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はじめに

証券会社のOLだったサンデー・スノーボーダーからワーキングホリデービザを使ってカナダへ。

帰国後、冬はスノーボードのインストラクターをし、夏は出版社でアルバイトの生活。それも、すでに20数年ほど前の話。

自ら写真を撮って、記事を書くなんて、正直全く考えていなかったのですが、これこそ“縁あって”今のような生活になりました。逆に何も知らなかったことで、思い切っていろんなことができたのかもしれません。

98年には、それまでプロとして活躍してきた女性のスノーボーダーを連れてモロッコの雪山とサハラ砂漠でスノー&サンドボーディングの旅。その取材の内容を同行していたカメラマンが(当時機内誌を制作していた)中央公論社に売り込み、夏休みまっただ中の8月の機内誌に14ページで掲載されたのです。

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専門誌以外で、ここまでの掲載は画期的なこと。

スノーボーダーだけでなく、多くの方々に見ていただくきっかけとなり、私のフリーランス歴は一変しました。

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同時に、私の考え方にも変化が起きたのです。

専門誌にはそれに特化した人たちが集まっている、選手達も時々編集部に遊びに来てくれるので私自身には刺激になるのですが、興味を持っている人だけでなく、一般の人たちにも知るきっかけを作りたい!でなければ、底辺が広がらない。

長野で開催される冬季五輪にスノーボードが正式種目となってから、協会同士の対立はありましたが、「選手には関係はない」と取材を進め…それに賛同してくれた出版社が毎月1ページ。五輪情報として確保してくれたのです。

最終的には丸々一号が五輪1色になったのですが…日本だけでなく国際的に協会が対立している時期だったので賛否両論でした。

そのままワールドカップなどの取材を続けていると、当時、スノーボードを知るフリーランスのライターがあまりいなかったこともあり、numberなどでも書かせて頂くようになりました。もちろん自ら売り込んだのですが…。

ある先輩ライターからフリーランスは営業もできないと…と言われていたので、取材してきた内容に関連性のありそうな出版社にアポを取り、通ったことを思い出します。

それまで教程本作りやレース取材が多かったのですが、あるときから旅という視点というかキーワードも私の中に加わりました。

ちなみにTarzanはアドベンチャーレースの取材がきっかけで書かせて頂くようになったと記憶しています。