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#帯津先生シリーズ【臨床の知と科学の知】


 
「医療は臨床の知。
 科学でやろうとしてはいけない。」

 
これ、よく意味わかんないよね。
わたしも、医学医療っておんなじ意味じゃんって思ってた。


でもね、違うのです。
 
医学って、オベンキョのこと。
学問なのです。

約400年前のニュートンの時代から
身体の中のことがだんだんわかってきた。

どこに臓器があるのかとか、
腎臓の働きは、濾過して尿を作ることとか、
赤血球の働きは、酸素を運搬して補給することとか
すごい勢いで、身体のことが解明されてきた。

だから、
血液検査データの数字が出れば、
正常・異常という意味づけがあるし、
治療法はこうした方がいいっていう答えがある。

白黒はっきりできる、これが、科学の知。


 
でも医療っていうのは、
お勉強ではない。実践だ
それが、臨床。

医療は、
目の前に患者さんというお相手がいる。
 
 
学問には、答えがある。
でも、臨床には絶対の答えはない。
 

 
がんがあって、化学療法をする、
という答えがあっても

そのかたの年齢や体力、経済背景、とかとか
全部違う。
一つのアプローチとしてあるだけで
化学療法というアプローチをすることが正解だとは限らない
 

(わたしが思うに)
答えがあるとしたら
その人の「納得解」だけだ。

 
その方が「どう生きていたいか」
だから、化学療法を選ぶ。
だから、化学療法を選ばない。


いつか終わるそのときに
どんな最後を望んでいるか。

 
その人のいのちを生きるため
必要な医療を使ったらいい。


 

臨床の知と科学の知。

臨床には、
科学みたいに白と黒みたいにはっきりした答えはない。
グレーがたくさんある。

そして、その中に
その方の納得した答えがあったらいい。
 

でもそれを選ぶためには
そのひとそれぞれの「死生観」が必要。 


最後の時に大切にしたいこと、
つまり、どうに生きていきたいかは、

気付こうとしなければ
自分でもわからない、のではないか。

これはわたしが臨床を通して感じること。


そして、「何を大切にしたいのか」がわからないこと
どうしたらいいかわからない苦しみに
つながっている
んじゃないかなあってことも。

でも、大丈夫だよ、
誰も一人じゃグレーの中の納得解は行きつかないし
正解がないからこそ、考え続けるものだからです。
 


こんなこと考えてると頭爆発しちゃうから
いつもは考えなくていいよ。

でも一回くらい考えてみても
いいかもね💓


はい!じゃーん!
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