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《世界史》ホロコースト

こんにちは。
Ayaです。
今日はホロコーストについて取り上げます。今まで扱ってきたなかで一番重たい内容です。できるだけマイルドな表現を心がけますが、史実を伝えるため残酷な表現になる可能性があります。ご容赦ください。

ユダヤ人の処遇はヨーロッパでは常に悪いものでした。新約聖書でイエス=キリストを無罪の罪で告発したという記述がそもそもの発端ではないかと思われます。ローマ帝国初期にユダヤ人国家は滅ぼされ、ユダヤ人の多くがヨーロッパ各地へ離散することとなります。移民先ではシナゴーグと呼ばれる宗教施設を基盤にゲットーと言われるコミュニティーは確保しましたが、ユダヤ人の多くがまともな仕事に着けず、金融業者を営んでいたことも人々の嫌悪を煽ったと考えられています。世論の不満が溜まると度々標的とされ、帝政ロシア末期ではポグロムというユダヤ人に対する集団暴行事件が発生しましたが、官警はこの暴行を止めないどころが積極的に煽ったといわれています。
この迫害を組織的に行ったのが、ヒトラー率いるナチス・ドイツでした。

水晶の夜(1938)

ヒトラーがいつから反ユダヤ主義を抱くようになったのかは明らかになっていません。私は発端は共産主義への恐怖ではないかと考えます。共産主義はユダヤ人であったカール・マルクスが提唱した思想ですし、ユダヤ人にも多くの信奉者がいると考えられていました。(ポグロムでは共産主義と通じていると無実の罪を着せられ、虐殺されたユダヤ人も多くいました)
共産主義への恐怖とともに、ナチスの主張する『アーリア人種の優越性』がさらに拍車をかけていきます。ドイツ人は純粋なアーリア人(北方ゲルマン民族)であり、それ以外の人種は『劣等人種』であるという思想です。この『劣等人種』にはスラブ人やロマも含まれましたが、最も標的とされたのがユダヤ人です。1935年、悪名高い『ニュルンベルク法』が成立しました。この『ニュルンベルク法』ではユダヤ人の定義(祖父母にユダヤ人がいれば本人は信仰していなくともユダヤ人とされる)や公民権の停止、ユダヤ人とドイツ人の結婚が禁止されました。しかし、ユダヤ人たちはヒトラーの『ユダヤ人に対する最後の権利剥奪』という明言を信じていた上、すでに公民権は事実上廃止されており、中には安心した者もいたそうです。国民にはすでにユダヤ人迫害が根付いており、他国からの反応も皆無でした。この程度では生ぬるいと判断したナチス幹部は、1938年『水晶の夜』事件を起こします。この事件はユダヤ人の商店やシナゴーグを突撃隊員たちに破壊・略奪させたものです。この事件でユダヤ人の立場はさらに悪化しました。

水晶の夜事件

ヒトラーらナチス幹部は当初、ユダヤ人を強制移住させる計画を立てていました。しかし受入れ先であった南米諸国から難色を示されるようになると、『最終的解決』つまり抹殺へ舵を切ります。親衛隊幹部のハイドリヒやアイヒマンらがその実行を担当することとなります。

ラインハルト・ハイドリヒ
冷酷な人物で『金髪の野獣』と恐れられた。1942年チェコ人スパイによって暗殺された。
アドルフ・アイヒマン
第二次世界大戦後南米に逃亡していたが、イスラエル政府に逮捕される。残虐非道な人物とされていたが、裁判を取材したユダヤ系哲学者アンナ・ハーレントは『小役人』と評し、『悪の凡庸さ』の恐ろしさを説いている。1962年処刑される。

強制収容所


1942年ヴァンゼー会議にて『ユダヤ人問題の最終的解決』が話し合われます。この会議で労働可能なユダヤ人は搾取され、労働が不可能になった時点で殺害するという流れを決定したのです。ヒトラーはこの会議に出席していませんが、勿論ヒトラーの同意があっての上でしょう。この会議後、ドイツ国内および占領地のユダヤ人が大量に逮捕され、強制収容所に移送されることとなります。
強制収容所は元々ナチスに反対した政治犯が収容・強制労働させる施設でした。ユダヤ人の大量移送から、スラブ人やロマ、障害者や同性愛者なども収容されるようになります。中には抹殺するための収容施設(絶滅収容所)もあり、その最も大きいものが、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所です。

移送されるユダヤ人

逮捕されたユダヤ人は貨物列車に立ったまま押し込まれ、食事も排泄もままならない状態で強制収容所に移送されます。強制収容所につくと下車させされ、整列させられます。親衛隊員による『選別』で、強制労働に従事させる者とすぐ最終処分する者をより分けるためです。
強制労働に回された者は所持品を取り上げられて、バラックに押し込められます。彼らは『働けば自由になる』と書かれた門を通り、強制労働に従事させられることになります。厳しい労働環境や親衛隊の理不尽な暴力にも必死に耐えなければなりませんでした。体調を崩せば、『最終処分』にまわされることはわかっていたからです。

『働けば自由になれる』の標語が掲げられた門


ゾンダー・コマンド


選別で『最終処分』と判断された者、強制収容所内で病気に倒れた者は『死の工場』と呼ばれたガス室に送られます。ガス室にチクロンBを仕掛けるのは親衛隊員でしたが、その準備や遺体処理を担当したのは『ゾンダー・コマンド』と呼ばれるユダヤ人部隊でした。
『ゾンダー・コマンド』は移送されてきたユダヤ人から選別された人々で構成されていました。断ればその場で射殺されるため、強制的に従事させられたのです。他の強制労働の囚人よりはよい待遇を受けていましたが、機密に従事しているため一定期間を過ぎると、『最終処分』される決まりでした。
『最終処分』を決定された人々が運び込まれると、恐怖で泣け叫ぶ彼らを「これからシャワーを浴びるのだ」と説得して服を脱がせ、ガス室に誘導します。ガス室に人々を押し込めると入り口を閉じ、親衛隊員の到着を待ちます。親衛隊員がチクロンBを投入すると、閉じ込められた人々の阿鼻叫喚が聞こえ、10分ほどすると静かになります。親衛隊員は換気処理をして立ち去ります。

ガス室
少しでも多くの人々を押し込もうとした結果、ガスが投入される前に窒息死する者もいたといわれている。

この後からゾンダー・コマンドの本当の仕事の始まりです。折り重なった人々の遺体をガス室から運び出し、髪の毛や金歯を抜き取った後、上の焼却棟に送ります。焼却担当のゾンダー・コマンドが遺体を焼却炉に投げ込み、燃え残った骨を粉砕します。この非人道的な仕事の最中に、自分の家族の遺体を見つけることもあったそうです。
彼らがいなければ遺体の処理ができないため、親衛隊からも比較的ましな環境を与えられていたゾンダー・コマンドたち。内部で結束しないように年齢層や出身地がバラバラの者たちが選ばれましたが、ナチス・ドイツの敗戦の情報も正確に掴んでいました。彼らは収容所内に潜伏していたポーランド亡命政府のスパイを通じて、イギリスに『最終処分』の実態を告発します。

ゾンダー・コマンドが告発した遺体処理の風景

しかし、イギリス政府やアメリカ政府は何の手も打ちませんでした。ナチス・ドイツの手から逃れてきたユダヤ人たちが、自分たちの仕事を奪っていると国民から思われていたからでした。もし、この告発を公表すれば、ナチス・ドイツは殺戮から海外移住に切り替えるかもしれず、これ以上ユダヤ難民を受け入れて国民の反発を買いたくなかったのです。
唯一の希望を失ったゾンダー・コマンドたち。しかし、彼らは諦めず、次の行動に出ます。反乱を起こしてガス室を爆破のうえ親衛隊員を殺害し、ユダヤ人たちを解放しようというものでした。この計画は1944年10月に実行されました。一部のガス室は爆破され親衛隊員も3名殺害されましたが、鎮圧されてしまいます。反乱に加わったゾンダー・コマンドたちの一部はどさくさに紛れて逃亡に成功しましたが、ほとんどの451名は処刑されました。
結局、強制収容所が解放されたのは、連合国側の侵攻を受けてからでした。連合国側の兵士はあまりに悲惨な状況に絶句したといわれています。
ナチス・ドイツによるホロコーストでの犠牲者の数は明らかになっていません。退却直前、ドイツ側が書類を廃棄したり、生き残りのユダヤ人を移送する間で処刑してしまったからです。現在では575万人ぐらいではないかと言われています。

犠牲者の多くが女性やこども、高齢者だった。彼らの多くが『利用価値のない人間』とされ、ガス室に送り込まれた。

生き残ったゾンダー・コマンドたちも口を閉ざしていましたが、生存者シュロモ・ヴェネツィア(1923~2012)の著書『私はガス室で「特殊任務」をしていたー知られざるアウシュビッツの悪夢』が発行されています。彼はゾンダー・コマンドの仕事についてこう記しています。

”1,2週間すると、結局慣れてしまった。すべてに慣れた。むかつくような悪臭にも慣れた。ある瞬間を過ぎると、何も感じなくなった。回転する車輪に組み込まれてしまった。"
シュロモ・ヴェネツィア
『私はガス室で「特殊任務」をしていたー知られざるアウシュビッツの悪夢』(鳥取絹子訳) 

ホロコーストについてのまとめ、終わりました。『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクを密告したのがユダヤ人男性だとされ、その遺族が出版社を訴えた事件は記憶に新しいでしょう。
ユダヤ人にユダヤ人の遺体を処理させる…。実際にチクロンBを投与し殺害していたのは親衛隊員ですが、彼らは犠牲者の遺体を見ることもありませんでした。カポ(強制労働監督者。ユダヤ人から選別された)と同様に親衛隊員の精神状態を守るための身勝手な措置としか思えません。ゾンダー・コマンドたちの存在はホロコーストの恐ろしさ、人間追いつめられるとここまで残酷になれるという恐ろしい事実を現代の我々に伝えてくれます。

とても重い内容ですが、読んでくださってありがとうございます。ナチス関連はあと2回を予定しております。次回は『ヒトラーと女性たち』です。

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