10/11 いろいろな特性と、環境と

今朝は欠席、と言う息子。

今日は後期の始業式と、私は娘の家庭科の授業サポート(保護者ボランティア)があって、2時間目だけ私も学校へ。
※夫は在宅リモートワーカーなので、息子を家に置いていくことはできます。ただ、仕事しながら息子の相手は難しい。

サポートを終えて、息子が欠席で受け取っていない前期のあゆみ(通知表)をもらいに息子のクラスに行く。

「今日は4時間目に発表会(12月にある)の楽器の紹介と、楽器を演奏したい人を決めるんです。◯◯くん来られないでしょうか」
と、残念そうに担任の先生に言われ、朝は欠席と言っていたので来ないかもしれないですが伝えますね、とお返事して教室を出る。

息子も休みの間に、
そろそろみんなに会いたいなぁ、とか
僕2年生になれるのかな、とか呟いていたので、気にはなるのだな、と思う。
それと、楽器はあまり家で見る機会はないので、触れてほしい気持ちも私にある。

帰ってあゆみを本人に渡し、彼が確認した後に見せてもらったら、すべての項目が「できる(優)」だった。

「先生から、今日4時間目は音楽で、楽器を紹介するよ、来てほしいな、と聞いたよ。かーちゃんも、楽器は家だとあまり見る機会がないから、あなたに知ってほしいと思う。行かない? 授業一緒にいるからさ」
と声をかける。

いろいろやりとりの末、今、諸事情から遊べなくしているSwitchを今日30分できるようにする、という約束で4時間目から一緒に登校することに。

音楽室で、1年生が全員集まっての楽器紹介。
私も音楽室の端で見学させていただいた。
カーペットの音楽室に体育座りしてね、と言われて、教室前方に並んだ楽器と先生の方をみんな見ている。

息子が話していたクラスメイトはすぐにわかった。
一人上履きを脱いで立ち歩き、先生の横でピアノの鍵盤を押したり、紹介されている楽器の音を出したりしている。
じっとしていると落ち着かない、という感じなのかも。

紹介された楽器は全部で7つ。
ひとつ紹介が終わるたびに、ざわざわとして、進行されている先生が
「喋らない! 楽器はまだあるけど、ここで1年生の楽器紹介は終わりでいいのかな?」
「喋らない、と言うのはこれで何回目? 静かに聞いている子もいるよね。聞いてね」
と、集中するよう呼びかけている。

息子は私がいるから、というのも多少はあるかもしれないけれど、ぴしっと体育座りをして、始終黙って聞いていた。
紹介が終わるごとに、脛の前での小さな拍手と。

「理解」「効率」を大事だ、と必ず挙げてくる息子にとっては、確かに、無駄が多い、集中が切れる、と感じるかもしれないなぁ。
あとで息子に聞いたら、楽器は楽しかったみたい。

給食を用意している間や、下校は迎えに来てほしい、と言うので5時間目が終わって迎えに行って見ている様子だと、クラスの子とじゃれあって楽しそうにしている。
おもしろくないのは学ぶ、という点においてなんだと思う。
友達がいる前でも私に抱きついてきて、それを恥ずかしいとは全然思っていない感じ。

現場を見て初めてわかることがたくさんあるなぁ。
息子に学校なんで行きたくないの、行くんだよ、とだけ言っていた時の私には見えていなかったこと。

家に帰って夫と話をする。
夫は、「理解」「効率」が大事なのは自分もよくわかる。
高校や大学に進学してよかったと思うのは、学びたい意欲と、学ぶ内容への興味関心が同じようにある人たちと一緒に学べる環境があったこと。
環境を選べることは重要で、自分がいたい環境を選ぶためには、ある程度の学力も大事だと思うと。

家や学校で学ぶだけではなく、塾や学ぶ目的で集まっている友達や先生がいる環境があるといいのでは?
とか、今の息子に何が必要か、何がサポートできるか、について話をした。

学びに集中できる環境を、と私立に今から転入するか? というと、早くても中学からでいいのでは、とも話す。
いろいろな人がいるという体験と、仕事を始めてから多様な人がいる、と想像する手がかりになる体験をいつしただろう? と振り返ると、公立の学校だったと私たちは二人とも思っていて。
その瞬間にはざらっとする、嫌だったな、という体験も大事だと思う。

いろいろな考え方があると思うけれど、このあたりは親の考え方と、選択肢の幅として、親の時間的経済的状況も影響するなぁ。
本人が選ぶ、が今は難しいと感じることでもあって悩ましい。

そして気に入らないことがあるとすぐに怒る息子が他の人の状況を考える、ができるようになるには数年かかりそうだね、とも話す。

立ち歩いていたクラスメイトのことにも触れて、インクルーシブ教育や、多様さを受け入れようとすると増えていく先生方の負担感についても。
教室をうろうろしているクラスメイトのような子をサポートしようとすると、大人一人が追加で必要だな、と見学していて感じた。
その子の特性を尊重し、他の子と一緒に教室で学べるようにと考えると、という意味で。
一方で、静かでないと嫌だ、という息子のようなタイプの特性はおそらく外からはわかりづらく見えにくい、とも思う。

静かに集中できる環境を求める特性と、じっとしているのが難しい特性と、教育で先進的と言われている国や、個に寄り添う教育はどんなシステムでそれらの多様な特性や学びを尊重しているんだろう。

誰にとってもよい教育システムはない、というのもそうだなと思うし、本人が自分の特性を知って、自分に合った学び方や、大人になった後も今自分に必要な学びを選択していける力を身につけることができればいいのだと思うけれど、それはどんな形での支援があり得るのかな。

そしてそれは何も子ども時代だけの話ではなくて、一人ひとり様々な特性を持つ私たちが、他の人と一緒に社会で生きていくことについて考えることでもある、と思う。

自分の特性を自分が知ることにつながる機会が、子どもの頃から当たり前にあるといいなぁ、と思うのは私の関心だなぁ。

学校と家とを3往復しながら、息子のことから息子からはだいぶ離れたところまでぼやぼや考えた一日。

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