ワーホリ後/サバイバル制作会社ライフ
映画のディレクターとしてエンドロールにのることが夢でした。
カナダワーホリから帰国後、イベント誘導スタッフのバイトをする中で、2週間舞台チケット手伝いのバイトをしたことがきっかけで制作会社に入ります。
制作会社での、信じられないハードワーク、なんとかサバイブした経験を綴りたいと思います。今、ADを目指している方や制作に携わりたいと思っている方に少しでもサバイブしてもらえるようにと思っております。ですが、無理はしないでください。私は心身ともに壊れる前に、業界を離れました。めちゃ楽しかったけどね。
制作会社や舞台もの、映像もの、イベントもの、様々なので参考にならないかもしれなですが、サバイブ術だけはお伝えできると思います笑
カナダワーホリ帰国後イベントバイト
帰国後、ワーホリ民はもれなく苦労するという話を聞きます。面接でワーホリしてましたと言っても、遊んできたんだと思われるのがほとんどです。ワーキングホリデーですからね、ホリデーついちゃってるもん。でも、人によってワーホリで得た知見や根性はどこに行っても通用します。てゆか、ワーホリというほぼ選ばない道を選んでいる時点で評価すべきと個人的には思っています。
無職ですので、単発バイトを始めました。
なんで帰国したかって、イベント制作に携わりたいって思って帰国してるんだから、と思い、商業施設でよくある駆け出しアイドルイベントの誘導から始めました。
こういうバイトに来ているのは、劇団に所属している役者さんとかがいたりします。ここでは本当にいろんな人と出会い、様々な価値観に出会いました。
オタクが多いです。オタクはすごいです。極めてますからね、バイトでも極めています。1イベントでまあまあなお小遣いです。楽しいです。
そうこうしているうちに、今度は、きちんとした劇場での舞台チケット売り場手伝いというバイトが回ってきました。
2週間連続同じところに通って、チケットのお姉さんについて手伝いをします。
これが結構楽しかった。
舞台には関係者という人たちが見にきます。
いろんな制作会社やタレント会社の社員や偉い人たちがきます。
舞台裏にはもちろん、私が目指している制作会社というジャンルの会社に勤めている人たちがいます。
そう、目の前に私がなりたい職業の人たちがいたのです。
制作会社に自らアタック
このチャンスは逃せない、友人が背中を押してくれ、舞台裏に連れて行ってくれました。
制作に興味があるのですが・・・・とドキドキしながら言ってみたところ・・・
後日話を聞いてもらうために、食事へ行くことに。
この辺が、制作会社って感じ笑
別に普通の食事ですが、今までどんなことをしていたとか、コミュニケーションの取り方とかを見ていたのでしょう。
1本舞台やるからその制作進行やってみるかと言われ、バイトとして採用。
2ヶ月くらいで貰えるのはわずかな収入。
大卒月収に遥かに満たない額です。それでも私は、この世界で生きていくんだ!見習いだ!お金もらえるだけありがたいと思い、喜んで働き始めました。
私がいたのは、家族経営の小さな制作会社。主に舞台をやっています。
大手制作会社にいたプロデューサーが独立して作った会社です。
初めに自分の上司になったのは、私を採用した役者の人。この人役者だったんだ。
役者の人がなぜ制作会社にいるのか訳がわかりませんでしたが、その頃の私には関係ありません。
その役者さんが主催する舞台ということだったからかもしれません。
あ、こいつは俺の舞台の手伝いに使える、とか思ったのかもしれませんね。
制作進行という仕事
私の制作進行人生がスタートしました。
お前は制作進行だと言われ、なんやそれADとかかっこいい名前じゃないのかと素人の私は思いました。笑
いや、笑い事ではないです。大変な人生の始まり笑
有名な俳優さんは誰一人いません。後から知りましたが、私の上司は殺陣師もやっている人でした。
朝は酒臭いし、職場で二人になるとなぜかハグを求めてきたりする奇想天外なセクハラ親父です。
27連勤
業務は多岐に渡りました。21歳でこんなことしてました。
下記のような業務を繁忙期の8月は4本くらい同時進行。この時は27連勤が最長記録。笑
企画書作成のアシスタント P(プロデューサー)が言うことをメモって形にする
スタッフ決めアシスタント Pが衣装や、ヘアメイク、照明、大道具、舞台監督、演出家を依頼する
キャスティング Pがタレント事務所に声をかける 宣材写真を整理しつつ事務所の連絡先や担当者と繋がる
記者会見のためのプレスリリース作成、マスコミに発信、返信管理
台本入稿 場合によっては脚本家宅へ走る
チケット入稿 チケ会社へ券面入稿
チラシポスター入稿 Pの指示をデザイナーに伝えて形にして、印刷会社へ渡し納品。各事務所に送る
パンフレット入稿 Pの指示をデザイナーに伝え形にして、印刷会社へ渡し納品。劇場に持ち込む。
稽古場確保
稽古場での演出家補佐 休憩何分で何時から再開ですとかいう 演出家のお茶くむとか、稽古スケジュール貼り出し 他雑務全般
関係者チケットの管理
随時宣伝の際の必要な事務作業
地方公演がある場合は、移動や宿泊場所の確保 飛行機チケット、ホテル、移動のバス確保
各劇場と搬入搬出系の調整 エレベータの大きさなど確認
劇場で、役者が入る前に化粧前を置いたりして楽屋準備
初日から楽日まで劇場に行き、チケット販売補佐と、楽屋裏でのケータリングや差し入れ出し
グッズや販売物を持ち込み、なんなら売り子もやる
千秋楽後の打ち上げ参加がある時もある
年賀状のデザインをPに聞いて、印刷し1000通発送
なんか、書き出してみると悍ましい数だ。
下記は、アパレルカタログ撮影の際の内容。メイン業務ではないので、ほぼ当日のみの絡み。
ロケ場所下見
撮影当日、朝6時にハチ公前のロケバス集合のため、その前に行ってヘアメイク、モデル、スタッフ分のスタバを確保
ロケ場所到着後、荷物搬入
撮影中のモデルさんにお水を差し上げる係
お昼ご飯の受け取りに外出し、両手一杯にご飯を持って早歩き
撮影後、洋服を発送するために宅急便を呼ぶ
といった具合なので、撮影の方がまだ私は楽でしたね。
まじでいろんなことがありました。この時の撮影場所には、オーラが見える方がいて、私のオーラを見てもらったところ、透明と言われました。
それってオーラないってこと?って思ったけど、キラキラしてるって感じと言われたから、透明感があるってことにしておきました。笑
上記のような仕事をしながら、なんか企画書書いてこいと言われる笑
そういう世界なんですよね。やりたくてやりたくて、仕方ない、俺にやらせろ!そういう人が生きていく業界です。
だから、ここを出て普通の会社員になるとかは向かない、もうここでしか生きていけないという人が生き残る。
自然の摂理ですよね。
ここに住む人たち
映画のように、ええええっていう人たちがたくさんいました。
私が関わっていたメインのPはこの世界が長い人てゆか当時もう定年したくらいの時だったんじゃないか?
やっぱりこういう業界はエモーショナルな人が多いので、怒鳴ったり、とんでも行動にでたりすることが多かったですね。
この人の奥さんは、経理をしていたのですが、ずっと病んでました。
息子はモンスター息子で、見栄が大きく見ていてうーんと思う家族関係でした。
家族以外の経理の人は、そんな家族関係をありえねー!と怒りながら仕事をし、いつも怒ってましたね。クセつよおじいちゃんおばあちゃんが働いている中に私が、ちょこんと入り込んでいて、パソコンでする全ての仕事をしてました。
今思うとよくやってたなと思うし、そんな中でディレクションのこととか分厚い本を勉強しながら、電車通勤して一生懸命働いていたなあと思います。
誰も助けてくれないし、責任は私一人にある。だからどの人も頼れないし、確認はできるけれど庇ってくれる人も一人もいません。
フリーランス制作事務みたいな感じ。笑
保険制度もないので、国民保険に入ってましたし、給料はまじで安かった。笑
世間知らずにも程がある状態で働いていたので、あのまま行ってたら搾取されるがままになって、最終的には病気になって倒れていたと思います汗
息子Pに聞かれたことは3秒以内に、わかるのかわからないのか、調べるのか答えなければ、どっちなんだよと怒鳴られます笑
いきなり電話かかってきて、シャネルのどこ店は何時から営業開始だと聞かれると一瞬でググり、何時ですと答えるとか・・・秘書やん。笑
その人のお母さんに、すごいわねえ・・・かっこいいわ・・・と褒められました。
とにかく自分の周りにいる人の言うネガティブなことには反応しないことです。人に向かうのではなく、事に向かってください。
変な言い方ですが、みんな違う星から来ている、言語が同じだけいいやと思ってください笑 日本語通じる!最高!これはワーホリで得た、言葉が通じれば最強マインドです。
必然的に、ものすごいタスクを朝から晩までこなしまくらなければなりません。計画を立てて進めるというよりも、ギリギリのところをずっと走っていました。
デスクワークのノウハウが一切なく、学生時代のイベント進行管理の経験のみで生きていました。
中でも、パンフレットの一人校正は病みました。
一人で、原稿と印刷物データを見て、何十名ものキャストの名前、写真、誤字脱字をチェックします。
あのパンフの中で、ミスがなかったのは私のおかげだと思います。誇りに思っています笑
当時は社会人経験0でバイトで入社し社員になって、制作デスクになりましたが、2年くらい経つとここはとんでもブラック会社だということが身に染みて、辞めることにしました。
やりきった制作人生
辞める時に、Pが食事に連れて行ってくれました。
少し過去の話。
ある撮影後、私は輸送会社への連絡にとんでもなく手こずり、スタッフさんにかなり迷惑をかけてしまったことがありました。さすがに自分でも、これはありえない。使えない私・・・と落ち込み、上司にすみませんでしたと謝ったところ、「使えない」と一言言われたことがありました。怒りではなく、呆れられている様子でした。
私はその撮影の帰り、泣きながら帰りました。
ものすごく悔しかった。上司に対してではなく、自分に対して。
自分のメイン業務ではないにしても、カメラマンや、P、ヘアメイク、ブランドさん、モデルさんもいる中で全員を待たせに待たせた。
その日私は誓いました。
このPがびっくりするくらいの、実力を身につけてみせる。
あっと言わせてやりたいという思いもありましたが、この人もプロ。
私もプロとして、素晴らしい仕事をやり遂げてみせる。
私のプロ根性見せてやるというような、燃え上がる情熱を持ってボロボロになりながらも一生懸命働きました。
辞める時に、このPが西麻布のものっそい高級な和食に連れて行ってくれました。
そして、別れ際。
ありがとうございました!と伝えると、笑顔で握手をしながら、こう言われました。
「おう、お前が辞めた後、お前みたいないい奴が入ってくれたらいいのに。じゃあな。」
ツンデレかよ!!!まさかそんな言葉がもらえるとは、、、あんなに厳しいこの人が、、、
やった。。。私、本当にこの職場で頑張った。
やりきった!!!と思いました。
どんな理不尽だと思うことがあっても、昨日の自分と向き合って情熱もって挑戦し続けていけば、自分にしかできない大切な宝物ができるんだって思います。
社会人としてのスタートは、すごく激しかったし大変だったけれど、私らしいや。私らしくパッションでぶつかり続けて、今ここまでたどり着いた。そんな自分を褒めてあげたい思いました。
その後は、色々あって今は制作とは違うけどたまにイベントを企画運営したりしています。
やっぱり私はその日、その場に集まった人たちにしか作れないイベントものが大好きです。
人生の中で映像作品にも関わってみたいと思っているので、これから色々挑戦しようと思っています。
最近は、このまま人生終えていくのかなって思っていたら、急に老け込んでしまいました。笑
私の人生はまだまだ残っている!ずっと挑戦し続ける、自分でありたいし、今も今日も明日もあさっても、自分がびっくりするような自分でいたいです。
もっと楽しんでいこう、もっと新しい自分に会いに行きます💛
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