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移民と日本と辺境チャンネル。ウィシュマさんの一周忌に寄せて。

昨日の辺境チャンネルで、高野秀行さんが、最後にミャンマーの現状を総括し、ミャンマーのためにできることを提案という流れのなかで、こうおっしゃった。

ミャンマーを救えは日本を救えになる。超少子高齢化の日本の破滅を救うのは移民であり、ウクライナやミャンマーからの難民受け入れは、他国を助けるのみならず、日本の未来を救うことでもある。難民でも留学生でも、とにかく、じゃんじゃん来てもらって共存していくことが必要。

高野秀行辺境チャンネル

ミャンマーに関心を持ち続けようという結論を予想していたところ、移民受け入れと共存へ結論がもっていかれたことに、驚いた。ただ、内容そのものは、非常にもっともであると感じた。

特に、最近参加したセミナーや見聞きした移民関連のプロジェクトにリンクする部分が多々あった。せっかくなので、それらを簡単に紹介したい。

やさしい日本語

高野さんはチャンネルのなかで英語を第二公用語に!とおっしゃっていたが、いま日本ではコロナ禍の医療現場での「やさしい日本語」の普及に取り組まれている研究会がある。やさしい日本語の解説や、医療現場で使えるフレーズの動画紹介などが掲載されている。

海外の資格を日本で認めるー国家資格枠組みNQFー

さらに高野さんは、英語が公用語になれば日本語で医師免許などを取り直さなくていいと提案されていたが、これに近い発想の取り組みが日本で始動している。

すでに欧州では国家間で相互に資格を評価するシステムや評価の枠組みが出来上がっていて、資格を海外でそのまま使えるという。たとえば日本の看護師さんがオーストラリアで英語さえできれば、日本の資格でもって看護師として働けるというのだ。日本は、そうした考え方そのものは東京規約に批准することで賛同しているものの、実際の仕組みがないので、研究者や実務者で導入を図っているという。現状では、EPAでたとえばフィリピンの看護師資格を持った方が日本に来ても、日本語で試験を受けて資格を取り直さねばならない。

「外国人材の受入れに関する円卓会議」公開シンポジウム『選ばれる国になるための新たな戦略』

現状がもっともよくわかり、有識者や現場NPOの方、政策決定者も含めて移民政策について議論されたのが2/24に開催された、こちらのシンポジウム。動画アーカイブも閲覧できる。

内容をかいつまんで紹介すると、シンポジウム冒頭、10年20年で相当数の労働人口不足になり、そこを補う外国人材もまったく足りなくなる、という推計が提示された。

いま留学生の10人に一人がセブンイレブンで、5人に一人がコンビニでバイトしているという。ところが、在留資格の壁で、卒業後にコンビニに就職できないそうだ。

複数言語で育つ外国ルーツの子どもたちが教育システムや本来の発達からこぼれ落ちて、戻ることができない。把握すらされていないという。

あらゆるところに制度の綻び、公的支援の不足がある一方、後半の発表では、大学、NPO、地域、企業の現場で、外国人受け入れ・共生への取り組みがなされ、知見が蓄積されていることも発表されていた。

最後に生団連会長が「日本は20年賃金変わらない。政府の決定が遅い。企業経営でいえば失敗であり倒産。全体的に賃金・収入を底上げしていく必要がある。外国から働きに来ていただくことなしに日本社会は立ち行かない。受け入れるかグダグダ話している間に、第四次産業革命から取り残される。外国人が来日して、母国から家族を呼ぶのに13年もかかっていたところ、8年になったが、それでも長すぎる。家族をそんなに長く呼べないのは、人権問題である。これは政治の責任。対応・変化のスピードが遅すぎる。永田町の空気など慮ってのんびり話あっている場合ではない!」と発言されていたことが印象に残った。

ウィシュマさんが亡くなってから1年

奇しくも、今日は入管に収容されていたスリランカ人のウィシュマさんが亡くなってから1年がたつ。その死をめぐって、入管の責任が問われているが、まだ事実関係の全容が把握されず、裁判中である。

ウクライナからの難民受け入れに大きな賛同が集まる今、そのほかの国から庇護を求めてこられる方々や、すでに日本に来られて、日本で生きていきたいと望んでくださっている方々と、どう共存共生していくのかも、考えていけたらと思う。群馬県大泉町がウクライナ難民受け入れを表明したそうだ。

町は2017年に「平和都市宣言」をして、「あらゆる差別の撤廃をめざす人権擁護条例」を制定。住民のうち外国人の占める割合は約2割に上り、46カ国の外国人が永住・定住している現状から、村山町長は「ウクライナの難民にとっても住みやすい町であるはずだ」と強調

上毛新聞社のニュースサイト

ウィシュマさんの死をめぐっては、入管の制度が人の命を守れるようにできていないのではないかと暗澹たる想いがしている。しかし、その一方で、共存共生をめざす現場の取り組みや議論が具体的に進んでいること、大泉町の努力の積み重ねと受け入れ姿勢に救われる想いがした。

助け、助けられる、自由に移動できる世の中に

ウクライナ侵攻をみて、日本もいつ何が起きるかわからないという気持ちになった人は少なくないのではないだろうか。安全保障の議論もさることながら、逃げてくる方を受け入れられる日本になり、もし日本から逃げる必要があれば、どこかで受け入れてもらえるような、あるいはより良い暮らしのために国境を移動していくことが、今よりもっと自由になっていく、そんな世の中をつくっていくことが必要だと、辺境チャンネルを聞いて、あらためて思った。

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