インターネットより文庫本が愛おしい
私が人生で初めて手にした文庫本は、村上春樹の「中国行きのスロウボート」という短編集でした。
今から1年前の話。
たまたま近所を散歩中、リサイクルショップに立ち寄り、そこの本棚にその本は逆さまに置かれていました。
まさかこんな近所で日本語の本に出会えるなんてと感動したと同時に、しかしいったいどのようにしてこの本はこの寂れたリサイクルショップにたどりついたんだろう、いったいどのくらいの間この本棚に眠ってたのだろうなどと考えながら、私は2ドルで初めての文庫本を手に入れたのでした。
大人しく抱っこ紐に包まれている娘と、少し紙が茶ばんでしまっているけれどかなり状態のいい人生初村上春樹を丁寧に抱え、ワクワクした気分で家へ帰ったのを覚えています。
ちょうどその頃、私は日本語に飢えていたのかもしれません。いや絶対そうだったろうと思います。
その時から古本の文庫本をどうにかして見つけては立て続けに読むようになりました。
時間があれば読みたいからその時読んでいる小説はいつも外出時にバックパックのポケットに忍ばせたりして。
実は子供の頃から読書はあまり好きではなかったのです。
でも、なぜか本屋に行くのは好きで、素敵な装丁を見つけては欲しいなと思ったりしていたんです。
今じゃ海外に住んでいても日本語に触れるくらい簡単にインターネットで動画やサイトを見れるし、ましてや本までもデジタルで見れる時代です。
けれど、そんなんでは満たされない何かが文庫本にはあるなあと感じてやまないのです。
例えば、よし、今夜はゆっくり本を読もうなどときめた日は、娘が寝た後、キャンドルと大好きなロゼをテーブルに置いて、部屋をギリギリの暗さにしていい雰囲気で本を読む。
むしろ読み始める前に装丁を眺めたり、本を丁寧に開いたりする儀式的なそうゆうものがたまらなく愛おしい時間なのです。
アナログならでは。
これからもっと色んな作家さんの色んな本に出会えることを楽しみに思いながら、、
今日はこの辺で。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?