《世界史》僭称者たち
こんにちは。
Ayaです。
1598年フョードル1世の死を受けて即位したボリス・ゴドゥノブですが、しばらくすると噂を耳にします。なんと死んだはずのドミトリーが生きていたというのです!
偽ドミトリー1世(?〜1606)
ボリスがその存在を確認したのは、1600年ごろと言われています。無論ボリスはドミトリーの生存を否定し、彼を"偽ドミトリー"と呼びました。彼を殺害するため暗殺者が放たれましたが、彼はその追跡から逃れ、ポーランドで匿われます。ボリスは殺害を実行できないまま1605年急死します。
ボリスの死後、息子のフョードルが即位します。しかし、偽ドミトリーがポーランド軍を率いながら、モスクワに侵攻。偽ドミトリーはフョードルとその母を殺害、しかもフョードルの姉クセニアを強姦し、妾にします。
偽ドミトリーは"母"であるマリヤ・ナガヤに面会し、"息子ドミトリーと同一人物"と認めさせました。ボリスに迫害されていた大貴族たちも彼に忠誠を誓います。
しかし、ポーランド貴族のマリナ・ムニショフを皇后に迎えたことから状況が一変します。他宗派の皇后はロシア正教会に改宗しなければならなかったのに、マリナはそのままカトリックの信仰を維持したのです。これはポーランドの後ろ盾に配慮した行動でしたが、さすがに大貴族たちの反感を招き、1506年偽ドミトリーは暗殺されます。その遺灰は大砲につめられて、ポーランドに向けて発射されました。
しかし、全くの別人が"暗殺を逃れたドミトリー"として出現し、再びモスクワに侵攻します。
偽ドミトリー2世(?〜1610)
彼も出自不明で、偽ドミトリー2世と呼ばれています。モスクワには辿り着かず、トゥシノという都市を本拠地にします。再びドミトリーの母マリヤ・ナガヤが呼び出し息子と認めさせ、妻マリナと"再会"します。マリナにとっては皇后に戻るための取引だったのでしょう。しかし、偽ドミトリー2世もポーランド王の後援を失い、逃亡中に仲間に暗殺されます。
さらに別人のドミトリーが出現し(偽ドミトリー3世)、混乱をきたします。大貴族たちはリューリク朝の血をひくヴァシリー・シュインスキーを擁立します(ヴァシリー4世)
ヴァシリー4世(1522〜1612)
ヴァシリーは名門貴族出身で、当時存命中唯一の候補者でした。しかし、ボリス存命時は彼に、ボリスが死ぬとフョードルを裏切り偽ドミトリーにつくという腹黒い権謀術数の人物でした。当然人々の支持を得ることができず、1609年大貴族たちのクーデターで退位させられます。自分でポーランドのツァーリ候補者を迎えに行くという屈辱的な役割を命じられ、そのまま抑留され、1612年亡くなります。
ヴァシリー4世の退位後、ミハイル・ロマノフの即位まで4年間"空位時代"に陥ります。
結局イヴァン雷帝の妻アナスタシアを大叔母に持ち、若く御しやすかろうという大貴族たちの判断で、1613年16歳のミハイル・ロマノフが即位します。ロマノフ朝の成立です。
ミハイル・ロマノフの登場までまとめました。めちゃくちゃすぎてまとめるのが大変でしたが、なぜかロシアは僭称者がでるんですよね、不思議‥(ニコライ2世の娘アナスタシアが有名ですね)
明日からはイギリスに戻り、ステュワート朝についてまとめます。
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