強して、たくさん考えても、中学の時に感じたそれの正体が明解になっていくだけじゃんって思うことがある。
高校生のときは、「そんなわたしが世界、変えてえ〜〜〜〜!」と思って活動していたけど、だんだん、無理じゃね???ってわかってきて。すっごく悲しくていっぱい泣いた。
わたしと同じタイミングで「世界変えるの無理じゃね」って思った友達が結構いて、「無理だったね」って言い合った。区切りをつけて、社会人として働き出した子もいれば、わたしみたいに漂い続けて、まだ生死とか愛とか痛みとか、ぐるぐる考えてる子もいる。
わたしたちはみんな、プリキュアになりたかった。
みんなで大きな夢の話をして、「ウチらならできるかもしれない」って思うあの熱気がめっちゃ好きだった。
「現実見ろよ」って言ってくる大人は全員敵で、わたしは柔らかな「ほんとう」のまま大人になれる世界を作りたかった。
誰かに言いたいこと、まだまだたくさんあるけど、何者でもないわたしの話は誰も聞いてくれないし興味がない!!
「今は『何を言うか』じゃない、『誰が言うか』が大事なんだ!!」ってツイートが流れてきて。わたしは「こんな世界 サ終しようで ばいばーい」とかなしい即席俳句を下書きに保存して、またちょっと泣いた。
わたしはわたしのでたらめな散文を愛してるけど、それを詩に、作品にしていきたいと思う。それで何かになれるかはわかんないけど、生死とか愛とか痛みとかぐるぐる考え続けて、何も残さないまま間違って死んじゃうのは嫌だし。
あなたに具体的な処方ができなくて、悪者を退治することもできなくて、ほんとにごめん。
いまわたしができることは、学んで、考えて、書くことだけだ。ごめん。
プロヴァンス地方はとても晴れの日が多くて、夜9時くらいまで明るくて、わたしはときどきちょっと苦しくなる。
先週末、サン=レミという地域に行った。ヴァン・ゴッホが精神療養のため入院していた病院を訪ねるためだ。
ゴッホはこの病院に一年間滞在し、150もの作品を残した。しかし、退院から2ヶ月後に自殺を図る。
闘病中のゴッホがどんな景色を見ていたのかすっごく興味が湧いた。
これはただのお風呂じゃなく、興奮した患者を湯の入った浴槽に押し込み、蓋をして閉じ込めて落ち着かせるという用途で使われていたそう。
ゴッホが弟・テオに向けて書いた手紙の中にこのような文章があった。
わたしは中学3年生のとき精神病棟にいた。そこにはやさしい人がたくさんいて、天国みたいな場所だったって記憶してる。
お互いがお互いの狂気に触れないよう気をつけながら、毎日ふわふわした話ばかりしてた。
でも毎日、誰かが狂気に飲まれて癇癪を起こして、部屋に鍵をかけられる。開けてくれと叫び続ける友達の声を聞いてわたしはどう感じていたのか、今はもう思い出せない。ただ、あそこで初めて、自分以外の狂気を目にしたことが、わたしの心をずいぶん軽くしてくれたことは覚えていて。
この街を巡りながら、ゴッホと自分を重ねていろんなことを考えた。
それからゴッホのこと大好きになっちゃって、読めもしないのにフランス語版「ゴッホの日記」を購入した!!
いつかオランダのゴッホ美術館にも行ってみたいな。(2026年の大ゴッホ展もとても楽しみ….!)
フランス生活は残り二週間。そのあとは院試に向けて、一年くらいガチめに勉強をすることになる。(できるだけ楽しみたいです^_^)
結局わたしは諦めが悪いから、ぜんぶ抱えてやってくしかない気がする。
「まだまだ未熟な自分もまるっと愛したいね。アイドル育成ゲーム的なノリで。」