見出し画像

TODAY IS A GOOD DAY TO DIE (今日は死ぬのにいい日だ)

サンフランシスコを拠点に世界を飛び回って、経歴もやってることもちょっと変わってるので、ブログを書いたらどうかと何人かに勧められてきて、今やっと書いてみようと思った。教師時代には、毎日生徒にぶつぶつと思うことを話していたが、今になっても彼らが思わぬことを覚えていることに勇気付けられた。人様に読んでもらうほどのことはない内容だと思うけれど、自分の日記として、受け取りたい人へのメッセージとして、あまり壮大な計画を立てずに書いてみようと思う。

なぜnoteかという質問の答えは、1. 今回日本語で書いてみようと思ったので日本発のプロダクトがいいんじゃないかと思った。  2. デザインがシンプル。 あとこれは今現在特にの話ですが、3. Mediumとかに英語で書くと世界中の同業界の人たちに変に期待されるから。 もちろん今仕事とプライベート関係なく生活の一部になっているイーサリアムと、そのチームやコミュニティのこともきっと書くと思うけれど、基本的に日々思うことをくだらないことも含めて書きたい。

そのブログの一回目のタイトルが Today is a good day to die (今日は死ぬのにいい日だ)。開始の日にこんなタイトルとはなんてことだと思われるかもしれないが、これが私の中ではぴったりな言葉。

教師時代、自分の離任式の日に体育館で1000人くらいの高校生を前に話したのが "Today is a good day to die” の話だった。

これは私がアメリカへ交換留学生として行った時の経験と繋がっている。留学先がアリゾナだったこともあり、当時なぜかやたら惹かれたのがNative American(アメリカ先住民)のアートや生活、そして何よりもそのスピリット(精神)。

Native Americanについてはまた、どこかで書きたいと思うけれど、彼らの言う Mother Earth「母なる大地」と同じく、そこはかとなく大きくて強い精神。民族にもよるけれど、特に私の好きだったHopi族は、穏やかで平和主義(Hopi とはpeaceful people という意味)。押し付けでなく、受け入れる文化。コロンブスがアメリカ大陸を発見してからの彼らの歴史は、もちろん穏やかどころではなかった。しかし彼らは自然と人間の関係を広く大きく受けとめていたので、私たちが普通不幸だと思う出来事や死というものに対する考え方が違う。そんなアメリカ先住民のことを描いた詩人 Nancy Woodの詩のタイトルも”Today is a very good day to die”。知ってる人も多いかもしれないが、以下が原文とその訳。

Today is a very good day to die.
Every living thing is in harmony with me.
Every voice sings a chorus within me.
All beauty has come to rest in my eyes.
All bad thoughts have departed from me.
Today is a very good day to die.

My land is peaceful around me.
My fields have been turned for the last time.
My house is filled with laughter.
My children have come home.
Yes, today is a very good day to die.

(日本語訳)
今日は死ぬのにとてもいい日だ
生きもの全てが私と調和している
全ての声が私と一緒に歌っている
全ての美が私の目の中で休んでいる
悪い考えは全て消えていった

今日は死ぬのにとてもいい日だ
周りの大地は私を穏やかに取り囲み
畑には最後の鍬を入れられた
家は笑いに満ちている
子供達も帰ってきた
そう、今日は死ぬのにとてもいい日だ

もちろん詩なので、どう受け取ってもいい。私が生徒達に話したのは、「だから死んでしまおう」ということではなく、ここでの「死」とはいかに「生きる」かということ。そしてこの詩の中に隠れているとても温かい力強い精神。

「全ての生物が私と調和して、周辺の大地も平和で、悪い気持ちは全て離れていき、家は笑いで満たされている」

この日常の小さな幸せの中で穏やかな平和を感じる瞬間に、最高の生き方をしているという自信があるから、だからこそ「今日が死ぬのに最高の日だ」と思える。

果たして、私たちは今日そう思える生き方をしているだろうか。

情報や物に溢れる今日、アメリカ先住民達に比べて、自然の声を聞いたり、自分にとって何が幸せかを感じる余裕がない。それは生徒達だけではなく、そこにいた他の教師、学校というもの、そして自分自身への問いかけだった。

あれから随分時間が経った。未だに自分は「今日が死ぬのにいい日だ」という所にはまだほど遠いと思うが、少しずつ自分にとっての幸せというものを敏感に感じられるようになってきた。先日ふと、そう思うきっかけがあったので、こういうことを書いてもいいなと思った。

公私を通じてたくさんの素晴らしい人に出会い、出会った人達のお陰で素敵な機会にも恵まれている。自分の好きなものとそうでないものもはっきりしてきて、好きな人たちや好きなことに囲まれていると、本当に幸せと感じる瞬間がある。Today is a good day to die と本当に思える時まで、近いのか遠いのかわからないけど、少しでも近づいて行ければいいなと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?