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あの時、私は①

新型コロナウイルスの影響による
外出自粛期間が続くと
福島で経験した東日本大震災を思い出します。

全く違う状況ではありますが、
見えない敵と闘う恐怖
は近いかもしれません。

最近、311のことを度々思い出します。
あの日私は何を見て、何を感じたのか
記すべきタイミングなのでしょうか。


2011年3月11日。
福島テレビの新人アナウンサーとして
担当するニュース番組の天気コーナーの
準備に追われていました。

あれ、また地震かな?

数日前から地震が続いていたためその類いだと思い、
震度を確認するPCを確認していました。

なんだか奇妙な揺れ方だな。。
そう感じてから瞬く間に
立っていられないほどの揺れに襲われました。

パソコンを抑える報道部員
棚が倒れないように支えるスタッフ
目の前の資料を抑える社員

あの時、報道フロアには
机の下に潜れていた人がほとんどいませんでした。

テレビは何台も上の棚から崩れ落ち、
報道フロアとスタジオを挿むガラス板は
今にも割れそうな音がしていました。

離れろ!危ない!!」
デスクが声をあげていました。

ふと天井を見ると縦に亀裂が走っているのが
見えました。

天井が落ちて、今私はここで死ぬんだ

最期くらい笑って死にたいな…

こんなことを本気で思いました。

揺れが長く何度まで強弱が繰り返される度に
「もういい加減にして!」
と泣き叫ぶ人もいました。
大の大人の悲鳴や叫びをこれほど聞いた日は
後にも先にもないでしょう。

どれくらい経ったでしょうか。

揺れがおさまり、皆が呆然とした沈黙が
一瞬流れました。

ピー

という緊急地震速報の電子音だけが
鳴り響きます。

あたりを見回すとありとあらゆるものが
雪崩の如く崩れ落ちています。
未だかつてない混沌とした様子に、どんどん心拍数が上がってくるのを感じました。

すぐに震度を確認しに走りました。

「福島市 震度6強です!」

そう大声で叫ぶことで、
どうにか今の状況と対峙しようとしていたのかもしれません。

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