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ふいにバイオリンの音がして/エッセイ

近所に川に沿って伸びる公園がある。それほど大きい川ではないけれど、何キロも続いて、春はさくらで染まる公園だ。その色もとても綺麗だけれど、今は若葉の緑が鮮やかで目が潤う景色なっている。ベンチもたくさんある。ゆったりと幅の広い遊歩道には、小さい子の手を引いて散歩するお母さんやジョギングする人や足早に歩くスーツの人、風を切って自転車で駆け抜けてゆく人、それぞれの日常がいつも行き交っている。

うちから真っ直ぐ歩いていって、左が川上で右が川下だ。いつも左に曲がって川上へ歩くことが多かったけど、この頃は右に曲がり川下の方へ行くのがお気に入り。先日もその公園のベンチに座って本を読んでいた。そしたら、ふいにバイオリンの音が聞こえてきた。生の音だった。

音の出所を確かめようとおもむろに顔を上げたけど、その顔を上げた瞬間に目に映った景色が瑞々しくて、それはちょっとした衝撃で、その豊かさみたなのが今も心に残っている。空気が音を含んで色づいているように見えたのだ。

もちろん、実際には色なんて変わってないし、具体的な何色かが見えたわけでもない。でもそれまでの空気とは全然違って見えた。

その時は、まださくらの花が残っていて、でも半分くらいは葉桜になっていたんだけど、そのピンクと緑のコントラストがそれまでよりグッと際立ってより躍動して見えたというか。

その時「あぁ音楽っていいな」と思った。こうやって文字にするととても間抜けなんだけども。しかも、不勉強な私は、それがなんの曲なのかさっぱり分からない。おまけに、もしかしたらバイオリンじゃなくてヴィオラだったのかもしれない。それくらい私は音楽を知らない。それでも、あの公園で生演奏を聞いてもたらされた感覚は、とても味わいのあるいいものだった。

しばらくして音は途切れて、また始まったりしながら、最後に一曲演奏して終わった。音の間に話し声が聞こえて、どうやら、もう一段川の方へ降りたところで動画の撮影をしているようだった。

何はともあれ、私にとってそれはとても素敵なプレゼントだった。

今は、いつでもどこでも気軽にたくさんの音楽を聴けるけれど、人の指が弾いた弦から振動した楽器が作った音が、空気を震わして自分の耳に入る。それは、スピーカーやイヤホンとは違うものだった。聞いたというより体験したという感じ。

普段クラシックは聞かない人でも、商業施設やイベントの一角、ホテルのロビーとかの催しで生演奏されていたら、思わず立ち止まって聞き入ったという経験のある人は少なくないと思う。あれは、聞いたんじゃなくて体験なのだと思う。

言語化がもてはやされる昨今だけど、そういうピッタリとは言葉にできないし、言葉だけでは伝わらない身体知がこの世界にはたくさんある。誰かに説明できなくても、分かりやすい文章にできなくても、意味がないなんてことはちっともない。自分の身体を通して体験したそれをちゃんと心の引き出しにしまっておこうと思う。

なんだか綺麗な話になったけど、実はこのバイオリンの演奏の後、ちょっと残念なオチがあった。

なんていい気分だと、読んでいた本に目を戻した途端、頭上に小さな衝撃があった。帽子に大きな水滴が落ちたようで、空を見上げた。でも雨は降っていない。衝撃のあったあたりを指で触ると確かに湿っている。しかも少しねとっとした。嫌な予感がして慌てて帽子を取って見てみれば、鳥のうんちだった。首を九十度に曲げて真上を見ると、私の真上、頭上3メートルくらいに鳩がとまっていた。

今はその木も葉を茂らせているけれど、その時はまだ裸ん坊だったから、鳩のうんちは何にも遮られることなくまっすぐ私まで落ちてきたのだった。げげげ、と思ったけれど一つ発見もあった、鳩のうんちって全然臭くないのだ、ほぼ無臭。うんち=臭いと思っているから意外だった。

これも身をもって経験する身体知、、、、いや違うか。

栫彩子(カコイアヤコ)関西が拠点のフリーのフローリスト。 店舗を持たず、受注制作でアレンジ・花束を制作し宅配便でお届けしています。書くことも仕事にしたい。趣味は読書と英語と3DCG。

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