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フィギュアスケートの振付けの著作物性

1.はじめに

いよいよ冬季オリンピックの開幕が目前に迫りました。メディアでは連日、羽生選手をはじめとしたメダル候補の選手の動向が報道され、フィギュアスケートへの注目度の高さが感じられます。

そこで今回は、フィギュアスケートの振付けが著作物となりうるのか(著作物性)について、フィギュアスケートとバレエの振付けの異同を考慮しつつ、検討してみます。

バレエその他のダンスの振付けが著作物になりうることは論を俟たないですが(以前の投稿をご一読いただけると幸いです。)、フィギュアスケートのような競技の振付けもそうなのでしょうか。そんなことを考えながらオリンピック観戦をしてみるのも一興かと思います。

2.「スポーツ競技」に著作物が発生することへの素朴な違和感の正体

フィギュアスケートは、もとは氷上にブレードで描いた図形(figure)の精度を競う種目(これがfigure skatingの語源)でした。それに「音楽伴奏とともにバレエや社交ダンスで用いられるダンスの動きが取り入れたことで格段に発展し、現在のフィギュアスケートの原型」になったのだそうです。要するに、フィギュアスケートはバレエを含めたダンスの流れを汲んでいます(※1)。そうすると、バレエ同様フィギュアスケートの振付けにも著作物性が認められてよさそうです。

それでも、フィギュアスケートの振付けに著作権を認めることに違和感をもつ、あるいは新鮮さを覚える方は多いと思います。この背景には、著作権とは、小説、詩、映画、絵画、バレエ等、なにか「文化」的な香りのする表現活動について生じるものであり、スポーツ競技はそれに当たらないという思想があるものと想像します。この感覚は決しておかしなものではありません。著作権法に依拠してスタイリッシュに表現すると、次のようにまとめられそうです。

著作権法は、著作物を「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」(著作権法2条1項1号)と定義している。そして、著作物の例の一つとして、「舞踊又は無言劇の著作物」と規定している(同法10条1項3号)。いかに音楽に起因して身体を動かすという点でバレエその他の典型的な「舞踊」と共通であるとしても、点数(スコア)の獲得や勝利を目的とする動作の振付けは「思想又は感情を創作的に表現したもの」といえない。また、フィギュアスケートは「舞踊」そのものではない。

ただ、私は、競技としてのフィギュアスケートの振付けにも著作物性が肯定されるべきと考えています。次項でその根拠を説明します。

3.著作物性を肯定する根拠

(1)町田論文

フィギュアスケートの振付けの著作物性を考えるうえで絶対に欠かせないものに、元フィギュアスケーターの町田樹さんの論文があります(※2)。

「著作権法によるアーティスティック・スポーツの保護の可能性:振付を対象とした著作物性の確定をめぐる判断基準の検討」

日本知財学会の令和2年度優秀論文賞に輝いたとても意欲的な論考です。スポーツにおける著作権に関する国内外の先行研究を網羅してから、舞踊の振付けの著作物性についての裁判所の検討方法を分析し、さらに、フィギュアスケート等の競技規則や採点基準の内容を具体的に検証しています。そして、採点競技において選手の行う動きを「任務動作」「任意動作」に分類し(当該区分と命名は、町田さんの考案)、競技のなかで「任意動作」の占める割合が、競技の振付けに著作物性が認められうるかどうかの重要な基準であることを示しました。フィギュアスケートは競技時間に占める任意動作の割合が相対的に大きいので、フィギュアスケートの振付けは著作物になりうるとの結論を導いています。

町田論文の内容は多岐にわたるのですが、以下では、本稿の目的に関連し、かつ、同分野の他の論文で触れられていないと思われる点をかいつまんでご紹介します。

ア 「任務動作」と「任意動作」の区分/任意動作の占める割合

町田論文は、アーティスティック・スポーツ(※3)における身体動作を「任務動作」と「任意動作」という2つの概念で説明しています。この分類と名称は、町田さんが考案したものです(町田90頁)

任務動作とは、競技規則によって規定される動きのことで、その競技において必須の採点対象となる技とその準備動作を指しています。フィギュアスケートにおいては、ジャンプ、スピン、ステップなどがこれに当たります。ただし、ステップは規定の動作(エレメンツ)でありつつも、「足元のフットワークや上半身の動き等を駆使してどのように構成するかについては、選手や振付師の側の任意に委ねられている。」(町田90頁)ので、創作性を肯定しやすい面があります。

任意動作は、任務動作でない動きのことです。技と技のつなぎの部分がこれにあたります。

フィギュアスケートは、器械体操や高飛び込みと同じく採点競技ではありますが、それらの種目と異なり、任意動作の存在が初めから予定されています。また、競技時間のかなりの割合を占めます(新体操とも少し様相が異なります。新体操では競技中に実施する技の数に上限が設けられていないため、競技時間のほぼ全ての時間において、採点対象となる技が実施されています。)。

このことはフィギュアスケート・ファンであればすぐに納得されることかと思いますが、これがフィギュアスケートの振付けの著作物性を肯定する大きな根拠となります。

イ 採点規則、特に芸術点(演技構成点)について

勝利を目指すための振付けは「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)に当たらないとの意見に対する反論の根拠として、町田論文では採点規則が挙げられています。

フィギュアスケートには「演技の美的側面を評価するために構成」される芸術点(演技構成点)が設けられています。そして、採点規則は、5つの採点項目(”Composition”(構成)や”Interpretation of the Music”(曲の解釈)等)について、どのような観点で選手の演技を評価すべきかを規定しています。そのような規則の内容から、フィギュアスケートの選手は「音楽に基づいた独創的な動作のアレンジメントや、個性的もしくは創作的な音楽表現を氷上において動作で表現することが求められている」ことがわかります(町田80頁)。

「創作的な音楽表現を氷上において」身体動作により行うは選手ですが、その身体動作を考え、指定するのは振付家です。選手が独創的な動作のアレンジメントや個性的もしくは創作的な音楽表現を行えるような身体動作を考えることは、たとえ競技目的の振付けであっても「思想又は感情」の創作的な表現活動であるといえるでしょう。

町田論文のかかる指摘を読むと、スポーツに著作権は発生しないという見解は、競技/種目ごとの特性や相違、競技規則を詳細に検討しない、固定観念に基づく議論のような気がしてしまいます。

(2)補足

前項の説明でもなお、フィギュアスケートの振付けに著作権が生じうることへの違和感を拭えない読者のために、若干の補足説明を試みます。

ア 技や短いシークエンスに著作権は発生しない

競技であるフィギュアスケートに著作物を生じさせることへの抵抗感は、著作権法で種々の動きが禁じられてしまうためにフィギュアスケートの発展が阻害される、あるいは、選手が著作権を有するかどうかが競技の結果に影響するといった危惧に起因するものと思います。ただ、それは杞憂であろうと思います。

まず、技それ自体には著作権は生じません。フィギュアスケートのジャンプやスピンなどの技は著作物の対象になりません。この数年、ジャンプのときに腕を上げる(バレエのアンオーのポジション)選手が増えましたが、このようなアレンジにも著作権は生じません。この先、これまでにない跳び方の新しいジャンプ、今までされていなかった姿勢のイーグルが開発されても著作物の対象とならないので、どの選手も、著作権法に違反せずに同じ技を取り入れることができます。

ですので、上述の懸念を理由に一律にスポーツ分野における著作権の発生を否定する必要はないでしょう。そして、フィギュアスケートの振付けに著作物性を認めても、フィギュアスケートの競技としての発展を阻害することもないと考えられます。

このことは、振付けに著作物性が肯定されることに異論のないバレエを考えると明らかでしょう。アーティスティック・スポーツの競技と異なり、バレエには強制性のあるルールはありません。しかしながら、フィギュアスケートの「任務動作」に近いものとして、定石的なステップである「パ」やクラシック・バレエ固有の様式を挙げることができます。事実上の制約/約束ごとの多いクラシック・バレエの世界でも、毎年新しいバレエ作品が生み出され、改定され、ファンを楽しませてくれています。

イ 目的を分水嶺にすべきではない

フィギュアスケートのプログラムの振付けの目的(競技目的か否か)を著作物性の判断基準(分水嶺)とすべきではないと考えます。

(ア) フィギュアスケートでは目的は相対的なものにすぎない

フィギュアスケートの振付けの目的は相対的なものにすぎませんので、そもそも基準として機能しません

フィギュアスケートでは、現役の選手でも競技以外のシーンでプログラムを演じることがよくあります。例えば、シーズン序盤のアイスショーで、そのシーズンで使う予定のショート・プログラムを滑る選手がいます。お客さんの反応をみたり、新しいプラグラムに慣れたりするためでしょうから、競技との関連性が全くないわけではないでしょう。ですが、少なくともそのショーは競技ではありません。また、ショーエキシビションで、過去のシーズンで用いた人気のショート・プログラムが用いられることがあります。アンコールでそのシーズンのプログラムの一部を滑る選手も多いです。ショーやエキシビションに呼ばれる機会のあるトップ選手のための振付けほど、競技にもショーにも使われることとなります。

(イ) 競技目的は「思想又は感情」の表現であることを否定しない

競技目的の振付けは「思想又は感情」の表現に当たらないという主張にも、説得力を感じません。立法論として、「競技のプログラムには著作権を発生させない」と議論する余地はあるかもしれません。しかしながら、少なくとも現行の著作権法の解釈、そして、現在の裁判所の考え方からして、フィギュアスケートの振付けの著作物性が裁判で争われたとき、競技目的であることだけを理由に著作物性が否定されることはないと考えます。

著作物の要件の1つ、「思想又は感情」(を内容とする)とは、「表現対象を具体的に表現する過程において何らかの思想・感情が移入され、その結果として表現されたものに現れている思想・感情」と解されています(※4)。この要件があるために、データそのものや自然科学的事実そのものの記載は著作物に当たらないとされています。逆に言えば、「思想又は感情」は、そのような峻別を果たする機能があれば十分です。著作者のなんらかの精神活動といえればよく、哲学的、文学的なものは要求されないし、厳格でなくてよいと解釈されています。

ところで、著作権法は、著作物の例として「プログラム」を挙げています。なお、ここでいう「プログラム」は、「電子計算機を機能させて一の結果を得ることができるようにこれに対する指令を組み合わせたものとして表現したもの」(著作権法第10条1項9号)のことで、フィギュアスケートにおける「演目」の意味のプログラムではありません。

著作権法の改正で「プログラム」が著作物の例示として規定される以前は、プログラムが著作物にあたるかどうかについて大論争がありました。プログラムは、表現というよりも機能を目的としたものなので「思想又は感情」を内容としていないのではないかという疑問があったからです。「電子計算機を機能させて一の結果を得ることができるようにこれに対する指令を組み合わせたものとして表現したもの」が著作物として認められるなら、競技目的で1点でも高い点数を選手に獲得させるために、振付家が音楽に合わせてイマジネーションを活かして行う人間の動作の指令(振付け)は「思想又は感情」を含むと解釈するほうが収まりがよいでしょう。

また、そもそも著作物には「特に高邁な学問的内容、哲学的思索・文学的な香り等」は要求されません(※5)。なぜ振付けの著作物性を考えるときだけ、競技目的か否かが考慮されるのか不可思議です。

再度、バレエの振付けと比較します。バレエのコンクールに出場するダンサーのために、新しい作品が振り付けられたとします。あるダンサーを長年指導し、ダンサーの得手不得手を把握する振付家が、そのダンサーの苦手なパを極力取り入れず、得意なパを中心に組み合わせ、少しでも審査員から高い評価が得られるように工夫して振付けをした場合、その作品は、コンクールで良い点をとる目的であるとの理由で、著作物ではないと判断されてしまうのでしょうか。

コンクール(フランス語: concours)は、英語ではcompetion、つまり競争を意味します。参加者の技能・演技などの優劣を競う場ですので、「競技」といってもよいでしょう(バレエのような崇高な芸術を競技と呼ぶなというお叱りがあっても聞き流すことにします。)。しかしながら、バレエの振付けの著作物性を検討するにあたり、振付けの目的(公演目的かコンクール目的か)を考慮する議論は寡聞にして知りません。

4.表現としてのフィギュアスケート

さて、堅い話はこれくらいにして、世界的なアーティストが、音楽と身体表現を組み合わせたフィギュアスケートの魅力を語る記事を少しだけご紹介します。ぜひ原典をご一読ください。フィギュアスケートが採点競技なかでも、観る者の感性に訴え、振付家の思想を感じ取れるスポーツであることが伝わってきます。

ピアニスト反田恭平さん 「ショパンの想いに寄り沿って」(文芸春秋Number 1043 55頁)

ピアニストの反田さんが、羽生選手の「バラード第1番」について語った記事で、大変読み応えがありました。羽生選手の表現の素晴らしさを語ったものですが、バトルの振付けを評価するコメントがいくつかあったので、その部分を引用します。

続く左右のターンも音が頂点に上がったところで音楽の圧のようなものを理解した振付になっている。また、連続ジャンプのあたりではフレーズが3度繰り返されますが、ショパンは3回目で頂点に持ってきているんです。羽生選手はそこで1回目で序奏に入り、2回目はジャンプ、そして3回目のところで両手を大きく広げ、開放しているような印象です。
このプログラムは『バラード第1番』という曲を氷上に具現化したものといってもいいかもしれません。

バレエダンサー菅井円加さん(ハンブルク・バレエ プリンシパル)毎日新聞

表現者・羽生結弦 世界的バレエダンサー・菅井円加さんが語る(上)

表現者・羽生結弦 世界的バレエダンサー・菅井円加さんが語る(下


注釈

(1)笹川スポーツ財団「フィギュアスケートの歴史・沿革

(2)フィギュアスケートを含むアーティスティック・スポーツの振付けの著作物性に興味を持たれた方は、ぜひ上述の町田さんの論文をご一読ください(オンラインで公開されています。)。個人的には、町田論文で今後の課題としてあげられている、選手の「実演家」(著作権法2条1項4号四 俳優、舞踊家、演奏家、歌手その他実演を行う者及び実演を指揮し、又は演出する者)該当性についての論文の執筆を期待しているところです。

(3)町田論文において「評価対象となる身体運動の中に、音楽に動機づけられた表現行為が内在するスポーツ」と定義されています。

(4)中山信弘「著作権法」第2版 有斐閣2014年 44頁

(5)この点について近時、法曹関係者の間で話題になった裁判があります。弁護士の懲戒を求める理由等を記載して弁護士会に提出される「懲戒請求書」が著作物に当たるかどうかが争点の1つとなりました。懲戒請求を受けた弁護士が、懲戒請求への反論を行うことを目的に自身のブログで「懲戒請求書」(PDF)を全文を公開しました。懲戒請求者は、公開された懲戒請求書は著作物にあたるとして、著作権法に基づき、弁護士のブログから削除するよう求めました。
一審(東京地裁)も、控訴審(知財高裁)も、懲戒請求書が著作物に当たると認めましたが、知財高裁は、本件事案の経緯に鑑み、削除請求は「権利濫用」に当たるとして、懲戒請求者に請求を棄却しました。



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