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「生きる」に疲れたし、人生めんどくさい。

何もかも疲れた。

人間関係に疲れた。

一生懸命やることにも疲れた。

素直でいることにも疲れた。

家族との関係を良好にすることも、
会社の人間の顔色を伺うことも。

上司の期待に応えることも。

好きなことにも興味がなくなった。

毎日、明日への希望にあふれていたのに、

今はもう

やりたいことがわからない。目標もない。

生きる意味がわからない。

明日はなにをしたらいい?

秒で過ぎていた毎日が、今は1分1秒が重く伸し掛かる。

「疲れた」という感情が沸き起こるということは、今自分が置かれている状況をそのまま放置せずに、一度立ち止まるサインなのかもしれない。

わたしは自分の感情と戦っていた。
自分の感情に向き合わずに、頑張れないことは「怠けだ」と思っていた。

その結果、涙が止まらなくなり、仕事にいけなくなった。
大好きな友達に会えなくなった。

「疲れた」は、無意識のうちに身体や心が悲鳴をあげている。

「もう疲れた」と声にでたときには、私はとっくに限界を超えていた。

身体的な疲れは目に見えてわかるものだけれど、精神的な疲れは目に見えないし、なかなか表面にはでてこないから、気づいたときには遅かったりする。

しかも、社会人になると、その精神的な悲鳴すら隠して働いてしまう人が驚くほど多い。

「ちょっと疲れただけだから、もうちょっと頑張れる」
「こんなんで疲れたらダメだ。」
「周りは頑張ってるのに、自分はなにやってるんだ」

そうやって自分の中の悲鳴を抑えて、無理して動いた結果、どんどんメンタルがボロボロになってしまう。

無駄に強い責任感と、真面目さと自分へのストイックさが、どんどん自分の内面を犠牲にしていた。

実際に、わたしのまわりにも勤勉に働いていた人や優しいひとばかりがメンタルをボロボロにして鬱になってしまった人も少なくない。

「なんで頑張れないんだろう。これは怠けだ。」で、済ませてはダメなのだ。

身体の悲鳴に気付いて自分の内面に向きわないと。

一度立ち止まって、リセットしよう。自分を救え

わたしは最近、「なにもかも疲れた、仕事にもいきたくない、人と話したくない。起きたくない。」という感情に襲われた。

今まで興味のあったことに、すべて感心がなくなってしまった。

自分の感情を無視し続けた結果、日常生活が送れなくなった。

「ここで休んだら、負けだ。」
「みんなに会う時までに元に戻っていたい」

と、どんどん自分で自分を追い込んだら、
修復できないほどメンタルが傷ついていた。

それから、お風呂にも入れないほど無気力な毎日が始まった。

たった2週間前の自分の写真。
幸せそうに笑う自分が、今の自分と解離する。

いまの自分が自分じゃないのか。
それとも前の自分が自分じゃないのか。

心の中に2人を飼っているような気持ちになった。









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