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2019/05/03 「日本の『共犯者たち』は誰だ?−権力とマスコミ」 日韓ジャーナリズムの差について考える

・世界報道自由デーを記念したシンポジウム。韓国映画『共犯者たち』が上映された。
・主催のワセダクロニクルは、早稲田大学ジャーナリズム研究所を拠点とする非営利の調査報道メディア。シリーズ「買われた記事」やシリーズ「強制不妊」などを掲載。
・会場は東京ウィメンズプラザ。当日は246席が満席になった。

韓国で2017年8月に公開された『共犯者たち』は、政治権力のメディア介入とそれに立ち向かう人々の闘いを追った作品。観客動員数26万人を超え、ドキュメンタリーとしては異例のヒットとなった。政治色の強い映画(しかもドキュメンタリー)が一般市民に受け入れられ、支持されたということに正直驚いた。日本でこういった骨太な映画を作ろうとすると、さまざまな弊害があると思う。

本作は、日本でも2018年12月にポレポレ東中野ほか全国のミニシアターで公開された。前々から情報はキャッチしていたものの、時間が取れず観に行けないまま上映が終了。近所で後追い上映されるのを待っていたときに、偶然Twitterで今回のワセクロのシンポジウムを知り、映画観たさに足を運んでみた。

■映画『共犯者たち』で知る現代韓国のジャーナリズム

映画は、李明博〜朴槿恵政権にかけての約9年間、公共放送KBSと公営放送MBCへの権力による言論弾圧の描写から始まる。最初のターゲットとなったKBSは、調査報道班の解体、社長の解任、監査院の導入などが行われ、あっという間に支配されていく。

劇中には韓国の社名や番組名、メディア名などが頻出し、馴染みのない言葉たちに最初は話についていくので精一杯だった。しかし、だんだんと全体像がつかめるようになると、不思議なことにこれが他国の話だとは思えなくなる。権力による隠蔽、印象操作、もみ消し工作。いずれも日本の報道現場でも行われていることだ。

韓国に関するニュースの中でも特に2014年に起きた「セウォル号沈没事件」は、日本でも大きく取り上げられた。事故発生時、当時の朴槿恵政権が救助措置を怠り、修学旅行中の高校生らを含む304人が死亡・行方不明になる大惨事となった。このときKBSやMBCは「全員救助」の誤報を流し、政府寄りの報道を続けて、世間から激しく非難される。セウォル号沈没事件は単なる事故ではなく、背景には非正規雇用者による判断ミスや、政府による救助活動の不手際を隠蔽するための報道規制など、韓国の社会問題を多く含む。劇中では、沈みゆくセウォル号を前に、何もできず泣き叫ぶ市民の姿がとらえられていた。「なんで助けないの?」という叫び声に胸が締め付けられる。

9年間ですっかり崩壊したマスメディアに対して、正しいジャーナリズムを求める市民の反発は激化し、放送局員たちはストライキを決行。ジャーナリストと市民たちが連帯して、自らの手でマスメディアを取り戻していく。

映画のフライヤーに「日本のマスコミが報じなかった隣国のジャーナリストたちの闘い」と書かれているように、一連の運動について日本のマスメディアではほとんど報道されていない。劇中、不当解雇に対してMBC労組委員長が「この歴史を恐れてください」という印象的なセリフを残すが、日本では「この歴史」を知ることすらできなかったのだ。

■「良いジャーナリズムとはなんなのか」 社会学者 チョン・スヨンさん

上映後のシンポジウムでは、はじめに社会学者の鄭寿泳(チョン・スヨン)さんが登壇し、映画の背景について語った。チョンさんは、市民の立場からメディアを監視する市民団体「民主市民言論連合」の政策委員を務めている。

国境なき記者団(RSF)が発表した2019年版「世界報道の自由度ランキング」(180の国と地域が対象)で、韓国はアジアで最も高い41位にランクインしている。李明博政権になった2008年から2009年にかけて69位まで下がり、2010年に42位まで浮上したものの下降を続け、2016年に70位まで下落。その後、現在まで続く文在寅政権に変わった2017年に63位、2018年に43位と、近年は順位を上げてきている。

この動きについてチョンさんは、2013年に始動した「ニュース打破(タパ)」の存在が大きかった、と話す。ニュース打破は、KBCやMBSを解雇されたり、自主退職したりしたジャーナリストが作ったオルタナティブメディアで、調査報道を専門としている。『共犯者たち』の監督、チェ・スンホさんは、ニュース打破の立ち上げメンバーの一人だ。彼らが注目されるきっかけになったのが、先述の「セウォル号沈没事件」。「セウォル号が沈んで、韓国のジャーナリズムも沈没した」と嘆く声が世間に広がる中、マスメディアが取り上げない情報を発信するニュース打破を支援し始める市民が続々と現れたのだという。

トークの終わりに、チョンさんは「良いジャーナリズムとはなんなのか? 良いジャーナリズムは誰が作れるのか?」という問いを会場に投げかけた。

■「ジャーナリストとしてのアイデンティティの確立」 元KBS記者 イ・ジンソンさん

次に登壇したのは、元KBS記者の李 鎭成(イ・ジンソン)さん。イさんは、2009年にKBSの社長が解任され、政府から送り込まれた人物が新社長に就任する際の抵抗運動に参加。その姿が映画のワンシーンにもとらえられている。

イさんは第一声に「この5年間に韓国で起きた恥ずべき話をしなくてはなりません」と言い、当時の様子について語った。セウォル号沈没事件の誤報に到るまでの経緯、朴槿恵政権が弾劾されるきっかけとなった2016年の崔順実ゲートの初期報道から市民団体による「言論銃弾記者会見」までの流れ、そして2017年9月4日から142日間続いた言論労働組合によるKBS本部のストライキ、同年12月5日〜15日まで行われたKBS労組メンバー550人による24時間リレー発言。イさんは、これらの運動を「ジャーナリストとしてのアイデンティティの確立だった」と振り返る。

抵抗運動の後、イさんは「KBS真実と未来委員会」のメンバーとして、KBSを取り巻いた過去の問題について調査を行なっている。主な調査案件は以下(資料より一部抜粋)。

・朴槿恵・崔順実ゲートの手抜き報道
・KBS版ブラックリスト
・外部寄稿した記者に対する不当な人事
・ラジオ番組における特定人物の出演排除 等

「“기레기(キレギ)”という恥ずかしいあだ名からどう抜け出すかが大事。自ら生まれ変わろうとしないなら、ジャーナリズムを破壊した記者と同じだと思う」と、イさんは語気を強めた。キレギとは、기자(記者)と쓰레기(ゴミ)の合成語で、日本では“マスゴミ”と同じ意味だ。

■「日本と韓国のジャーナリズムの違いとは」 パネルディスカッション

続くパネルディスカッションでは、チョンさん、イさんとともに、元朝日新聞社員で現在はワセダクロニクルとして活動する渡辺周さんと木村英昭さんが登壇した。

司会の渡辺さんの挨拶から始まった。

「映画を観て『なんで日本と韓国はこんなに違うんだろう』と疑問を抱いた方も多いんじゃないかと思います。たとえばニュース打破のようなメディアが、日本で市民からの支持を得られるのか。皆さんで考えていきましょう」

『共犯者たち』を観る前から言論民主化に向けた韓国の熱気には羨望を感じていたが、渡辺さんが言うとおり鑑賞後はその想いがより一層強まった。なぜ韓国のジャーナリストは抵抗することができたのだろうか?

その答えについて、イさんは「私たちの行動に対して市民が支持してくれるという信頼があるからです。私たちは借りをたくさん作っていると思う。その借りを返すまでは、皆さんの信頼を裏切る行為はできない」と話す。

一方、日本のマスコミ業界に対して、木村さんは福島第一原子力発電所事故の吉田調書をめぐる報道に触れながら、以下のように語った。

「吉田調書を読んでもいないのに嘘だと言う記者がいる。反対意見が出ているにも関わらず調べもしない。日本のマスコミは、本当にジャーナリズムを担う当事者なのか? という問いを改めて考える機会になりました。なぜ皆さん、マスコミはジャーナリズムの担い手であると思い込んでいるのでしょうか? そうではないんじゃないか? 僕らは勘違いしているかもしれません」

また、情報の受け手である市民も、日本と韓国とでは違いがあるという。ジャーナリストたちを支援した韓国市民について、チョンさんは以下のように述べた。

「韓国では、過去に権力による弾圧がありました。『言論報道の自由を成すための当事者は、ジャーナリストであり、自分たちである』という意識が市民の中にあるんじゃないかと思います」

韓国には、かつて軍事独裁政権下で市民たちがさまざまな人権侵害や抑圧を受けてきた歴史がある。光州民主化運動、6月民主抗争などは有名だ(映画『タクシー運転手』と『1987 ある闘いの真実』を観てほしい)。自分たちの力で民主化を勝ち取ったという事実が韓国の人々を奮い立たせているのだという。

そんな中、日本人はジャーナリズムへの意識が低いのかというと決してそうではない、と渡辺さんは語る。

「近年“マスゴミ”という言葉が浸透しました。そこまで言うのはどうかと思うけど、そういう批判の目はここ数年急速にできてきていると思います。今日も、このシンポジウムに日本の観客が来るんだろうかと心配していましたが、あっという間にチケットが完売しました。マグマみたいにふつふつと溜まってきている想いが、日本でも出てきている。僕らは、朝日新聞の中で数十年働いてきて、記者としての教育も受けて、記事もたくさん書いてきました。辞めてみて、マスコミに対する市民の不満が溜まっているのを感じます」

渡辺さんの言葉を受けて、木村さんは「“マスゴミ”って批判はセンセーショナルだけど、それに変わるものを私たちジャーナリストと市民は持ち得るのか? マグマをひしひしと感じつつ、その受け皿を作り得ているのか? 当事者はジャーナリストと市民です。市民もアクターであり、担い手であるという認識が重要です」と話した。

白熱する議論の中、あっという間に時間は過ぎ、質疑応答へ。もっとも印象に残ったのは最後の質問だ。

Q.日本でジャーナリストが市民の支持を得るためには何が必要でしょうか?

登壇者が順番に意見を述べ、最後にイさんが穏やかな表情で以下のように話した。

「この質問の答えは、ここにいる皆さんが知っているのではないでしょうか? 記者が自ら行動しなければ市民は支持することができません。同時に、市民の支援がなければ記者も動くことができません。共に進んでいくということです。韓国のニュース打破の場合、設立されてしばらくは誰も知らない状態が続きました。しかし、一滴の水が川となるように、繰り返し頑張ってきて反応が見られるようになったのです。一度熱くなると、そう簡単には冷めないのが市民たちの気持ちじゃないでしょうか」

■「無関心は権力に加担する」 シンポジウムを通して見えた課題

今回のシンポジウムでは、熱量が高い議論を聞くことができてとても勉強になった。繰り返すが、やっぱり韓国社会にみなぎる強いパワーは心底羨ましく思う。

一点、シンポジウムで触れられなかったことで気になったのが、無関心層の市民をどう変えていくかについてだった。私の周囲には「否定も肯定もせず黙ってしまう無関心な人」が多く、同じく社会問題に関心がある友人に聞くと、同様の状況であるケースは珍しくない。日常的に時事問題について話しづらい空気を感じて躊躇してしまうこともしばしばである。知らないことは全く悪いことではないし、大抵の物事は全てを正確に理解するのは難しい。でもそれを理由に、無関心でいることや行動を起こさないことは権力への加担に繋がると思う。

無関心層を減らさない限り、日韓のジャーナリズムの差は開き続けるだろう。言論の自由を守るために闘った韓国の人々から私たちが学ぶことはとても多い。「共犯者」を生まないために、この考えを共有できる仲間が一人でも増えることを願って行動していきたい。

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