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「死にました」って言わなきゃ休めない。

実は最近引っ越しをしまして、少し広めの(今までに比べての話)1LDKに夫婦二人で住んでいます。賃貸です。特に引越すきっかけがあったわけでもなく、人生の節目とかでもなく、4年住んで手狭になってきている部屋に多少の窮屈さは感じていたけれど、まあ住めなくはないかな。交通の便いいし。そんな気持ちで住み続けていたわけですが、暇つぶしで登録した物件紹介アプリで気になる部屋があったので、夫と見に行って、その日のうちに決めました。
物件探し始めてから申し込むまでの所要時間、およそ2.5時間。
その日から引っ越しまでの所要期間、3週間。
私史上最速の転居。

ここにはあって、前はなかったもの

新しいおうちには、大きな窓と明るい部屋があります。ゆったり寛げるソファに、新しく買い足した木製のローテーブル。徒歩5分圏内に3駅6路線がウリだった以前の立地に比べ、交通の便が良い場所とは言えないけど、歩いてすぐに隅田川があって、ファミリーが多くて、中型のスーパーやら、個人経営のカフェが近所にたくさんあります。温かみがあって、適度にダサくて、適度にお上品で、ゆったりとした空気が流れている場所。こんな快適さを手に入れてふと頭に思い浮かんだことがありました。
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それは、「暮らす」という言葉。**

今いきなり「暮らし」が始まったわけじゃありません。もう6年も二人暮らしだし、その前は一人暮らしだし、地方暮らし、都会暮らし、実家暮らし、海外暮らし、いろんな「暮らし」をへて、今があるわけですが、この4年間は、夫婦二人暮らし、共働きの生活。思想やスタイルの意味をも含む「暮らし」という言葉よりは、もっと現実的、無機質、効率重視、利便性ありき、そんな「ザ・生活」でした。

死にましたって言わなきゃ休めない


別に、『効率的な生活』が大好きってわけじゃないんです。

でも、「都会で生きる」って、みんなこんなもんでしょ。

なんて思って、東京の女子を気取ってたんです。
こうなった発端は、若い時の経験にあります。
社会人になってすぐに働いた職場が、多忙極まるところで、新人看護師だった私は、18㎡ほどの寮部屋と病院の往復の毎日。職場は東京のど真ん中にあり、六本木も銀座もすぐの好立地なのに、月金は仕事以外の予定なんてゼロ。金曜の夜は狂ったように同期と飲み騒ぎ、土日は死んだように眠る。そんな軍隊のような生活をおくっていました。3年目にもなり慣れてきて精神的には楽になったものの、忙しさは変わらずの毎日。ある夜勤の時に先輩が、「ここってもう『死にました』って言わなきゃ休めない職場だよね」とボソッと言い、こんなに長年働いてる先輩でもそんなふうに思うのか、、、と軽く絶望したのは今でも忘れられません。しかし、その時ふと、思ったんですね。

「今の私は、働くために生きてるんじゃないか」

働くための労働力、病院のコマになるために、生きている。職場と家の往復で、外食でパパッと食事を済ませて、寝るためにあるような家。仕事の待機場所のような存在の家。

働くために食べている。
働くために寝ている。
働くための待機所に住むための家賃を払うために、また働いている。

これが大人になるってことなのかよ。

23、4そこらの乙女だった私、この現実に気づき、急に虚しさがこみ上げました。

部屋は口ほどにものを言う

それから私は、結婚、退職、転居、別居、離婚、転職、再婚、同居、渡米、帰国、独立、といろんな人生のイベントを経験し、あまりにも目まぐるしい「暮らし」の移り変わりに適応するのが精一杯。そしてここ2年ほどは仕事が少し乗ってきたこともあって、平日は近所のカフェで仕事をし、休日は交通の便の良さを存分に使ってお出かけ。家ではいかに効率的に家事を処理していけるか考えてこなすのみ。若い時に感じた違和感など、つい最近まですっかり忘れていたのです。

しかし、コロナ騒ぎで仕事は減り、自宅にいることが多くなって、物質的で、無機質な空間のなかに身を置いていると、だんだんとあの時の違和感を思い出してきたんですね。そしてまた思ったのです。

「働くために、生きていたな」

私も夫も「仕事の鬼」ってわけではないのに、なんとなく家でも家のような気がしない。常に、駆け足で、何かのレースに乗っかっているかのように、「ゆっくりする」「寛ぐ」ということがない。正確にいうと、そうさせる空気がここにはない。

「都会的で便利な生活、環境を選んでいるんでしょう?だったらそのメリットを存分に生かして働かなきゃ」

って誰に言われているわけでもないのに、そう言われている気分になり、生き急いでいたんですね。

「暮らす」ということ

新しいお家にやってきてから3週間が経とうとしていますが、人は環境だけでこんなにも変われるんだなと思うほど、私も夫も、「ゆっくり」を選ぶようになりました。決して怠けものになったわけではないんです。ただ、

ゆっくりする、という選択肢もある

ということをこの空間が教えてくれたのです。

働くために生きるんじゃない。生きるために、働くんだ。生きるために寝るし、生きるために食べるし、豊かに生きるために、豊かな心でいられるような「暮らし」を選択するんだ。今までは「物質的で効率的に生活する」という暮らしを選んでいたけれど、これからは、時に立ち止まったり、休んだり、ゆっくりと息をついて、周りの素晴らしいものに目がいくような、そんなスタイルを選んでみては?
と語り掛けられてるような気分です。

ここには、そんな「暮らし」があります。



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