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「空気を読む」文化の作られ方

こんにちは!
みなさん、「空気」、読んでますか?

「空気を読む」というのはそれ自体かなり高度なコミュニケーションで、その高度なコミュニケーションが集団(複数人)においてなされるので、ある種の芸能のように見えたりもします。「空気を読む」ということそのこと自体にはいいも悪いもないですが(良い方向にも望ましくない方向にも作用しうる)、無自覚に「空気を読むこと」が染み付いていると、いつの間にか自分を見失ってしまうこともありそうです。

私の大好きな漫画「凪のお暇」には「空気は読まずに吸って吐くもの」という台詞がありますが、今の日本の閉塞感の根っこには悪い方向に作用している「空気を読む」文化があるように思います。

謎に満ちた「空気を読む」文化についてナナメ45度から紐解いてみたいと思います。

「空気を読む」文化

私には兼ねてから日本における「空気を読む」文化が謎でした。小学校3年で海外に転校し、小学校5年の終わりに戻ってきた時、前と同じ学校なのに決定的に違う空気感にだいぶ戸惑ったのを覚えています。今になって思えば、私が不在にしていた小学校3年〜5年くらいの間に「空気を読む」文化の醸成が進んでいたからなのではないかと思います。

クラスの中を泳ぐ、透明な生き物のような存在。
いつの間にか特定の考えがクラスの間で共有されていたり、ガラリと潮目が変わるようにクラスの雰囲気が急に方向転換したり、いつの間にかいじめのターゲットが変わっていたり、いじめっ子が力を失っていったり、不思議なオーケストレーションというか一体感がクラスを覆っているようでした。

あの目に見えないよくわからない生き物のような存在がなんだったのか当時は謎でしたが、「空気を読む文化」が作った「空気」なのではないかと最近思い当たりました。

「空気を読む」ことをどう学ぶか

では、「空気を読む」文化はどのようにして学習されるのでしょう?
どんな種類の文化も、私たちは生まれながらにして備えているわけではなく、家庭や学校・地域社会等で人と関わる中で習得していきます。

理屈ではそうなのですが、では具体的にどのようにして「空気を読む」ということを私たちは学んできたのでしょう?
「空気を読む」ことを習得するにはかなり高難度な学習が関わってきます。というのも、「空気を読む」ことが求めることは、「言葉で指摘されずとも全体の場の動向/その場で期待されていることを感知してそこに合わせていく」ことなので、「空気を読みなさいね」といった直接的な言葉だけでは学習しづらいからです。

ここでは、「空気を読む」学習がどのようになされているのか、難易度別に/ステップバイステップで紐解いてみたいと思います。ちなみに「空気を読む」学習は時にハラスメントを伴うので、ここで紹介するステップは「どうやったらハラスメント的学習が成り立つか★」のガイドでもあると言えます。悪用厳禁。でも知っていたら客観視できます。

(レベル1)「規範」の具体的な説明+「逸脱している」と個人的に指摘

「空気読み」の初心者にとっては一番学習しやすいのが、具体的かつ直接的表現です。「今ここではあなたはこういう立場なので、こういう動きが求められている」といった説明や指示が直接本人になされます。加えて、「あなたはその求められることをやっていない」とその場における規範から逸脱していることも伝えられます。
これに加えられるのが「言われなくてもやってね」「こんなこと言われなくても分かるだろう」といった非難のメッセージです。直接的にいうこともあれば、声色などを通して示されたりします。言われた側としては、「何か自分がまずかったらしい」という感覚を抱きます。

私が会社に勤めていた頃、新人歓迎会で「君は一番の新人なのだからお酒を注いで回るものだし、食べ物を率先して配らないといけない。言われなくても小間使いのように動くんだよ」と言われたことを思い出します(遠い目)。「新人」歓迎会なのではないのか?と当時の私は思いましたが、時代は昭和です。いや、実際の年号は平成でしたが、昭和です。

でもまあ、「この場で求められているのはこういう動きだ」ということを教えてくれるという点では親切です。そういう「(その場における)規範」を知った上でどうするのかは自分で決められますし、「自分が何かまずかったのか?」と自分を疑うも疑わないも選ぶことができます。(その場における「規範」がいつも絶対的に正しいとは限らないという視点は大事)

(レベル2)「規範」の具体的説明+「逸脱者がいる」ことのみ指摘

ここからは少し上級者向けになってきます。
その場で求められる事柄(規範)は具体的に説明され、かつ、そのルールに沿っていない者がいることも示されます。ただ、具体的にそれが「誰」なのか、特定はされません。

例えば「このようなルールであると言いましたね」「でも十分そのルールを守れていない人がいます」と言った発言です。これを聞いた集団の中にいる人々は、周りと自分をそっと見比べます。
具体的に「誰」とは言わないのがミソで、しかし同時に「規範からはみ出ている者はいる」ということは伝えるので、「誰だ?」と集団内における逸脱者探しが始まります。なんとハイレベル!!この辺りから「空気を読む」という芸能の本質が現れてきます。

(レベル3)「規範」の具体的説明+「逸脱者がいる」かは暗示的

さらにレベルが上がると、具体的な規範を示しつつ、その規範から逸脱している人がいるのかいないのかをはっきりは言いません。

例えば、「みなさん、xxxxと言いましたね」「守れていますか?」「守れていない人は自分で分かるはず」と言った言葉です。「逸脱者がそもそもいるのかいないのかもはっきり示さない」ものの、あえてその話題を出すということは「逸脱者がいる」という暗示的メッセージのようにも聞こえます。ここでも、「逸脱者がいるのか?」「誰だ?」と、集団内での比較と逸脱者が探しが始まります。

このパターンは集団内だけではなく一対一でも見ることができます。

さあ、「空気を読む」芸能、まだまだ上級レベルがあります。
次に行ってみよう!

(レベル4)「規範」の具体的説明がなされない+「逸脱者がいる」かは暗示的

「空気を読む」学習の最高峰、レベル4です。最高峰であり、よく多用される手法でもあります。
その場において求められる「規範」がなんなのかは具体的に説明されません。また、その明示されない「規範」に逸脱しているかどうかも直接的には示されないことが多いです。ただ、声色や表情、態度などを通じた非難的なメッセージが発せられ、受け手は「自分または誰かが何かを逸脱しているらしい」というニュアンスを感じとります。

こんな場面で使われる最強キーワードは「言わなくても/言われなくても分かるでしょう」です。メッセージを発する側は「真剣」で「深刻」な空気を作ったりします。

このレベル4において受け手が「空気を読む」ためにはその前段階としてレベル1〜3を辿る必要があります。レベル1〜3の経験なしに「言われなくても分かるでしょう」と言われたって、言われた側は「え、何が?」とポカンとするだけ。
レベル4において「何かまずいようだ」と察知し、「何がまずいのだろう?」と振り返ったり周りを観察できるのはレベル1〜3を経た猛者たちです。彼らだけがレベル4のメッセージに反応することができます。

そう考えると、「空気を読む」文化は、「空気を読むこと」を求める側とそのメッセージに応答する側、双方の能力と行動によってなされるとも言えます(「空気を読む」ことを求められる側は社会的に弱い立場にあることが多く、それに応答せざるをえない場合も多いという力の不均衡はもちろん留意しつつ)。

(レベル5)「空気を読む」文化の自動実行

レベル4まできたら「空気を読む」文化はほぼ完成です。
ここからは、「誰も指示しなくても」自動実行的に「空気を読む」文化が再生産されていきます。

誰に求められずとも自ら「空気を読み」、全体の中で「逸脱」しないように自己を制御し、あるいはそこに馴染んでいないものを「逸脱者」として「注意」したり暗示的・明示的に伝えたりします。

以上、「空気を読む」文化の作られ方について紐解いてみました。

(番外編)「空気を読む」文化を支える「集団に合わせないといけない」

番外編ですが、「空気を読む」文化と両輪の関係にあるのが「1人目立ってはいけない」「みんなと一緒でないといけない」「集団に合わせないといけない」文化です。

・1人だけxxxxしたら恥ずかしいよ
・みんなを待たせているよ

こんなメッセージもよく発せられます。
鶏が先か卵が先か問題ですが、このメッセージを発したいがために集団についてこれていない誰かを作っていないか?と思わされる場面もあります。
例としてはこんな感じです:「さあ、xxxxをしてください」「早くできた人から手を上げましょう」「xxxxさんはまだですか?みんなxxxさんがxxxxするのを待ってますよ」
集団内で競争したり比較したりする状況を作り、そこで一番遅い人や目立つ人をピックアップします。かつ、そこでピックアップされることが「恥ずかしい」「よくないこと」というメッセージも発せられます。

30年くらい前の小学校時代、心底不思議だったあの目に見えない不思議な空気感。あれは「空気を読む」学習と「集団に合わせる」学習があわさることで生み出されていたのではないかと・・・今になってと思います。

未来へ!

「空気を読む」文化、「集団に合わせる」文化。
これらの文化が「脅し」や「恐怖」「不安」ベースに学習される場合、その学習を通じて教えられるのは「相手の顔色を伺うこと」や「外部からの目線で動くこと」「集団から飛び出ないようにすること」などです。

イマジネーションとか、創造性とか、人生の楽しさとか、興奮、ワクワク、フロー、夢中になる、主体性、そういうものとはかなり離れてしまいます。

若い世代の中には「空気を読みつつも読まない(マイペース/自分主体)」・「そもそもそんな空気がない」という雰囲気もあるような感じがします。
そうだとしたら!!!!すごく!!!!!!いいね!!!と思います。


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