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《世界史》古代ローマの共和制成立

こんにちは。
Ayaです。
今日から古代ローマについてです。とりあえず、古代ローマの成立からネロまでとりあげるつもりです。

伝説では、古代ローマの祖先はトロイア戦争の生き残りアイネイアス(ウェーヌスの息子)とされています。この伝説は紀元前4世紀ごろには確立されていたようです。しかし、ギリシアを属州とすると、トロイア戦争は紀元前12世紀ごろであると知り、時代があわないということとなったのでしょう。この空白を埋めるために、5人の王に治めた王政期の伝説も加えられたと考えられます。
今回はこの王政期について取り上げます。

ロムルス(B.C.771〜B.C.717)

アイネイアスの子孫にヌミトルという人がいました。彼の家系は代々ラティウムという土地を支配していました。しかし、彼の弟アームリウスにより王位を簒奪されてしまいます。さらにアームリウスはヌミトルの娘レア・シルウィアをウェスタ(ヘスティーア)の巫女にしてしまいました。これは彼女に結婚させず、王位継承者を産まないようにするための処置でした。
ところが、このレア・シルウィアに一目惚れした神がいました。軍神マールス(アレス)です。二人は関係を結び、男子の双子が誕生しました。

ルーベンス『マールスとレア・シルウィア』

アームリウスは当然激怒、生まれた双子をティベレ川に流すように命じました。双子を入れた籠はティベレ川の途中で川岸に引っかかり、牝オオカミに見つけられます。牝オオカミは自分の子のように双子に乳を与えたので、二人はなんとか生き延びることができました。その姿を見つけた羊飼いの夫婦に拾われて、ロムルスとレムスと名付けられ、育てられます。

牝オオカミから乳をもらうロムルスとレムスの像

二人は成長すると、地元のリーダーになっていき、自分たちの出生の秘密を知ることとなります。
二人はアームリウスへの復讐を決め、クーデターを決行します。クーデターはみごと成功し、アームリウスを殺害しました。すでに二人の母レア・シルウィアは獄中で亡くなっていましたが、祖父のヌミトルを救出できました。ヌミトルは二人に即位を勧めましたが、二人は固辞し、ヌミトルを復位させます。目標を達成した二人は、新たな国を建国しようと、祖父の宮殿を去ります。
二人は牝オオカミに拾われたティベレ川下流を拠点に選びました。いままで意見の割れることがなかった二人ですが、新たな国家の城壁をどこにつくるかで揉めてしまいます。ロムルスはパラティーノの丘、レムスはアウェンティウスの丘に城壁を作るべきだとして、譲らなかったのです。結局二人は神に判断を任せるとして、それぞれ祭壇を作ります。祭壇を作ってすぐにアウェンティウスの丘のレムスの祭壇に6羽の鷹が舞い降り、それからしばらくして、パラティーノの丘のロムルスの祭壇に12羽の鷹が舞い降りました。
ロムルスはレムスより多くの鷹が舞い降りたことから神意はこちらにあるとして、パラティーノの丘から都市を築き始めました。一方、レムスは数は少なくとも、先に鷹が舞い降りたのは自分の方だとして折れませんでした。結局、二人は境界線を設置するほど、仲が険悪になってしまいます。
そして、あるとき、レムスが境界線を飛び越えてしまいます。これはロムルスに対する明らかな挑発行為であり、二人は決闘を行います。ロムルスはレムスを殺害、支配権を確立します。
さて、ロムルスは都市を完成させ、自らの名前から『ローマ』と名付けました。
これが古代ローマの始まりですが、早速問題が発生しました。ここの住民たちはロムルスの羊飼い時代からの仲間など男性しかいなかったのです。そこで、ロムルスは近隣のサビニ族に目をつけます。
サビニ族の人々を祭りに招き、宴を開きました。宴も終盤になった頃、ロムルスが合図を出し、ローマの男たちが一斉に襲いかかり、若い娘たちを略奪したのです。

ニコラ・プッサン『サビニの女たちの掠奪』

逃げ帰ったサビニ族の男性たちは娘たちを救出しようと軍を率いてきます。あわや戦争となりますが、なんと娘たち自身が仲裁に乗り出します。『自分達は妻として扱われており、なかにはすでに妊娠している者もいます。親兄弟と夫で殺し合いをしないでください』というのです。ロムルス自身もサビニ族の娘たちから妻を選んでいたので、きちんと妻として扱うように命じていたのでしょう。結局サビニ族はローマの人々と同化することとなります。
こうして都市の人口の確保を解決したロムルスは30年以上在位しました。しかし、その在位は突然終わってしまいます。B.C717年、豪雨の中閲兵していたロムルスの姿が忽然と消えたのです。神となったと主張した者もいましたが、暗殺の可能性が高いとされています。

ロムルスには子どももいましたが、古代ローマは選挙で王を決めており、世襲はされませんでした。元老院で選出されるのですが、次第にエトルリア人が選出されるようになります。
このエトルリア人、民族系統は諸説あり特定されていませんが、サビニ族のように移民してきた人々であるとされています。

ルクレチィア

B.C.535年、ルキウス・タルクィニウスが先王を殺害して、王位につきました。彼は後世『傲慢王』とあだ名されるほど、強権的な支配をしていました。
貴族たちは反感を高めますが、表立って楯突くことができませんでした。
その頃、コッラティヌスの妻にルクレチィアという女性がいました。彼女は美貌の誉れ高く、その上貞淑な女性でした。そんな彼女に横恋慕した男がいました。王の息子セクトゥウスです。なんとしても彼女を手に入れたいと思ったセクトゥウスは彼女の夫が留守のとき忍び込みます。貞淑なルクレチィアは当然拒絶します。するとセクトゥウスは『奴隷と一緒に殺して、密通の濡れ衣を着せるぞ』と彼女を脅します。彼女は脅迫に屈し、セクトゥウスに体を許してしまいます。
セクトゥウスが帰った後、ルクレチィアは夫と義父、実父を呼び寄せ、経緯を説明します。そして屈辱に耐えられず、自ら命を絶ったのです。

パルジャンジーノ『ルクレチィア』

嘆き悲しんだ彼女の夫は友人のブルトゥスに相談します。ブルトゥスはセクトゥウスの行為に義憤をかられ、得意の演説で王政打倒を元老院に呼びかけました。元老院の者たちもルキウス・タルクィニウスの暴政にはほとほと嫌気がさしており、ブルトゥスを支持してクーデターを認めます。四面楚歌状態となったルキウス・タルクィニウスはローマから追放され、原因のセクトゥウスは殺されました。
これで古代ローマの王政は終焉を迎えました。元老院は二度と王を立てないことを宣言し、最高権力者にブルトゥスとルクレチィアの夫コッラティヌスを指名しました。これが古代ローマの共和制の始まりです。

今回はここまでとします。
ローマの建国伝説にウェヌス(アフロディーテ)とマルス(アレス)が関わっているのは興味深いですね。実は《神話》マガジンでトロイア戦争までとりあげてから古代ローマを書こうと思っていたのですが、いつまでも辿り着きそうにないのでフライングで書いてしまいました(笑)。ギリシアではあまり人気のなかったアレスですが、ローマでは祖先神として崇拝されていたようです。文化的で戦争を嫌うギリシア人と、戦争で領土を広げたローマ人の違いでしょうか。
オオカミに育てられたいわゆる『狼少女』は1920年のインドの話だそうです。実際にはオオカミの乳では消化に悪く育たないそうですが、オオカミとロムルス・レムス兄弟の像はローマのいたるところに置かれています。
塩野七海先生の『ローマ人の物語』などを久しぶりに読み返しながら少しずつ書いているので、取り上げるのに時間がかかってしまいました。とりあえずアウグストゥスの血統が絶えるネロまでで区切ることにしたのですが、とても時間がかかるので、マイペースに進めていきます。どうぞよろしくお願いします。
さっそくですが、最近感じたことがあったので、次回は《無駄話》を更新する予定です。


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