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河合隼雄を学ぶ・13「こころと脳の対話①」

某研究センターの茂木健一郎さんの講演を聴いたら、とっても楽しくて、興味深くて、新しい視点を得られて、茂木健一郎さんを好きになってしまったので、河合隼雄×茂木健一郎の「こころと脳の対話」も、とても楽しく読んだ。

対話集なので、一応テーマは設定されているのだが(というか、後から本にするときに無理くりテーマをつけたのかもしれないが)、話は二人の興の赴くまま、自由にあっちこっちへ飛ぶ。そのため体系的にまとめるのではなく、印象的だった発言を紹介することとしたい。(※発言の抜粋ですので、会話になっているとは限りません)

【こころと脳の不思議】

<河合>わかりやすくいうと、僕らが生きているということ自体、ものすごく無理しているわけでしょう。それを無理しているだけではもたないから、寝たときに調整するわけです。全体性のなかに。その全体性のなかに調整する動きを、脳のなかで視覚的に把握したものが夢ではないかと、僕はそう思ってるんです。

<茂木>脳でいえば、神経細胞から意識ができるところが関係性ですからね。つまり、神経細胞を一個取ってきても、それには個性がなくて、ネットワークをつくって関係性を持つことで「クオリア」が生まれ、意識ができるわけですから。個というものが、そもそも関係性であるというのは、脳科学でも、すごく理に敵った考え方だと思います。個というので、最近気になるのは、日本や日本人の特徴があるとすれば、それは外部からの影響を受けて、つねに変化しながらゆるくできたということではないかと。だから、日本とか日本人というものを、最初にかっちり立てちゃうと、認識がすごくずれてきちゃうというか。

<河合>僕がよくいうのは、話の内容と、こっちの疲れの度合いの乖離がひどい場合は、相手の病状は深い、というんです。その人は一生懸命話をされるし、こっちも一生懸命聞いて、それでもその人が話し出すとどうしても僕が眠たくなる、という人がいたんです(笑)。疲れていたら眠くなるのは当たり前だけど、疲れていないしね、僕、一生懸命仕事してるのに。で、とうとう「もう本当に申し訳ないんだけれど、あなたの話を聞いていると僕は眠くなってしまう。なにか思い当たりますか」といったんです。そしたら「わかります」といわれた。「いちばん大事なことをいっていません」って。「じつは・・・・。これは先生に申し上げていませんでしたから、眠くなるのは当たり前です」と。例えばね、仮に、自分の母親は本当の母親ではないということを隠している場合があるでしょう。そうすると、その隠したままで話をされると、僕は了解できなくなってくるんです。だから、いくら一生懸命話を聞いても、その人の実像が結ばれんのです。だからフラフラになるんですよ。僕らの世界は、ある意味、そういう勝負の世界です。いろんなことを全部、条件としてつかっているといったらおかしいけれど。

【箱庭と夢の無意識】

<河合>社会を構築している横糸ばかりみんな見ているけれど、縦糸があるのを忘れてるんちゃうかという感じですね。横糸と縦糸があるから、すごい面白いのに。横糸だけでも模様はできるけれど、やっぱり縦糸が入るとすごく違うでしょう。<茂木>たとえば、箱庭をやるわけじゃなくても、じっと周りを見渡してみて、自分が気になるアイテムがないかって探してみるというのでもいいんですかね。<河合>そうです。そういう自分のふっとした心の動きに、忠実に。

<茂木>いま脳科学では、非合理的なものというのは「不確実性」というかたちでとらえられることが多いんですけれど、でも僕、ふっと思ったんですけれど、シンクロニシティというのは、むしろ確実なものですよね。瞬間でパッと決まるわけですからね。<河合>それがおもしろいんですね。それを、いまの世界では因果的に説明できなかったら、不確実ということで片付けているんですよ。<茂木>(雅楽の例を聞いたうえで)おもしろいです。「曖昧」と片付けているもののなかに、じつはものすごく筋が通ったものがあるということですよね。あるいは「偶然」と片付けているもののなかにも。






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