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【妄想小説】ライドシェアの未来とストロボの過去

ライドシェアが日本の法律で可決され、普通免許を取得する者は第2種免許が無くてもタクシーや運転代行の職につけるようになった。
自家用車を持つ人は、これまでの個人タクシーのようにそれらをメインの仕事としてやるというよりも、副業としてスキマ時間にやる人が多くなった。

そんな私も現在、副業としてタクシー運転代行の仕事をしている。
これといって運転に自信があるわけでもないのになぜやるのか?
それは至って単純な理由で、近所にいるお年寄りや子育て世代の「足」になることで、自分も社会貢献している気になれるし、何よりも「ありがとう」と言われるのが気持ちいいからだ。まぁ、完全にボランティアでやるとなると、やって貰ってあたり前的な図々しい人が増えるので、副業としてきちんとした報酬を貰う事は対価だと思っている。


「よし、18時までの時間をポチっとな」

パートの仕事が早めに終わったので夕飯の支度まではまだ時間がある。私はスマホのライドシェアアプリを起動し、ボタン一つでスキマ時間を設定した。

ピピピ

すぐに依頼の通知音が鳴った。相変わらず早い。
私のような中年女性で、ゴールド免許、年齢や顔写真、運転歴に特に問題が無いドライバーは依頼が比較的多く来る。しかも私の家は、医療モールと呼ばれているクリニックの集合体の近くにあるから、そこからすぐに送迎できるというのは、かなりの立地的メリットであった。

今回の依頼内容は「○○駅から自宅までの送迎+軽荷物運び」と書いてある。依頼主の自宅は私の家からさほど遠くない距離で、荷物運びまでやったとしても夕飯の支度までは余裕で戻ってこれる。
私はすぐさま「OK」を示すボタンをタップした。

行ってらっしゃい

毎回このドスの効いたタップ音はどうにかならないのかと思うが仕方ない。
私はかれこれ10年目になる愛車プリウスのアクセルを踏み込み発車させた。

アプリで指定された場所に着くと大きなダンボール箱を2つ抱えた、小柄で痩せ型の初老男性が立っていた。見た目は50代後半といった所か。

どこかで見た事があるような

私は到着するや否や車のトランクを開けて、男性に荷物を中に入れるよう促した。それにしても、この大きな荷物を私に運べというのか。やれやれ

ライドシェアはアプリ内で全てが完結しているので余計なおしゃべりを必要としない。私は男性に無言であいさつをして車を走らせ、目的地のマンションに到着するまでの15分間は、男性もまた無言だった。到着後、いつもならここでキャッシュレス決済をして終わるのだが私にはまだ軽作業が残っている。
私はトランクを開けて、
「どちらまで運べばよろしいでしょうか?」
と尋ねると、男性がやっと声を発した。
「504号室まで運んで欲しい。一緒に行くから。」
「はい、わかりました」
そして、男性が504号室のドアを開けようとした時にチラリと表札を見た。

見覚えのある珍しい苗字

もしかしてと思って顔を見た瞬間、

「久しぶり。車、プリウスにしたんだね」

脳内に光がピカッピカッと突き抜けるような感覚に陥り、思わず運んでいる荷物を落としそうになった。慌てて男性の顔を見ると、遠い記憶の中の顔とは違う、温和な笑顔がそこにあった。

「今日はまだ時間ある?入ってお茶でも飲んでいきなよ」

記憶がフラッシュバックのように思い出された。
この笑顔は「最初のあの時」と同じだと感じた。



男と初めて会ったのは、私が23歳になる歳の春だった。
場所はほぼ真っ暗闇の空間で、タバコの煙が漂い、ストロボと呼ばれるカメラのフラッシュのような光と、70年代の音楽が切れ間なく爆音で流れる六本木のクラブだった。まるで水族館にいるイワシの大軍のような男女が、狭い店内をぶつかり合いながら、それぞれ酒を飲み、踊り、酔いしれていた。
そんな中、フロアのど真ん中を陣取って大きく派手に踊る男たちの一人に声をかけたのは、紛れもなく私からだった。その日の私は、テキーラを何杯飲んだかわからないほど酔っ払っていた。

気付いた時には男の腕に自分の腕を絡めてクラブの外に出ていた。携帯番号の交換をして、次に会うことを約束して、それからは日に何度も何度も甘ったるい電話を交わして、クラブで会ってから1週間も経たずに、もう私は男の家に向かって車を走らせていた。
そして、春の夕焼けの光が差し込む男の部屋で「お前、俺の女にならない?」と言われて、私は「うん」と頷いていた。

「車、プリウスに変えたんだ。昔家に来た時はゴルフに乗ってたよな。初めて見た時は、すげー生意気な女が来たと思ったよ」

「懐かしいね」

「そうだな」

「今思うと、クラブ遊びも楽しかったね」

「そういえば、お前まだレコード回してんの?」

「まさか」

懐かしい話をポツリポツリとしていたが、昔からこの男とはそんなに会話を必要としなかった。音楽とお酒と男と女、そこに2人だけになれる空間があれば、それだけで十分だった。

「ごめん、着替えていい?」

突然目の前で、男は着ていたシャツを脱ぎ出した。小柄ながら鍛え上げられた肉体は昔と変わらないが、かつて腕と胸にあったものが痛々しい感じで無くなっていた。

「タトゥー、消したんだね」

「まぁ、俺も色々あったからね」

「そう」

25年も経った今更、それまで男に何があったかはあえて聞かない。ただ、目の前にいる男はあの頃とは違い、ずっと笑顔のままだったから、きっと今はあの頃よりも幸せなのだろう。

「そういえば、マフィンあるけど食べる?知り合いから貰ったんだよ、無添加のマフィン。更にこの無添加のはちみつを付けると美味いんだよ」

いつの間にオーガニックおじさんになってしまったのかと思ったが、そりゃ25年も経てばオーガニックおじさんにもなるだろう。まぁ、なんでもいいか。

私はオーガニックおじさんにすすめられるまま、無添加のはちみつを塗って無添加のマフィンを食べた。中に栗は入っていなかったから粘り気もなく美味しく食べられた。


「今日は久しぶりに会えて嬉しかった。無添加マフィンもごちそうさま。この辺で失礼するね」

時間を見ると17時を過ぎていた。もう帰らなければならない。私は挨拶をして帰ろうとすると、男が私に向かって手招きをしてきた。

こっちにおいで

そう、この男はいつもこうして私を呼び寄せていた。自分から近寄ることは絶対にしなくて、いつもその手で私を近くに呼び寄せていた。

あの頃と同じように、男が手招きをする

私はまるでその手に導かれるように、吸い込まれるように、その手に呼び寄せられる。
爆音とストロボと、夕焼けの光と、その手。

だけど…

あの頃、その手で何回私を呼び寄せ、そして何回殴っただろう。

何回その手を私に向かって振り上げただろう。

鬼の形相で、暴言を吐きながら、罵倒して、何度も何度も殴ったことを覚えている。
お前のせいだ、お前のせいだ
と言いながら。

私は男に殴られる度に、クラブのストロボのようなパチッパチッとした光が見えていた。



おかえりなさい

突然、スマホからドスのような音が聞こえてきた。それはライドシェアアプリに設定した通知音だった。そろそろ帰って夕飯の支度をしなければならない。
そうだ、私は今、中学生の娘と寡黙な夫がいる一家の主婦だ。こんなところで、笑顔おじさんと無添加マフィンを食べながら、過去に浸ってる場合じゃない。

「ご利用ありがとうございました」

私は男の部屋を後にして、プリウスのアクセルを踏み込んだ。











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