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夢見る少年少女のリプレゼンテーション(Part 2)

Part 1ではリーダーシップのrepresentationがもたらす影響について書きました。Part 2 はアジア人・日本人のrepresentationに焦点を当ててみます。

日本で暮らしていると単なる一人の個人ですが、日本人はアメリカで暮らすと、アジア人・日系アメリカ人といった人種のカテゴリーに入ります。アメリカで病院に行くと、問診票に人種を答える欄があり、学校探し、住む地域、大学の入試、就職など全てのことにおいて人種が関わってきます。ただ、私たちアジア人は*黒人と白人のどちらにも属さないため、ユニークで曖昧な立場に属しているとも言えます。
*以前Black Lives Matterについて書いたブログがあるので、興味のある方は読んでみてください。

自分たちのストーリーを自分で語ることの大切さ

映画Black Pantherは、ほぼ全員黒人キャストで、脚本・監督共にマーベル初の黒人映画監督だったことで話題を集めました。それに続き Crazy Rich Asians(クレイジーリッチ!)も同様に、映画制作に関わった人たちが皆アジア人で「やっと自分たちの視点で物語が作れた!」ことを祝う作品となりました。このような社会現象は、単一民族国家の日本からは理解に難しいことかもしれません。シンプルに言えば、長ーい間スタンダードだった、白人が白人ウケするように作る映画やドラマ(収入源はそこにあると信じられていた)の時代を塗り替える変化だと言えるでしょう。

「白人のため」といった言い方をしていますが、決して白人を悪者にしているのではありません。上記の時代の変化を一緒に祝う白人も、アメリカにはたくさんいます。アメリカの強さと美しさは、まさにこの多様性から来ていること、そして自分たちの祖先もアメリカに移民してきた事実を理解しているからです。

このように、特に周りの環境に強く影響を受ける子供達にとって、自己の文化や人種を代表してくれるポジティブなrepresentationが社会に存在することは、私たちが想像する以上に大切なことなのかも知れません。そして自国の本当の姿を学ぶことは、肌の色関係なくどの子供にとっても、自分と異なる人種や文化を尊敬でき、視野が広く思いやり深い人に育っていくことに繋がります。

子供と学ぶアメリカでのSocial Position

社会の中で自分の立ち位置(国籍、人種、文化、ジェンダー、経済など)を考えることは、複雑なアメリカ社会をナビゲートするために、また様々な人達と関係を築いていくためにも役立つことだと言えます。

私も日本生まれ日本育ちなので、アメリカの多様性から生まれる複雑さを舐めていました。 子供たちは、私たちの目の届かないところで(学校など)現実の社会で揉まれています。特に子供たちは正直ですし、親が家で言ったことを、フィルターかけずにそのまま友達に言ったりします。

学校で日本人(アジア人)である事について悪く言われたり、「??」と感じる態度を取られたりしても、反応の仕方が分からず、知らず知らずのうちにそのまま吸収してしまい、自己の文化やアイデンティティーを否定する/嫌いになる作用が生まれることがしばしばあるからです。日本人のお父さんやお母さんに言っても分からない、とか、大騒ぎされるのが嫌、または心配かけたくない、という気持ちから親に言わないこともあると思います。1つ1つは些細なことだけど、それが徐々に自分の中に溜まっていき、親の「日本人らしさ」「アジア人らしさ」に異常にイラッとしたりするのは(ある程度は成長過程で自然な事ですが)、internalized racism(自分自身に向けられた人種差別)の表れでもあったりします。

特に否定的な事を直接言われたわけではなくても、アメリカの社会自体、社会に影響を及ぼす強い者(大多数が白人)がそのステータスを守り、より良い生活をするための基礎が出来ているため、意識的に家族などで話したり、健康的なrepresentationが周りにない限り、無意識のうちに白人に比べアジア人であることを「マイナスなこと」として内面では感じるようになります。自己肯定感を育んでもらいたいこの時期に、自分の事が嫌いにならないようにサポートしてあげたいものです。

このように、周りの大人が自国の文化を理解し、大切にする姿勢を示し、自分達が歴史的に背負っているものを一緒に学び伝えることで、子供は自分のアイデンティティーを強みにして、それを複雑な世の中を渡る道具として使うことを身につけていきます。


日本人として背負うもの

人種や国は生まれるときに選べません。何十年、何百年もの日本の歴史を私たちは皆、背負わされています。最近の世界情勢を例に挙げると、イスラエル・パレスチナ問題です。アメリカには多くのユダヤ人がいますが、連日大学キャンパスなど起こる、ユダヤ人に対しての嫌がらせなどが問題になっています。アメリカ生まれ育ちで、イスラエルのハマスに対する攻撃に反対のユダヤ人でも、ユダヤ人の何千年の歴史を背負っているため「僕には全く関係ない」では通じないのです。

これは他人ごとではないと思います。日本人も私の祖父母の時代には、アメリカ中で差別の対象でした。第二次世界大戦での被害者、そして加害者としての多くの人々の苦しみの影を現在でも引きずっています。もちろん、マイナスなことばかりではなく、その国の文化や、良いイメージで助けられることも多々あります。個人単位ではどうすることも出来ない、私たちが背負うステレオタイプや歴史的背景を、特に海外で暮らすには無視出来ないのが現実です。まるで知らないうちに「Japan」とか「Asian」と後ろに書かれたものを着て生活している感じがします。

人種やステレオタイプの話なんて暗いし、直接嫌な目に遭ったことがないから関係ない、と若い頃の私は思っていました。それがアメリカ生活をしているうちに、住む地域・職場・学校などの中で、自分は一体どのような立ち位置にいて、どう受け取られる可能性があるのかということを、学んでいくことで、人々とより深い会話ができたり、時には自分を守ってくれる道具にもなることが分かりました。

現在、私は自ら「Japan」と表記されたTシャツを着て、外国に住む日本人として、より良い日本のrepresentation作りのため、そして同じ地域に住む人たちとコミュニティーを盛り上げるボランティア活動を続けています。と言うと聞こえは良いですが、アメリカ社会で日本人として平和に暮らせるように、自分や自分の子供のためにもなると感じているからです。

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