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娘を愛せなかった私。私を愛してくれた夫。

娘と初めて顔を合わせた時、あんまり嬉しくなかった。

きれいな顔だな。きれいな肌だな。大きな目をしているな。

でも、あんまりそばにいたくないな。

(やだ、一人にさせてよ。近づかないで)

そう思った。

ひどい親だと思う。我ながら。

私は母親だ。娘を産んだ、当の本人だ。

お腹の中で10か月くらい育てて、難産の末帝王切開で産んだ娘の、母親だ。


なんで愛せないんだろう?

愛せないなんてレベルじゃなくて、何というかこう、親近感がない。

他人のような感じ。家族とは思えない。

「悩むのは子どもを愛しているから。子どもを愛していない親は悩まない」

という言葉は、慰めにはならなかった。

私は娘のために悩んでいたというよりは、自分のために悩んでいたからだ。

子育てがつらいから悩んでいた。

虐待は何とかしないでいられたが、娘の世話をしていると心がどんどん空っぽになっていくようだった。


そんな気持ちになったことが悲しくて仕方なくて、子どものために頑張るどころの騒ぎではなかった。


娘を産んだことは、私の人生の中で3番目に大きな事件だった。

1番目は、高校生の時に、統合失調症という重い精神病を患い、強制入院(文字通り強制的に入院させられる)を経験したこと。

2番目は、統合失調症を抱えたまま現在の夫に出会い、トントン拍子で結婚してしまったこと。

結婚できたことが嬉しすぎた。

夫はずっと子どもが欲しくてたまらなかった人だった。私が夫の子どもを産むことで、恩返しすると決めた。

夫と出会って結婚し、妊娠してから、統合失調症は完治していた。

もう、精神科には通院していない。妊娠中の通院を最後に、もう通わなくてよいことになっていた。


愛情が全くわかない状態からスタートした私の育児は、よく言われる「しんどいけど可愛い」の後半「可愛い」が全く無くて、娘より私の方がよく泣いていた気がする。

はっきり言ってしまえば、夫の方がよほど愛おしかった。私を守って支えてくれ、心に寄り添ってくれる人だからだ。

私のことを愛して大切にしてくれる人を愛おしく思うのは当然だと思った。子どもは親を大切にしてくれない。まるで奴隷のように扱ってくる。

そして私は夫の笑顔が好きで好きで、どうしようもなかった。笑ってくれると、生きてて良かったと思う。

こういう思いを我が子に対して持てたなら、子育ては「つらいけど可愛いから頑張れる」って思えるんだろうな。ぼんやりと想像していた。

私は夫が大好きで、夫の笑顔を見るとそれだけで、全ての不幸が消え去って幸せで満たされるような思いがした。


産後は実の母親が泊まり込みで育児と家事をサポートしてくれたが、10分も話していれば喧嘩が始まり、1時間いれば大喧嘩といったありさまだった。

母親との関係が悪いことにようやく気付いたのだ。娘が産まれるまで気づかなかった。

私は独身の頃から母とはよく喧嘩していたが、「子育てはきっとすごく大変なのだろう、だからこんな扱いをされるのは仕方ないんだろう」と思って耐えているところがあった。

しかし自分が子どもを持ってみたら、可愛くないし愛情も全く感じないし面倒で嫌で仕方ないが、「私の母ほどにひどいことは、とてもできない」と気付いた。

産まれたばかりの娘がいる側で、納得がいかない思いが溢れてきて言い合いになり、激しい喧嘩になった。どうして、どうして、どうして、あんな目に合わなくてはならなかったのか…!!!そう思ってたまらなくなり、母と私はお互いに強く罵り合った。

望まない進路の強制。充分に与えられなかった食事。ゴミ屋敷のような実家。

過去の確執がパンドラの箱を空けたかのようにあふれだしていた。

娘にも申し訳ないが、私もどん底だった。


そんな私を、夫はよく抱いてくれた。キスをして抱きしめてくれ、愛し合っていた。

産後一か月は控えましょうと聞いていたが、

本番に至らなければ構わないことを産院の看護師に確認しておいた。それほど夫を欲していた。

ある晩、抱き合った後に夫に愚痴った。

「なんで私は子どもを愛せないのかな。どうして全然可愛くないのかな」

夫は少しだけ考えた。そして話しはじめた。

「あやみはさぁ、愛情にゆとりがないんだよ。

僕はさ、親に愛されてきたし、やりたいことをやってきたし、たくさん与えられてきたから愛情にゆとりがある。

だからあやみのことも愛してるし、子どもにも愛情を感じる。愛情がたくさん余ってるんだよ。

あやみは愛情にゆとりがないんだよ。愛されてきた量が足りないんだ。

だから、僕があやみに無償の愛を与えるよ。

あやみの心に愛情のゆとりができるように、僕があやみのことを愛するよ」


あれから、もう3年だ。

夫は私の悩みを聞き、ベビーシッターと家事代行を頼み、洗濯乾燥機を買い、ブラーバを買い、食洗機をまわし、娘を連れて出かけてくれた。そして夜はよく抱き合った。

娘は3歳になった。幼稚園に元気に通っている。

娘はよく笑い、歌い、お店ではうるさい。自由奔放すぎる性格で、自己主張は強い。

幼稚園に行けるようになると、けっこう楽になった。1人の時間が定期的にとれる。

そして、娘に説明して納得すれば、言うことを聞いてくれることも増えた。

何とか、何とか、ここまで来ることができた。

夫が私に愛情を注いでくれたから、ここまで来れた。

たくさんたくさん、お金と時間と労力をかけてくれた。そしてたくさん抱いてくれた。

「あやみに無償の愛を与えるよ」

私にそんなことを言ってくれたのは、夫だけだ。

私は苦しくなったらその言葉を思い出す。その度に、夫が好きで仕方ない思いを噛み締める。

ありがとう。

もう、産後ほど苦しくない。楽しい日もたくさんある。娘が可愛く思える時もある。

嫌いな食べ物を「あんまり」と言って拒否する言い方なんか、私にそっくりだ。私を真似ている。

歌が好きなところもそっくりだ。

方向音痴は似なくて良かった。私なんかより、よっぽど道を分かっている。そこは夫に似てくれた。

私の母性を育ててくれた夫に、ありがとうと言いたい。

けれど、もう恩返しを頑張るのはやめている。

私と結婚してくれたのが嬉しすぎて、子どもが欲しい夫のために、恩返しで産んだら苦労したからだ。

恩返しをやめても、私が笑顔で楽しく生きてる方が、夫も楽しそうだ。

もう恩返しはやめて、一緒に楽しく生きることにした。

少しずつ話せるようになってきた娘も一緒に、3人家族で楽しく生きる。










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