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自分にとっての“ちょうどいい”とは?

旅行から戻って家に帰ってくると、普段のルーティンに戻るのにちょっと時間がかかる。

そう考えると、憧れの二拠点生活など私にはなかなかに厳しいのでは、とおもったり。SANUなどサブスクの別荘にはとっても興味あるのだけど!

旅は好きだし、洗練された空間に身を置くのは、清々しくてよい刺激になる。でも帰ってきて自分の場所を整えることもなんだか愛おしく感じるのだ。

コロナ禍でルーティンが出来上がっていった

私の場合、早朝4時半か5時に起きて仕事や作業をするのが昨年くらいからの気持ちのよいルーティンに(なかなか起きれないときもあるけど)。

あとは、やらないと気持ちが悪くなってきた部屋の掃除。クイックルワイパーで埃をとってからの、掃除機。手が付けられず目をつむっている場所もあるけれど、軽い掃除はコロナ禍でいつの間にか日々の習慣に。元々きれい好きではないので立派な成長だ。

違う価値観とどう対峙するか

少し前に仙台の実家に帰ってきたときに、父から部屋が狭い問題をどうするのか、問い詰められた。(親子3人で1LDKなので度々言われてきた)

子供が来年小学生になるのに、かわいそう、と。私は今部屋を整えているのと、狭いのはかわいそうではないと言い返したのが、たぶんなかなか理解されないだろう。

小学生=子供部屋をもって机を与える。という価値観なのかな。

ダウンサイジングという新しい価値

Eテレで先日たまたま見た「ダウンサイジングで小さく豊かに暮らす」(明日も晴れ!人生レシピ)についてとても共感したのだが、今はモノをなるべく減らして、家族が心地よく仲良く暮らせていくのが一番だと思う。

もちろん他によい環境が見つかれば移るという選択肢もある。でもまだまだ無駄の多い我が家だから、今年は少しずつ断捨離を進め、自分、そして家族にとって“ちょうどいい”、を探っていきたい。



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