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《美術史》ベラスケスとマルガリータ・テレサ王女

こんにちは。
Ayaです。
今回はスペインバロック美術の巨匠ベラスケスと、そのモデルとして最も有名なマルガリータ・テレサ王女についてまとめます。

ディエゴ・ベラスケス(1599~1660)

ベラスケスは1599年セビーリャに生まれました。長く下級貴族の出身とされてきましたが、近年コンベルソ(キリスト教に改宗したユダヤ人)の家庭ではないかと言われています。11歳のころに当地の画家に弟子入りし、18歳ぐらいで独立、翌年には師匠の娘と結婚しています。
1623年フェリペ4世に気に入られて、以後30年間ほど宮廷画家を務めます。フェリペ4世は当時『職人』として扱われがちだった画家であるベラスケスを、宮廷装飾の責任者として迎え入れ、最終的には王室配室長という重職に任命します。しかし、それはベラスケスにとって多忙を招くこととなり、1660年フェリペ4世の娘マリー・テレーズ(ルイ14世妃)の婚儀の準備の過労で亡くなります。享年61歳でした。

ベラスケスの自画像

フェリペ4世王女マルガリータ・テレサ(1651〜1673)

ベラスケスはフェリペ4世の家族を多く描きましたが、中でも最も有名なのが、マルガリータ・テレサ王女でしょう。
マルガリータ・テレサ王女は1651年フェリペ4世とマリアナ王妃の第1子として生まれました。前項でも書きましたが、度重なる近親婚の影響で、この夫婦の間のこどもは彼女以外早世してしまいます。
フェリペ4世は娘への王位継承も検討し、ベラスケスに『ラス・メニーナス』を描かせました。『ラス・メニーナス』は女官たちという意味ですが、もともとこの作品には『王の家族』という題がつけられていました。
フェリペ4世夫妻の肖像画を作成中のベラスケスのアトリエに、マルガリータ・テレサ王女がお供を引き連れて見学に来たという設定です。しかし、奥の鏡にフェリペ4世夫妻がひっそりと描かれ、マルガリータ・テレサ王女への王位継承が暗示されています。
しかし、5年後待望の男子が誕生したことで、マルガリータ・テレサ王女への王位継承は立ち消えとなります。

ベラスケス『ラス・メニーナス』
ベラスケスの最高傑作にして、バロック美術の代表的作品。

マルガリータ・テレサ王女への王位継承は頓挫しましたが、”王家の仕事”である結婚からは逃れられません。
相手は神聖ローマ帝国皇帝のレオポルト1世でした。彼は実母マリアナの弟なので叔父にあたります。(スペインハプスブルグ家3度目の叔父姪婚ですね)
彼女の幼いころの肖像画はこの将来の結婚相手である叔父に送られたもので、現在はウィーンの美術史美術館に所蔵されています。

ベラスケス『白いドレスの王女』
5歳の肖像画。3歳と8歳時の肖像画も美術史美術館に所蔵されている。彼女の肖像画の中には音楽家ラヴェルに『亡き王女のためのパヴァーヌ』へのインスピレーションを与えたものもある。

1666年、ついにレオポルト1世と結婚します。マルガリータ・テレサ王女は『叔父上さま』と呼び、レオポルト1世は『グレートル』と呼び合う仲の良さでした。
しかし、幸せな結婚生活は長く続きません。彼女はたびたび妊娠しましたが、育ったのはマリア・アントニアのみで、1672年第6子出産直後亡くなります。まだ21歳の若さでした。
娘のマリア・アントニアも1692年出産がもとで亡くなっています。このため、弟のカルロス2世は異母姉の孫に後継指名することになってしまいます。


デル・マソ『婚礼を前に、父王の喪に服す王女』
父フェリペ4世崩御のときの肖像画で、翌年叔父のレオポルト1世と結婚する。

スペインハプスブルグ家、終わりました。ベラスケスは好きな画家のひとりで、彼を取り上げたいがゆえにスペインハプスブルグ家を選びました。(←え??)
結局マルガリータ・テレサ王女も近親婚の犠牲になっていて、弟より先に亡くなってしまいます。もし彼女と彼女の子孫が存命していれば…というのはIFですが、今のスペイン王室とは違ったものになっていたでしょう。
次回からはルネサンス期についてまとめたいな~なんて思ってます。

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