友達の好きな人を好きになってしまったこと

大学一年の頃、
サークル活動を引退した先輩が部室までアルバイトの勧誘に来た。
イベントのアルバイトだったので人手が必要なようだった。

まだアルバイトをしたことがなかったわたしは、
友人の美穂子と共に参加することにした。

美穂子はサークルに勧誘に来た人が気になるようで、

「類さんって言うんだって!かっこよくない??」

と興奮していた。

「バイト中に連絡先聞けば?」

そう答えながら思い返す類さんとやらには、
黒いな、という印象しかなかった。


アルバイトまでの日々に、美穂子からは
 ・いかに類さんがかっこいいか
 ・どうやって連絡先を聞くか
という話ばかりされて、わたしは辟易としていた。

「普通に連絡先聞けば後輩だし教えてくれるでしょ」

そう答えたわたしの脳裏に浮かぶ類さんは
オバマ元大統領に似ているな?という印象だった。

黒くて、スラッと身長が高くて、細め。
顔は…やっぱりオバマしか出てこない。


ところがアルバイトの前日あたりになって。

SNSで繋がっていたサークルのOBと思われるアカウント
「坂下」さんが、その類さんであることが発覚した。

「類さん」は名前しか知らなかったので、
まさか類さんが坂下さんだとは思わず。

その「坂下」さんとは、何度かSNS上でやり取りをしたことがあった。
日本中の自然の美しいところをよく旅している人だった。
ノリが良くて面白くて。

初対面でも気にせずコメントを書けるような、
そしてそのコメントに面白い返信をしてくれるような人だった。

会ってみたいな、サークルのOBならいつか会う機会もあるだろうな、と思っていたのに。

少しだけ胸騒ぎがしたけど、
美穂子の恋を応援しようと思った。



イベントのアルバイト当日。

研修も何もなく放り込まれた先で、
チケットもぎりだったり、お客さんを案内したりしていたが、
慣れない敬語とスーツとヒールの足の痛さに心が折れそうになっていた。

美穂子とは早々にセクションが別になった。
近くにいた初対面の先輩に何もかもを教わりながら、必死で働いていた。
お金を稼ぐって大変だなぁと思った。

永遠とも思われるお客さんの波がやっと途切れた頃、
スーツをきちんと着こなしてインカムをつけた
偉いであろう立場の人が見回りにきた。

類さんだった。

足が長いな、スーツが似合うなぁなどと思っていたら、
わたしに話しかけてきた。

「お疲れ!今日バイト初めてなんだって?」

「あ、はい」

なんだか緊張してきた。

「一番忙しい時間は終わったと思うからもう力抜いて、
 あとはなんかいい感じにやってねー」

ケラケラと笑うその顔を見て、
あぁ、やっぱりあの「坂下」さんなのだなぁ、と
わかっていたのに確信した。


「あのう、わたしSNSで『アヤメ』って名前で……」

「えっ、マジ?あの?
 いつもコメントありがとう!よろしくねー」

類さんは本当に嬉しそうな顔でハイタッチをしてくれた。
触れた手は少しカサついていたけど、温かくて大きかった。

「じゃまた!頑張ってねー」

類さんは笑顔で手を振って、キビキビと去っていった。

自分の方が大変な仕事をしているだろうに、
初バイトの奴がいるらしい!ということで、
わたしを励ますためにわざわざ来たようだった。

これならきっと同じく初バイトである美穂子にも会いに行くのだろう。
そこで美穂子は連絡先を聞くのだろう。

なんだかモヤっとしたものが胸に広がりそうだったが、
気のせいだと思うことにした。


仕事が終わり、日払いの給料を事務所でもらう頃、
美穂子とも合流することができた。

「連絡先は聞けた?」

「もちろん!そのために今日来たんだし」

たくさん話して、連絡先も交換できたのだという。

「良かったねぇ」

そう言いながらわたしも連絡先を聞けば良かったかな、と一瞬思ったが、
聞かなくて正解だったのかも、と思い直した。


帰り道には美穂子からバイト中の類さんのかっこ良かったところなどを延々と聞かされた。

最初に送るメッセージは何が良いかを一緒に考えさせられ、
照れて渋る美穂子をなんとか励まして無事に送信するところまで辿り着いた。
まだ返信も来ていないのに返信の返信まで考えさせられそうになったので、
多少強引に帰宅した。



体を使うアルバイトの後に頭も使って疲れたな——。

そう思いながらぐったりして家に着くとSNSの通知が来ていた。

「坂下」さんからのメッセージだった。

『事務所に誰かポーチを忘れているみたいなんだけど、
 友達のだったりしない?』

添付されていた写真を見ると、美穂子のだった。

『たぶんそれ、友達のです』

『オッケー、部室に置いとくって言っといて!』


そのまま急いで美穂子に電話すると、
自分がポーチを忘れて帰ってきたことにすらまだ気づいていなかった。

「部室に置いておいてくれるんだって!」

誰からの連絡かは、美穂子に伝えなかった。



類さん、美穂子のメッセージに返信するんじゃなくて
わたしに送ってくれたのはなんで?


ちょっとだけそう思ったけど、
体も頭も疲れていたのですぐ眠りに落ちた。



数日後、月が変わって本格的な夏になり、
テスト期間が始まった。
大学に入学して初めてのテストだった。

何をやるべきか、やらないべきか。
迷いに迷って不眠状態だった。

勉強しないなら寝た方がいいと思う。
でも、眠れない。

その夜も何をするわけでもなくSNSをボーッと眺めていると、
「坂下」さん——類さんが新しく投稿していた。
そこにリアクションをするとすぐにメッセージが来た。

『SNS見てないで勉強するか寝ろーw』

あの類さんからのメッセージだったけれど、
不眠でちょっと投げやりになっていたわたしはてきとうに返信をした。

『寝れなくて!』

『じゃあ勉強しなーw』

『集中できなくて!』

『じゃあ俺が差し入れ持って行くよー』


え?類さんが?差し入れを??
わたしに???


混乱してるうちにマンション名を聞かれ、
30分後にはコンビニの袋を持った類さんが我が家に到着していた。


「はいこれ、差し入れー」

栄養ドリンクとパイの実が入っていた。

「ありがとうございます……」

突然の展開についていけなかった。
なぜ類さんが、我が家に。


とりあえず小さなテーブルの上にコップを出して、飲み物を注ぐ。
ロフトベッドが部屋の大半を占めていて狭いので、
壁を背にして二人並んで床に座った。

「何学部なんだっけ?」

「あ、わたしは——」

わたしたちは驚くほどお互いのことを知らなかった。

そりゃそうだった、
サークルが一緒とは言っても引退した先輩と現役の後輩だし、
一度単発のアルバイトが一緒になっただけだった。

SNSでは類さんの投稿にコメントしてはいたものの、
お互いのパーソナルなことについては何も書いていなかった。

「類さんって4年生なんですよね?」

「いや、実は5年。留学しててさ」


類さんはわたしから見て大人だった。
その口から出る話の何もかもが新鮮で。

わたしが話すことに対してもすごく興味深そうに聞いてくれたり、
楽しそうに笑ったり、ツッコミを入れてくれたりする。

類さんが家に来た瞬間はとても緊張していたけれど、
すぐにその緊張は無くなっていた。

こんなに楽しく話すのっていつぶりだろう。
ずっと話していたいと思った。



長々話し込んだあとトイレに立っていた類さんが部屋に帰ってくると、
我に返ったように言った。

「あー、テスト勉強の邪魔するつもりはなかったのに!」

「ほんとですよ!」

二人で笑い合った。
類さんがこの家に来てからの時間で、
一気に冗談を言い合うような仲になれていた。

気づけば2時間近く会話だけをしていたのだった。
日付はとっくに越え、深夜と呼ばれる時間帯になっていた。



「けどね、ベニカちゃんさぁ、
 こんな簡単に男を家に入れない方がいいよ?」

ゆっくりとわたしの隣に座りながら、類さんが言う。
目がいたずらっぽく光っていた。



「えー、でもさすがに好きでもない人は家にあげませんよ」


口から言葉が出てすぐ、失言だと思った。

しまった——。


不眠が続いていたので判断力が鈍っていたのと、
深夜にも及ぶ楽しい会話の後だったのと、
あとは、本音だったのと。


気がつけばわたしの世界は反転し、
類さん越しに自分の部屋の天井を見ていた。


どうしよう、好きになってしまう。


もうとっくに好きになっていたけど、
それでも好きになってはいけないと思った。

インターネット上で、会ったこともないうちから
「坂下」さんに好意を持っていた。

会話が豊富で、冗談が面白くて、いろんな世界を知っていて。
でもそんなにすごい人とわたしが釣り合うとは思えなかった。

だから会いたかったけど、自分から会おうとは思わなかった。

だけど会えてしまったし、
家に入れてしまったし、
今、こうやって唇が重なろうとしている。

坂下さん、いや、類さん、
わたしはあなたのことを好きになってもいいんでしょうか。



いつの間にかはち切れそうになっていた思いが目の端から流れ出た。




その日、美穂子のことは思い出さなかった。







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アヤメベニカ
本を買って読んで語彙を増やしたり、楽しいことをしようと思っています!それでまたネタを増やして記事を書きますね!!!