モノクロの鬼

 家族を鬼だと思っていた。
 祖父母と父母、私と妹弟の七人家族。東北の古い家は馬鹿に大きく、改築されて半分が素泊まり旅館になっていた。
 様々な商売に手を出した祖父が景気の良い時に建て、景気が悪くなり無理やり改築したという、住居と旅館のつなぎ目はいびつだった。半二階の部屋や、階段の手すりを越えないとふすまが開かない部屋が日当たりの悪い中、座布団部屋として使われていた。
 そんな旅館に泊まりに来る人はろくでもなく、朝気が付いたらもぬけの殻ということもよくあったらしい。私が小学生に上がった時には旅館も廃業し、家の半分は廃墟のようにしんとしていた。
 その頃、妹も幼稚園に入り弟も生まれ、手狭になったのか一人部屋を与えられた。
 つなぎ目の半二階の部屋。
 二階の住居から旅館へつながる薄いベニヤのドアを開け、四段の階段を降りると部屋がある。自分の気持ちとしてはベニヤのドアは開けっ放しにしておきたかった。
 摩耶は女の子なんだから、というよく分からない理由でドアは閉められた。
 でも摩耶は女の子なんだから、髪の毛を伸ばしたい、という要望は却下された。私の丸いおかっぱは、小さくて細い体に頭だけが大きく見えてこけしそのものだ。
 子消し、子化身、などの言い伝えはどこまで本当か。
 押し入れの中にある客用布団をそのまま使って寝る夜。
 半二階の部屋は一階の居間に近く、起きている大人たちの話し声が聞こえてくる。内容までは聞き取れない、微妙な音が耳障りで寝付けない。急に湧き上がる笑い声に目を開くと、剥がれた壁紙や天井の木目に顔を見つけてしまう。
 そっと起き上がると二階に上がり、ベニヤのドアのドアノブを回す。ドアが開いたことに安心している自分がいる。
 二階に上がってから一階に下りる。その手順を踏まないと下りられない。
 居間はガラス戸で上半分が曇りガラス、下半分が透明のガラスになっている。曇りガラスの居間を通り過ぎ、お手洗いの引き戸を開ける。
 お手洗いの電球の橙色が嫌いだ。
 居間や旅館の客室も白色の蛍光灯なのに、なぜわざわざこの色なんだろう。白色の蛍光灯だったらもう少し怖くない気がするのに。
 お手洗いがいつもうっすら怖いのはなぜだろう。
 暗い廊下で大人たちの笑い声を聞く。ちゃぶ台を囲んでお茶を飲み、テレビを見たりしている。私の頭の中ではみんなの顔はモノクロの鬼だ。モノクロなのに、赤色や緑色だとちゃんと分かっている。
 もう少し早い時間に家族全員、妹弟も集まってご飯を食べている。私も小学校の話をしたりして笑っている。ご飯の時にお手洗いに行くなんてお行儀悪いよ、とたしなめられて、えへへと笑って立ち上がる。
 うっすら怖いお手洗いから出て暗い廊下に立ち止まる時。私は皆の顔が鬼に戻っているのを知っている。皆、私がいなくなり、安心して自分の姿で伸び伸びしている。
 真実を暴く為にそっと居間まで忍び足をする。ガラス戸の下半分から素早くのぞき込むと、その時には既に皆人間の顔に戻っているのだ。
 家族の中で自分だけが違う生き物だという疎外感。立ちすくむ私の裸足の足に、冷えた廊下から冷気が立ちのぼる。
 
 二人の子を持ち、実家から遠く離れた今では変な子供だったと自分を思う。モノクロなのに、緑だと、赤だと分かる、って夢そのものじゃないか。
 こけしだって、本来は子宝に恵まれる縁起物だっていうし。
 こけしになった妹を赤ん坊に渡す。赤ん坊はなんでも口に入れてよだれまみれにする。妹だって早く子を産んでおけば良かったのに。妹は知らなかったのか、家族が鬼だということを。子を産まなければ子化身になってしまうということを。
 小学校に上がった上の子が私の顔の前に急に飛び出てくる。赤ん坊にミルクをあげている時にやられると危ないから止めなさいと何回言っても止めない遊びだ。
 上の子の丸いおかっぱを撫でる。
 子を産まずに子化身になった妹を、蔑んでいる私は鬼だ。
 この子が子化身になるかもしれない未来を、受け入れてしまう私は鬼だ。
 逆らう気持ちは日常の中に、モノクロに沈んでしまうのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?