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《美術史》ロマノフ朝の栄華と芸術

こんにちは。
Ayaです。
昨日までの投稿でロマノフ朝の歴史についてまとめました。実は私、ロマノフ朝が大好きでして、今回はその好きなところを列挙したいなぁと思います。単なる自己満企画です!!(笑)

1903年の大仮装舞踏会

1903年、ロマノフ朝成立290年記念として、仮装舞踏会が催されました。390名の賓客たちにニコライ2世は『17世紀ごろの仮装をするように』と命じました。
女性陣は絢爛豪華なサラファン(袖なしの長衣)やココシュニク(扇状の飾りのついた帽子)を着用し、男性陣はカフタン(トルコ由来の長胴衣)や毛皮の帽子を着用しました。まるで17世紀の宮廷が甦ったようだと表現されています。参加者それぞれの衣装はアルバムで残され、ヨーロッパとアジアを融合したロシアの伝統的衣装を我々に伝えてくれています。
この舞踏会はロマノフ朝最後のものとなりましたが、映画『スター・ウォーズ』のアミダラ女王の衣装にインスパイアを与えたとされています。

1903年の大仮装舞踏会
仮装舞踏会でのニコライ2世夫妻
ニコライ2世夫妻はアレクセイ・ミハイロヴィチ帝夫妻を演じた。
17世紀の衣装に身を包んだ参加者たち(1枚目)
1・2枚目は白黒写真に着色したもの
17世紀の衣装に身を包んだ参加者たち(2枚目)
17世紀の衣装に身を包んだ参加者たち(3枚目)
17世紀の衣装に身を包んだ参加者たち(4枚目)
男性陣は銃兵や鷹匠などおもいおもいの設定で仮装を楽しんだ

インペリアン・イースター・エッグ

3月のイースター(復活祭)ではイースターエッグ(彩色されたたまご)が飾られます。敬虔なロシア正教の信者だったロマノフ家でも毎年祝っていました。1885年のイースター、アレクサンドル3世が妻マリヤにイースター・エッグをプレゼントします。勿論普通のイースター・エッグではなく、宝石商に作らせた宝飾品です。豪華絢爛なたまごのなかから、細工が出てくる遊び心溢れる品でした。このプレゼントは皇帝一家恒例のプレゼントとなります。アレクサンドル3世の息子ニコライ2世は母と妻に渡すようになります。
ロシア革命で世界中に散逸しましたが、ロマノフ家の芸術の極みとして各地で展示されています。

インペリアン・イースター・エッグ(その1)
ロマノフ家歴代皇帝の肖像画が描かれている。
インペリアン・イースター・エッグ(その2)
ニコライ2世の戴冠式を主題としている。
インペリアン・イースター・エッグ(その3)
皇太子アレクセイの写真が使われている。

ロシア絵画の画家たち

文化後進国だったロシアですが、ロマノフ朝末期には文化の華が開きます。文学ではトルストイやドストエフスキー、音楽ではチャイコフスキーやムソログスキーが有名です。
絵画では宗教的なイコンが主でしたが、ヨーロッパからの写実的な表現が取り入れられ、独特の作品が描かれました。そこで、ロシア絵画の有名な画家たちを4人取り上げます。
(1)イリヤ・レーピン(1844〜1930)
レーピンは帝政ロシア期最大の画家です。トルストイやムソログスキーなど有名人の肖像画を残していますが、当時から『イヴァン雷帝と息子』や『公女ソフィア』など歴史的内容や、『ヴォルガの舟曳き』など社会的問題を取り上げていました。
ロシア革命時は自宅がフィンランドに編入されたので、ソ連指導部からの招きを断り、1930年亡くなりました。

『ヴォルガの舟曳き』
過酷な農奴の労働を描き、いわば告発だった。

(2)イヴァン・クレムスコイ(1837〜1887)
クレムスコイはレーピンの影響下で画家の活動をしました。
彼の代表作は『見知らぬ女』。発表当時からトルストイの『アンナ・カレーニナ』に影響を受けたと噂されました。当初は傲慢な女という評価でしたが、現在では『ロシアのモナリザ』と呼ばれ愛されています。

『見知らぬ女』
トルストイの『アンナ・カレーニナ』に触発されて描いたと言われているが、真相は謎。

(3)イヴァン・アイヴァゾフスキー(1817〜1900)
アイヴァゾフスキーはイギリスのターナーと並び称された風景画家です。
ダイナミックな波を主題とすることが多かったようです。

『第九の波濤』
ロシアの海の厳しさを伝えてくれる。


(4)イヴァン・シーシキン(1832〜1898)
シーシキンは森の生き物たちを描くのを得意とした画家でした。その素朴な森の表現は現在でもロシアで愛されているようです。

『松林の朝』
森のなかのこぐまを描いている。ロシアの有名菓子のパッケージに使用されていた。

ロシアのクラシック・バレエ

フランスのロマンチック・バレエが伝わり、1730年ごろ専門学校が設立されました。ヨーロッパではロマンチック・バレエは衰退してしまいますが、ロシアでは維持されました。
チュチュが改良され、回れる回数が増え、様式も確立されていきます。
1800年代後半にはチャイコフスキーが作曲した『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』、『白鳥の湖』の三大バレエが発表され、パリに次ぐバレエの拠点となります。
ロシア革命後もバレエは繁栄し、多くの有名なダンサーたちを輩出することとなります。

『眠れる森の美女』の初演舞台写真


ロマノフ朝の栄華と芸術、短いですが、ここでおわりです。
1903年の大仮装舞踏会、本当に御伽噺のようなビジュアルですね。ヨーロッパとアジアの文化が融合したファッション。衣装には金銀糸で宝石が縫い付けられついたそうです。さすが大富豪ロマノフ!
2018年日本で2回もロシア絵画の展覧会があって、私もどハマりしました。見慣れたフランス絵画やイタリア絵画とは少し雰囲気が違くて、独特な作品が多い印象です。
今ロシアについて語りずらい世の中です。ウクライナのみなさんが平和な日々を取り戻すことを願っています。

次回からはウィンザー朝についてまとめる予定です!

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