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<ネタ帳:お>女も惚れる女たち(タイトル/あの頃+たち /本文 2023)

<ネタ帳とは>
2020年3月、自宅の本棚から2001年以前に書かれたと思われる50音のタイトルのリストとそのうちの4つの文章を発見する。2020年中に50音全ての文章の完成を目指したはずが、3年放置され、2023年4月から再びスタート。

今回のお題は「お」


今回は、あの頃のお題を少々修正しました。オリジナルは「女も惚れる女」だったのですが、複数形の女たちに。枯れたつもりの30歳前の自分よ、あなたはその後、何人もの「女も惚れる女」に出会い、いつもその人たちに助けられることになりますよ。後からの予言なんて、なんの役にも立たないけれど。

最近は既に鞄に入れた眼鏡を外出直前に、なぜ、いつものところにないのか??と探しまわるほど、弱々しいものになっている私の記憶力。先輩方が、直近の記憶はないが昔のことははっきり覚えているのと同じく、このタイトルを思いついた時に、想定していた人が誰であるかの記憶の引き出しは、20数年開けていなかったにもかかわらず、新品のようになめらかに引き出すことができた。ありがたいような、そうでもないような。

彼女はおそらく私より2つ年上だろうか、彫金の専門学校に通っていた時の同級生だ。お互いに20代の半ばのことだった。その学校では彼女と私は年長者で、彼女はみんなから姉さんと呼ばれ、私はアヤメちゃん、またはアヤメと呼び捨てにされていた。呼び方にも彼女と私の在り方の違いがはっきりと表れている。なかなか見る目のある同級生たちであった。明るくしっかり者の彼女は学級委員的な存在で、課題をきちんとこなし、字は美しく、いつも同級生たちに囲まれて、てきぱきとみんなの世話をしていた。お酒を飲むと、明るく陽気さをますところも頼もしく、集まりには必ず参加してくれていた。

年長者同士の他にも、実家が自営で年のはなれた弟がいるというレアな共通点もあり、彼女と私はすぐに仲良くなった。自分より会社員経験の長かった彼女から聞く会社の話は、自分の体験したそれよりも、ずいぶん華やかで大人っぽいものに思われた。歳はさほど違わないのだが、彼女と私が社会に出た年の間には、いわゆる就職氷河期といわれる大きな断層が発生したため、就職活動も、新人時代も全く様相が違っていたのだ。

私がボーナスは払うよりももらいたいからと、専門学校が終わったら習ったことをいかせる会社に就職したいと思っていた頃、彼女はすでに自分の会社を始める準備を着々と進めていた。

ある夜、学校の帰りに居酒屋で夕食を食べていた時に、彼女がまっすぐに背中を伸ばして「もう誰にも雇われたくないの。」と言ったのを聞いた時は、軽く頬を打たれたのに全く反応できなかった時のようなショックに似た感覚に包まれた。自分はなんと答えたのだろう。まったく思い出せない。 起業ブームが起こる以前のことで、独身の女子が会社を経営することは、一般的ではなかったと思う。なにしろ前世紀のことですから(笑)

私には衝撃的だったが、彼女にとっては当たり前のことだったようで、その後、いつもどおりに厚やきたまごを食べ、焼き鳥を串から外してくれた。その後、よく聞くようになった、「好きなことを仕事にしたいの。」には応援の気持ち以上のものはないのに、今思い返してみてみて、彼女の「もう誰にも雇われたくないの。」には強烈な格好よさを感じてしまう。その言葉どおり、彼女はその後誰かに雇われることなく働き続けている。20代の私が惚れた女も惚れる女のお話だ。

せっかく通った彫金の学校で習ったつたない技術はいかすことができず、30代の私はニューヨークで派遣の仕事をしようとしていた。採用の面接が終わり会議室を出て行く、ブルーのシャツを着た上司の足ばやな後ろ姿を今でも鮮やかに思い出す。その時、彼女は還暦を過ぎていらしただろうか。その日、面接の後に行ったヨガクラスで再会したことが決め手となったのか、たいした経験もなかったのに採用してもらった。その後、私の派遣期間が終わり、彼女がその会社を退職してからも大変かわいがって頂いている。

2回の結婚と2回の離婚、腎臓移植(その後、腎臓移植も2回になるのであった。)を含め20回以上の手術を経験した乳がんのサバイバーで不死身の彼女とは住まいも近かかった。仕事が終わった後にはロビーに鯉が泳いでいる池?のある豪華なコンドミニアムにお邪魔して、プールで泳がせてもらったり、近所の高級デリで買ったきたディナーをごちそうになったりしていた。彼女は乳癌の放射線治療の後遺症で骨が弱かったので、転ぶと骨が折れてしまうため、何度か骨折で入院した際には、入院先に新聞や本を届けたこともあった。

ある夜、いつものように、彼女のお部屋で夕食を終えた後、彼女が作ってくれたマルガリータを飲みながら、ソファーでくつろいでいた。2人ともさほどお酒に強くないので、1杯でご機嫌になってしまう。そんな時には、行ってみたい旅行先などこれからの話とともに、それまでのこともよく聞かせてくれた。教育熱心な母上に学校の先生になることを命じられた彼女は現役で一流大学に合格し、いったんは学校の教員になるものの、もっと自由に働きたいと思い外資系の会社の秘書になる。そこで、秘書は補助的な仕事しかさせてもらえないことに物足りなさを感じて、さらに英語と経理を勉強しつづけた。そして、2度目の旦那さん(アメリカ人)を日本に残して単身アメリカに渡り、勉強を続けて税理士の資格をとってBIG4でも働いたという。その間にいろいろあって、別居生活になってしまった2度目の旦那さんと離婚することになる。

大きな身ぶり手ぶりで話をしている指先には真っ赤なネイルがきっちりと塗られていた。決して、誰かを責めることはなく、ユーモアたっぷりに語った最後に「置かれた場所が気に入らなかったら、とっとと別の場所に行って咲くわよ。でも、もし昔に戻れたなら、最初の結婚を続けるのも良いかもしれない。あの頃は我慢が足りなかったのよ。」と言って、からからと笑っていた。思えば、その後いろいろな上司の下で仕事をさせて頂いたが、一番安心して働けのは彼女の下にいた時だった。「私のミスは私のミス。部下のミスも私のミス。」の言葉通りのお仕事ぶりは今思い出しても見事なものだった。30代の私が惚れた女も惚れる女の話だ。

素晴らしい上司に多くの教えを受けたのち、いくつかもの会社で働かせて頂いたにもかかわらず、彼女のようなバリキャリになる力もなく、40代の私はそれまでと違った仕事をしていた。慣れない仕事と人間関係に悩んでやさぐれていた頃、味噌作り教室で再会したお友達にそんなに悩んでいるならこれを読んでみてと、後からメールが送られてきた。どんなわらにもすがりたかった私は、すぐに教えてもらったブログを読み、すぐにそのブロガーさんのファンになった。私より年下であったその方がインスタグラムでライブなさっていると知ると、インスタグラムもはじめた。

その後、実際にそのブロガーさんにお目にかかる機会をえたときに、どういった話の流れであったか、自分以外の人に何かを期待しないようにしていると話たら、びっくりするくらいのかろやかさで「なんで?なんでかなわないと思っちゃうの?」と、こちらがあとずさるほどの強さで目を合わせて問われた。

これから、すごく大切なことを聞くことになるという予感にゾクっとしながらも、彼女の瞳の色が明るく透き通っているのを綺麗だなぁとも思っていて、それに気づいて真剣に聞かなくては!と気をとりなおした。「絶対にかなうよ。かなわないと思わない。」と言って、話してくれた彼女の経験談は、最初に願ってからそれが実現したのは、10年近く経ってからのことだった。

それは、世の中によくある、かなうまでやり続けるというものではなかった。願った時に、その時でないと思ったら、そのまま置いておく。なんの言動も起こさない。けれど、諦めることもしない。

彼女にとっては、望みがかなうことは、バス停で待っていたらバスが来るのと同じくらい当たり前のことなのだと思った。ありがたい国、日本では多くの人が蛇口をひねったら水が出ることに卒倒せず、何気なく手を洗ったり、料理を始めるように、彼女はその望みがかなうのに最適なタイミングが訪れた時に、すんなりとふさわしい行動をとり、その望みは相手からの自発的オファーという最高な形でかなえられた。

バスが来ること待ちきれないどころか、信じない女である自分は、達成されない望みをどのような気持ちで見ていたら良いのだろうかと途方にくれてしまった。そんな私に彼女が語ってくれたのは望みの先のことだった。

なぜ、その望みがわくのか。豊かさを感じたい、安心を感じたい、自分の可能性を試したい、人と深く関わり合いたい、大きくまとめると幸せを感じたいということだと、その時の私は理解した。「(そのためにわいた望みなら)、最善のタイミングでかなうはず。それが今でないからと言って、なぜ諦めないといけないの?」と彼女は微笑んだ。そこには全く力みはなかった。なにを望んでも良く、それを諦めなくても良い世界がそこにはあった。それには圧倒的な賢さと自分と向き合い続ける胆力が必要なことをその後、私は学ぶのであった。40代の私が惚れた女も惚れる女のお話だ。


<2023年メモ>
ようやく、ようやくあ行がコンプリートすることができました。う、嬉しい。しかし、この20年余りの間に惚れた男がいないことに気づき、かるく落ち込みました。推し活さえもしていない。本当にさみしいことです。

今回の写真は40代に惚れた女も惚れる女、尊敬するブロガーさんが敬愛するシャネル展で買ったノートです。女たちをコルセットから解放したと言われるシャネルも女も惚れる女ですね。

今もなお、最も勇気のいる行動とは、自分の頭で考え続けること。
そしてそれを声に出すこと。
ココ・シャネル

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