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俺がついてるぜ

これ、原曲の雰囲気も好きだけど、ダイアモンド⭐︎ユカイさんの日本語版もいいんだよなぁ。

私は今まで、父とのコミュニケーションに閉塞感をおぼえ、もどかしい気持ちを抱いてきたのだが、上手く言葉にして伝えることが出来ていなかった。
それを今回、意を決して伝えることにしたのだが、スンナリ分かってもらえるものでもなく。

なぜならば、長年、家族において「それで良し」とされてきたからだ。
私にも言い分があるように、父にも言い分があるものだから、ああ言えばこう言う、毎回、お互いのメールは超、超長文である。

父はもう、こういう人なんだ。
昔から言い聞かされてきて知っている、だからキッパリ諦めたらいいんだ、我慢して、受け入れたらいいんだ、と言い聞かせてきたけど、やっぱり諦められていなかった

私はもうこれ以上、その閉塞感の中に自分を置きたくなくて、一体何を嫌だと感じているのか、言葉を尽くして説明しようとしていたのだが、そのうち、語り続けることに疲れてきていた。
私は一旦、ラリーから離れることにした。
そこで、私は一冊の本と出会う。

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どうも会話がかみ合っていない、嫌だと伝えているのに理解できないと言われる、と感じるとき。
チェックすべき項目がある。
ここに全てチェックが入る場合、要注意だ。

✓お互い対等な関係で話をしている、という前提に立っている。
✓頑張って説明すれば、きっと分かってくれるはず。相手の理解が追いついていないのは、自分の説明にまだ不十分な点があるからだ。
✓自分の主観に引きずられずに、客観的で、論理的に。「ちゃんと」話すのが、大人としてのふるまいというものだ。

イ・ミンギョンさんはこう言う。
話すのを決めるのはあなた、と。
理解すべきなのはどっち?
「理解」が成立するまでに必要な努力を、今どっちがやっているのか?と。

私たちは「がまんしてていねいに説明すること」のほかに、別の選択肢があるということに気づくべきです。別の選択肢を見逃すことは、意外と深刻な問題です。
イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』
タバブックス

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決して開かない(ように見える)、父の岩戸。

それが、私が過去に感じた「実感」から紡いだ言葉を重ねて伝えるうちに、『私がそんなに嫌だと感じていたのか』と、少しずつ感じている模様。

正確に言うと、こうして私から指摘されるまで、自分の価値観や子育てが、受け入れがたいもの(他のきょうだいは知らないけど、少なくとも私には)なんだって、気づきもしなかった、と返ってきた。

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昔々、私が小学生の時、父親参観日で『お父さんと一緒に工作をしよう』という行事があった。
他の父親がわが子と楽しく工作を進めていく中、わが父は私の机の傍らに立ち、私が手を動かすのをただ見るだけだった。

子どもの私は、その場ではなぜだか聞けなくて、でもどうしても納得できなくて、どうして一緒にやってくれなかったの、と聞いた。
そしたら、『参観だから参観に徹した』というような主旨の返事が返ってきたのだった。
た、正しい…!

確かに、学校側の、普段仕事で忙しいお父さんとふれあえるように、という要らぬ気遣いには私も疑問を持つが、あの時、父は己の正しさを貫いただけで、私と意見を突き合せ、ふたりで結論を出す、ということはしなかった。

私の(一緒にやりたかったのに)という気持ちは、今も宙に浮いたまま。
こっちにはさ、そうやってさ、無かったことにされた気持ちが、たくさんたくさん、あるのにさ

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すごく引っかかるのが。
父は、自分の価値観が他人には受け入れがたいものである、というのを妻である母に何度も指摘されているらしいんだけど。
母はその度に「私は我慢してあげられるけど、他人には気をつけなさいよ」と言い、それを貫いてきたところなの!

我慢が愛情になり、関係性を良好に保つのはな、ぜんぜん、一般的じゃないんだ。
お母さん、我慢しないでほしかった。
それは子どもたちに、『父は変わらない、受け入れろ、流せ、上手いことやれ』と言い聞かせることにつながったから。明に暗に。

今私は大人になって、上手に説明できるようになったのだろう。
だから父は私の言葉に目を通し、今まで気づかなかった、と言うに至った。
もー、ホント…幸せに生きてきたんだなぁ、と私は殺意さえ覚えてしまったんだが、それを見透かすかのように、父には父なりの苦労があったのだ、という『弱さ』の告白も返ってきて。

私はうーん…と、すっかり考え込んでしまった。
私も父を、理解してあげるべきなんだろうか。
でも何だか、引っかかる。

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イ・ミンギョンさんの本に戻る。

でも、少なくともこれだけははっきりさせておかなくてはいけません。男性の不満のもとになっているのは、男性への逆差別ではなく家父長制であり、こちらにそれを言うのは筋ちがいだと。男女は「大変さ」を打ち明け合える。そう思った瞬間、テーマはすりかわってしまいます。
イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』
タバブックス

そうだね、お父さんが辛かった、苦しかったと理解を求められるのは同じ男性で、夫で、父親だった人たち。文句を言うなら、家父長制に。
それを、家庭の中で自分が、力を持って抑圧してきた対象である、娘の私にいうのは、やはり筋ちがいだよ。
私は改めて、素直な気持ちを伝えるラリーを再開した。

父からは。
自分では会話だと思っていたものが、私からその構造は会話になってないと指摘され、今まで嫌だったんだ、傷つけていたんだ、ということが(今)分かって、申し訳ないと思う、しかしこれ以上は言葉が見つからないんだ、ということで、メールを止めることにする、と返ってきた。

父とのラリーが終わった。


これでいいと思う。
私は今回、超超長文になっても『これだけは言っておかなくては』を伝えることを諦めなかったし、わたしはじぶんにじかんをあげることにする、と選択できたし、そうしてそこから一度、離れることができた。

父への罪悪感も無いし、父を責める気持ちも無いし、すがすがしい気持ち。
それでいいじゃないか。

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一連のことから見えてきたことは、本当に、シンプルなこと。

NOを自覚すること。

NOを伝えること。

NOを、貫くこと。


ただし、シンプルだけど、とんでもなく骨の折れること。

モヤモヤしたり、違和感を覚えることがあっても、それがNOなのだと明確に自覚することが難しかったり。

NOを口に出したら、『もっと分かりやすく』『もっと丁寧に』『もっと優しく』言わないと、聞いてもらえないよ、と更なる努力を求められたり。
(今なら、それがトーンポリシングだと知っている)

さらにNOは、言っても貫かないと、効果が無くなる。
結局受け入れてしまっていれば、『何か文句言ってたなぁ』にすり替えられるから。

NOは何度も、無かったことにされる。


SHELLYさんの『あなたのNOには力がある』というメッセージには、本当に勇気づけられた。


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今回、超超長文になっても自分の中から言葉がどんどこ出てきたのは、ジャーナリングを続けていたのが大きかったと思う。

何でも吐き出していいよー、と自分と対話するようになって思ったことは、『自分って、最高のパートナーかもしれない』ということ。

だって、
悩みがあったらいつでも駆けつけてくれて、話をさえぎらずに最後まで聞いてくれるし、むしゃくしゃするときは一緒にポテチを食ってくれるし、お散歩行こうよって誘ってくれるし、そんな気分じゃない、と断ってもそっか、って言うだけだし、眠れない夜にはあったかいお茶を淹れてくれるし、バカにしたり、揶揄したりしないから安心して心の内を話すことができる。
できるように、訓練が必要だったけど!

おー
何だコレ!
素敵な恋人みたいだ!

いっとき、こんなことまで思ったもんだ。
(そして、そんな気持ちをこんな絵で表そうとした↓)

俺がついてるぜ♪

だけど恋人同士のようでいて、結局は同一人物だから、自分の中の言葉を見つけることは出来るけど、ボキャブラリーが増えていかないんだな。
とっさに出せる、言葉。

そんなときこそ、本なのか…


私は父のことはもうサッパリ気持ちを切り替えて、イ・ミンギョンさんに本の感想(という名のファンレター)を送ろうと思う。

わくわくするー♫

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