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人間が生きることを肯定したい・9「なぜトマトは育ったか?」~映画・地球交響曲(ガイアシンフォニー)より・その①~

『神とは、高度な自然のメカニズムの実体のことである』
植物学者 野澤重雄
       

「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」という映画を見た。
インタビューによって成り立っている映画で、
龍村仁という監督のライフワークである。

前回、あとがきの部分で、
「じゃあどのように変革するのか」
「そもそも”至高体験””運命の一瞬”において気づくことは”何”なのか」
「今、必要とされる”あるひとつの価値観”ってどういう価値観なのか」
ということを、いろいろな人の声を取り上げながら、
何回かにわたって考えていきたいと書いた。

「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」という映画に出てくる人々の声は、
自然と心に染み入ってくる。
ご自身の体験が、人生が、生き様が、その成果が、
私の知りたい世界への道すじを静かに照らしてくれる。
(前回紹介した、宇宙飛行士ラッセル・シュワイカートさんも、
この映画の登場人物だ。)
そこで、「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」に出てくる人々のことを、
一人ずつこのメルマガで紹介したいと思う。

野澤重雄さんは植物学者だ。
映画のパンフレットにあるプロフィールを引用させてもらう。

『1913年東京生まれ。
 39年東京大学農学部農業土木科卒業。
 台湾製糖株式会社に製糖技師として入社。
 46年終戦により帰国後、
 53年協和化学工場株式会社を設立、
 代表取締役社長に就任。
 78年協和株式会社に社名変更。
 85年代表取締役会長に就任。
 同年、ハイポニカ(水気耕栽培法)トマトが、
 筑波国際科学技術博覧会の日本政府館メイン展示に採用され、
 バイオテクノロジーも特殊肥料も一切使わずに、
 普通のトマトの種から一万数千個の実をつけた。
 82年科学技術功労者長官賞受賞。
 85年勲四等旭日小授賞受賞。
 86年吉川英治文化賞受賞。』

”ハイポニカ(水気耕栽培法)トマトが、
バイオテクノロジーも特殊肥料も一切使わずに、
普通のトマトの種から一万数千個の実をつけた”

このことが、どんなにすごいことだか、想像がつくだろうか。
私は、言葉で聞くだけでは、ピンとこなかった。

映画の始めの頃に、
小さな小さなトマトの種がたった一粒だけ植えられる。
植えられる、といっても土にではなく、
野澤さんが考えた水気耕栽培の容器に植えられる。
この容器は、見たところ巨大な水槽のようなもので、
トマトの根はその水槽の中に伸びていく。

はじめに、ポツンと小さな双葉が出た。
なんの変哲もない、小さな芽だ。

映画は進み、他の人々のインタビューの合間に、
ふとトマトの樹の場面に変わる。
トマトの枝葉はすでに数メートル四方に伸びている。
小さな双葉がしっかりとした茎になり、
豊かな枝葉を支えている。

さらに忘れた頃、またトマトの樹が映る。
一粒のトマトの種は、想像を絶する成長を遂げていた。
幹は巨木と呼べる太さになり、
枝葉はうねうねとお互いからみあいながら、
何十畳あるかしれないその部屋の天井を覆い尽くしている。
そして、一万数千個のトマトが実をつけていた。
圧巻、としか言いようがない。
その光景が、たった一粒の種から始まったとは、
育っていく過程を見せてもらわなければ、
到底信じられなかったと思う。
普通に育てた場合、一粒の種からできるトマトは、
せいぜい60個だという。
一万数千個という数字の非常識さがうかがえるだろう。
水槽の中はというと、
ごく細い真っ白な根っこが、
ぎっちりとからみあいながら水槽の内部をうめ尽していて、
巨大な直方体のマットレスのようになっている。

野澤さんは言う。
一番大事なのは、まだ小さい苗のとき、
物心もないようなときに、
どんどん成長しても必要なものは充分入ってくるよ、
どんどん成長しても大丈夫だよ、
という「安心感」を与えてやることだと。

そして、母親の立場、与える立場の側は「疑わないこと」。
植物の種は、もうすでに親から離れて、独立して生きるのだから、
生きるためのすべての要素はすでに持っているはずで、
そこに不備なものは絶対にない。
生きるための完璧な機能を、種自身の中にすでに持っている。
それを引き出してやるという立場で、
種にとって非常に良い状態を野澤さんは与えるのである。
そのときに、種の力を「疑わないこと」が大切だと言う。
「この程度まで育つだろう」「このくらいの樹になるだろう」
という無意識の制限を心に持たない。
生態自身の選択に任せ、ただただ無心に良い状態だけを与えてやる。
すると、植物は我々の想像を遥かに超える成長を見せるのだ。

野澤さんの水気耕栽培によってトマトの巨木ができた理由は、
今の科学では説明がつかないと言う。
今の科学は、自然がそういう大きな力を持っているということを、
認めていないのだ。
もし、人間がこのトマトの巨木と同程度の力を発揮したら、
それは超能力とかそういう形で片付けられて、排除されていく。
しかし、目の前に、トマトの巨木は存在している。
科学が認めようと、認めまいと、ただ凛然と存在する。
そのことをどう受け取るかは、個々人の心の問題だ。

野澤さんはトマトの種を信頼している。
一粒のトマトの種が、
人間の知識を遥かに凌駕した高いレベルの機能を持つことを、
心から信じている。
植物が生きていくうえで一番基本の機能は、
自然の環境を明確にキャッチし、それに適応することである。
そうなると、非常に高度な感受性というか、
感応器官を持っているはずで、
それは、人間でいう「心」と表現されるものではないかと、野澤さんは語る。
植物の育つ姿を見ることは、
全知全能のメカニズムをつぶさに感じることであり、
それを「神」と呼ぶなら、それはそれで良いと言う。
人間の常識を超えた、自然の高度なメカニズムこそ、
野澤さんが「神」と呼ぶものなのである。

たった一粒のトマトの種が内包している、全知全能の「神」。
では、トマトと同じ「生けるもの」である人間が内包しているものは?
本来は、同じメカニズムが、きっと人間にも与えられているのだ。
カタチはまるで違うけれど、同じ「生命」だから。
私たちは、自分の中に、全知全能の「神」を内包している。

しかし、トマトはそれを「疑わない」。
人間はそれを「疑った」。

その時点から、人間だけが、
この地球上で他の生命たちとは違う道を歩み出したという気がする。

野澤さんは最後にこう提起している。
今までの科学が絶対だと思っていることは、実は絶対ではなくて、
大きな転換期で修正なり、付け加えるなりしなければならない。
そしてその先頭に立つのは、今度は一般の人なのですよ、と。
科学者と皆が一緒になっていかなくてはならない時代なのだと。


=====DEAR読者のみなさま=====


トマトの巨木は、有無を言わさぬ存在感で、私の常識を破りました。
でも、衝撃的なトマトの巨木よりも、さらに私の印象に残っているのは、
野澤さんの語り口の穏やかさ、素朴さ、
たたずまいのさりげなさ、自然さ、
トマトを見る目の温かさ、
トマトに触れる手の優しさ、
一片の気負いもなく、
ただ心から生命の力を信じているその人格の深さ・・・。

「どんどん成長しても大丈夫だよ」

野澤さんがトマトにかけるその言葉を、
世界中の子供たちに言ってあげられたら・・・そう思ったら、
涙が出そうになりました。

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