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《美術史》ヤン・ファン・エイク

こんにちは。
Ayaです。
今日は北方ルネサンスのヤン・ファン・エイクについてまとめてみます。
北方ルネサンスの定義は曖昧で、イタリア以外のルネサンス的な活動をまとめていうようです。ただその影響の受け方も国や画家によって違うので、独自の美術に発展させていったと言えるでしょう。
今回取り上げるヤン・ファン・エイクも生きた時代は古いですが、そんな一人です。完全に私の趣味で選びました!!(←え!!?)

ヤン・ファン・エイク(1395?〜1441)

ヤン・ファン・エイクは生年も生地も不明です。現存する資料から逆算して1395年ごろまでの生まれで、名前の『エイク』からマースエイク出身だろうと推定されています。どの画家のもとで修行したからも明らかになっていない謎の画家です。兄弟のフーベルトも画家で『へントの祭壇画』を共作していましたが、作成中に亡くなってしまいます。
その制作を引き継ぎ完成させたことから彼の画業が伝わります。

『ヘントの祭壇画』
兄弟の作品をヤンが引き継ぎ完成させた。多翼の祭壇画で12枚のパネルで構成されている。

ブルゴーニュ公フィリップの宮廷に迎えられると、油彩画の画法を確立します。当時の主流はテンペラ画で、油絵は木材の着色などにしか使われていませんでした。そこに彼は注目し、透明な油絵具を重ねることで実在感を出す画風を確立しました。このことから、後世彼は『油絵の父』と呼ばれるようになります。
もう一つの特徴がその驚異的な描写力です。髪の毛一本すら描ききる描写力は、我々に現実かと錯覚させます。現存している作品は二十数点と少ないですが、ネーデルランド絵画の頂点と言えるでしょう。

『赤いターバンの男』
ヤン・ファン・エイクの自画像と伝わる。
『アルノルフィーニ夫妻の肖像』
最高傑作。友人の結婚の記念に描いた。奥の鏡には立会人として画家本人も映り込んでいる。鏡の上に『ヤン・ファン・エイクここにあり』とサインが入っている。
『ファン・デル・パーレの聖母子』
聖母子と2人の聖人、寄進者パーレが描かれている。後年このパーレ像を見て、医者が死因が脳梗塞と見抜いた逸話が伝わる。
『宰相ロランの聖母』
通常寄進者は小さく描かれるが、この作品は同じ大きさで描かれている珍しい例。柱の上や下に七つの大罪を表す動物が描かれている。

生前から名声を得ていたヤン・ファン・エイクですが、1441年亡くなります。享年46歳(推定)。主君フィリップは死後もヤンの遺族の処遇に気を配り、娘の修道院入りの支度金も準備していることからも、ヤンの人柄が伝わります。

ヤン・ファン・エイク、まとめました。北方ルネサンスについて調べたら一番最初に出てくる画家なのですが、無理矢理すぎましたね(反省)。
学生時代高価な画集を父に買ってもらったという私にとって思いれ深い画家です。日本での知名度が低すぎるので、いつか実物を見に行きたいです。

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