結婚、出産、失ったもの。 小説「1982年生まれ、キム・ジヨン」
私は、フェミニズムアレルギーだ。
フェミニズムを意識させるだけの強い実体験がなく、恵まれた環境で育った鈍感さ故だったのだろう。
とにかく、声高に女性のありとあらゆる権利を女性の総意かのような主張には、凄く抵抗があった。
だからと言って、男性に幸せにしてもらいたいとか保守的な頭もない。
男女の違いを受け入れさえすれば、なにもしんどい事はない。
わざわざ主張しなくても、自分の受け入れ方次第で、人生は薔薇色にも灰色にもなると本気で思っていた。
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ところが、結婚して子どもを産んだから急に生き辛さを感じるようになった。
仕事を辞めたのも誰に押し付けられたわけでもない。今まで通り全て自分で選択した事。
20代の頃、今まで天職だと思って働いていた仕事を、いざ妊娠、流産した事をきっかけに自分でも驚くくらいスッパリと辞めてしまった。
キャリアを中断して、育児に専念する事を選んだのは私なのだ。
それなのに、なんでこんなに苦しかっだのだろう。
私は、気づいていなかった。
何故自ら失ったのか、何を失ったのかさえ気づいていなかった。
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女なら誰でもするような、でも心の傷となった無数の出来事。
女であるということが、私の人生の岐路で凄まじい強制力を発揮してきた事実。
そんな今まで無意識に蓋をしてきた 「女であるが故の生きにくさ」を感じる体験が、この小説を読み終わったと同時に、鮮烈な記憶として甦えった。
フェミニズムは、なにも声高な女性権利の主張ばかりを指すものだけではない。
この本にあるような、空気の様な差別は、実は私の日常にも潜んでいて、それはあまりに透明で、気付かぬうちに自ら、自分を自分じゃないものに押し込めようとしていたのかもしれない。
いい妻にならなきゃ、
夫に迷惑かけちゃいけない、
子供と夫を最優先にしなきゃ、
いい母親にならなきゃ。
もちろん、誰かに強制されたわけじゃない。私の周りには、プレッシャーをかける人もいなかった。
それなのに。
今まで自分のやりたい事に忠実に生きてきたのに、結婚して子どもを授かった途端、何故かそんな思考に囚われた。
そして、出口を失い、悲鳴を上げる前に体調を崩してしまった。
キムジヨンと同じだった。
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キャリアを中断した事は、後悔していない。
10年間、子育てに集中してきた事は、私にとって宝物になる。
でも一方で、自分を押しころして生きているような、言葉にならない苦しさを抱えてきたのも事実だ。
それは、自分の過去の選択や自分の性格からくる苦しみではなく、社会全体の構造によるものだったのだ。
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キムジヨンを通し、私は過去の自分を初めて俯瞰する事ができた気がする。
そして、これから自分がどう生きていくか、どう生きて生きたいか、を考えるきっかけになった。
帯にあった「女性たちの絶望が詰まったこの書は、未来に向かうための希望の書」という紹介文。
日本では、発売から2年が経ち韓国のように社会現象となる事はもはやなさそうだけれど、キムジヨンに共感する事で自分の苦しみに気づき、自分の意思を持って未来へ向かう人が1人でも増えたらいいなと思う。
気づくだけで変わる未来もある。
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