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”風と共に去りぬ”まで、、、

ここのところアメリカでは Black Lives Matter の暴動が各地で起きていて政治論や陰謀説とも絡んで議論を醸しています。

ここマウイ島では幸いそういった暴力的プロテストは起こっておらず、もちろんコロナ以降の緊張感はまだあるものの、島特有の、所詮人間がつべこべ云おうが自然と八百万の神にかなうものないよね、的なちょっと力の抜けた感じ、平和感を改めて有り難く思っています。

黒人差別に関して、私はこの国の住民となるまでごく一般的な表面上の知識しかありませんでした。それが変わった瞬間はよく覚えています。15年前カリフォルニアに住み始めた頃、バークレーで受けた講義で初めて、キング牧師の有名な ”私には夢がある” の演説テープを聴いた時のことです。鳥肌がたち、涙が溢れました。差別問題の”リアル”さを、世代を超えた大勢の魂のこもった思いを感じた瞬間でした。

最近の暴動は、その魂の思いとは別のところで、何かに煽られ、怒りや鬱憤にかられたかのように人々が暴力で街やそこに暮らす人々の生活を脅かしている。黒人のための正義、という一方で、暴動で滅茶苦茶に荒れたその街に暮らせなくなった黒人がまた怒りの声を上げている。

黒人を虐げる白人が悪い、だから白人を成敗しなくては、という論理は、そもそも黒人と白人とを分断する論理がベースだから本当の平和には結びつかない。

黒人だから白人だからアジア人だからヒスパニックだからアラブだから、、という分断。アメリカ人だから中国人だからフランス人だから日本人だから。男だから女だから。お金持ちだから貧乏だから。太っているから痩せているから。

なぜ私たち人間は分断したがるのだろう?

分断することで、私たちの目は本質からフォーカスが逸れる、ということに気付いていたいなあ、と思うのです。

そんな騒動の中、センサーシップに拍車がかかって大作映画、”風と共に去りぬ” が配信サービスから消されてしまったとか。なんだか政治的&カルト的思惑の絡んだこの騒動で大手メデイアは今回も右へ倣えで、その影響がこんなところにもでてしまったのかと愕然。人の心に感動を与えてくれるアート、そのピュアな美しさまで奪われてしまうのか、と、この映画は自分史上ナンバーなこともあり、ついムキになってしまうのです。





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