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髪チョッキン屋の魔法

「私は男性目線で髪の毛を切ってもらいたいの」
さかのぼることおよそ15年前。目のクリっとした友人はそう言った。
美容院に行くのは好きだ。しかし、女性に担当してもらっていた私は目からウロコであった。男性目線で切ってもらうとはなんぞや。男性目線と女性目線でカットはそんなに違うのか。詳細は不明なまま、スタイリストも同性のまま月日が流れた。

その日もいつものように髪を切ってもらい、軽い足取りで街を歩いていた。長年お世話になっている歳の近い女性スタイリストとは気が合い、毎回大笑いしてストレス発散する。ふと、ショーウィンドウに映る自身の姿を見て思い出したのである。「私は男性目線で切ってもらいたいの」彼女とは疎遠になってしまったが、まだ男性に切ってもらっているのだろうか。そして美容院に行くたびガハハと笑って過ごすことに疑問を感じた。女同士の居酒屋状態で居座り、キレイになったとでもいうの?

思い立って調べてみた。世の女性はスタイリストを性別で選ぶのだろうか。調べによると、半数近くが同性を選び、異性を選ぶのは20パーセントほど、残りはどちらでも良い、という回答であった。なるほど、私は世の過半数に含まれるのか。また、異性のスタイリストに切ってもらいたくない理由として、イケメンだと緊張する、異性に髪を触られるのに抵抗がある、などが挙げられていた。うむ、うなずける。だが安穏な過半数に浸ってばかりもいられない。疑問が湧いたからには試してみたい。しかし、美容院を変えるというのはなかなか勇気のいることだ。結局違う支店の男性スタイリストに切ってもらうことにした。若い方だと緊張しそうなので、同年代の男性を予約した。

実に20年ぶりの男性スタイリストである。最後に切ってもらった方があまり良い印象でなかったのでつい敬遠していた。期待に胸が高鳴る。

驚いた。まるで、イタリア男のようである。風貌も、そして褒め言葉も。
「いいね〜。ショートが似合うね。ショートが似合うのは美人の証拠だよ」
「今日もとてもエレガントだね」
「ん、どうかしたかな。大丈夫だよ、素敵だから」
嘘ではない。この調子なのである。こんなに褒められたことがないので面食らった。しかし、悪くはない。気分はローマの休日である。男性目線から美のプロとしてのアドバイスをもらった。
「男性と女性ではキレイに対する印象が違うからね。雑誌を見れば分かるでしょ。同じ女優でも男性誌と女性誌ではメイクも服もこんなに違うよ」
「男性はね、全体のシルエットで女性の美しさを判断するから。ネイルが可愛いとか髪型が可愛いだけじゃだめ。姿勢は大事。デコルテを意識して。そう、キレイだよ」
イタリア男は教える時も褒めることを忘れない。クルクルと店内を見渡しながら、鏡越しに目が合うとウインクまでしてくる。今まで美容室でストレス発散を目的としていた私は、イタリア男の話術と姫のような扱いにより、一気に女度が上がったと錯覚した。これが、男性目線のカットなのか。

そういえば、以前女性スタイリストから聞いたことがある。通っていた某美容院のオーナーが面白い方で、新人男性スタイリストに「三人以上の女性と付き合うように」とミッションを与えるという。スタイリストは一度に三人ほどのお客様を時間差で担当する。一人はシャンプー台に案内し、その間にもう一人の髪を切り、先ほど切ったお客様はカラーリングのブースへ、という具合に。そんなとき、お客様に「私以外のお客さんのところで楽しそうに話しているわ」などと思わせてはいけない。どのお客様にも、余計な心配をさせてはならない。心からくつろぎ喜んでいただけるよう、付き合う全ての女性に寂しい思いをさせてはいけないという教えなのだとか。道徳的にいかがなものかとも思うが、面白いミッションだと感心した。そしてまさに、このイタリア男はそれを忠実に実践していたのである。ブラボーである。

残念なことに、イタリア男は切ることがなによりも好きだった。行くたびに想像以上に短くなる髪が気がかりで、今は違う美容室に通っている。でも収穫はある。彼の褒め言葉のシャワーは私に小さな自信を与えてくれた。

現在のスタイリストも男性だ。この方はイタリア男とは一転、口下手で褒めることはお世辞にも上手くない。でもとても、丁寧に切ってくれるのだ。特に髪の命とも言える前髪には、今まで出会ったスタイリストの中で最も慎重だ。聞けば、前髪を切りすぎて女性客に涙ぐまれた経験があるらしい。男性目線のカットなのかは未だ不明であるが、こんなに丁寧に切ってもらえると前髪があることに喜びさえ感じる。

「髪チョッキン」とは、娘と私の美容院の呼び名である。美容院で髪を切りたがらない娘に楽しい気持ちで行ってもらいたいと考えた。今では髪チョッキン好きな娘であるが、残念ながら男性スタイリストを極度に嫌がる。お年頃だと思うが、男性スタイリストの魅力をじわりと伝えていくのが母のミッションだ。

女性の皆様。スタイリストは男性を。

《終わり》


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