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強さとは、弱さを知る「しなやかさ」だ

以下の文章は、新卒で飛び込んだスタートアップ企業を、休職した際に書いた文章です。ずっと、弱くて脆い自分を曝け出すのが怖くて下書きに長い間寝かせていましたが、そういうカッコつけたがりの自分も、思ったよりもすぐに傷ついてしまう自分も、まるごと愛してあげたい、と思えるようになってきました。いつかの自分を、noteの文章越しにぎゅっとハグしてあげたい。その想いで下書きからそっとここに置いておきます。


2020年。新型コロナの大流行が、世界を騒がせ始めて早3ヶ月。
3月に入り、各国の流行に遅れてやってきた日本国内の感染者増加。
個人だけでなく、中小企業や大企業でさえも、この先の情勢が読めず、動向を鈍化させている、そんな中、

私は会社を休職した。

コロナの影響で、一部のタクシー運転手のように解雇されたわけでも、CAのように仕事のシフトが激減したわけでもない。自らの意思で休職届を出した。


私は、新卒1年目で、海外の、いわゆる途上国ベンチャー企業で働き始めた。そんな業界で出会う人は、強く、優秀で、生存能力が高い人ばかりだ。
例えば、

・物事の本質をすぐに見抜き、問題解決までたどり着ける人
・どんなトラブルがあっても、物事を前向きに捉えられる人
・現地の不条理さにも決して手を緩めず、戦っていける人

そんな人が多い。私にはとてもかなわないスキルを持っている上に、コミュニケーション力に長けていて、自分と比べると嫌になる。こんな日本人がいた。

その人は、アフリカのスラムに住む人々向けのビジネスを始めた。まずは顧客(スラムに住む人)のニーズを知るために、自らもスラムに住み始めた。家賃は1ヶ月数千円程度のエリアだ。普通の日本人なら訪問さえも避けるエリアだ。狂っている。
そんなところに住む人々は、我々アジア系の顔を見ると、フレンドリーなのかおちょくりたいのか、すぐに『チン チョン ハン ホーン』『ニーハオ』『チャイナ!チャイナ!』と声をかけてくる。イライラしてくる。
そこで、彼は『ジャパニーズ!』『コンニチワー!』と日本人扱いした人だけに、挨拶を返していったり、バイクタクシーを使ってあげたり、食料品を買ってあげたりした。すると、当初は中国人扱いしていた現地人も、だんだんと、日本人扱いに変わり、道を通るたびに『ヘイ、ジャパニーズ!』と言う声が道の両脇から聞こえてくるようになり、人気者みたいな気分になれる。スラム住みのライフハックだと彼は語った。そんなライフハックを参考にできる日本人が何人いるのか。やはり狂っている。

長くなった。話を戻そう。

そんな超絶前向きな日本人たちに囲まれていたせいで、途上国で事を興すビジネスマンはこんな強さを持っていなくてはいけないのかと思ってしまっていた。伝えたい事をうまく伝えさせてもらえないストレスや、怒られてばかりの毎日に辟易とする、この思い達はちっぽけで口にすることさえ恥ずかしいと思えた。

誰にも言えないモヤモヤを抱えて、半年が経過した。たまに社外の人に相談し助けられた部分はあったが、実際の状況を見て知っているわけではないので、結局なんとなく伝わっていないのではないかと虚しい気分になることもあった。

そんな思いを抱えている中のコロナ禍だ。

帰国できなかったら、あと半年は日本に帰れないかもしれない。ますます心がもたなくなる。そう思い、帰国することに決めた。3月末。

日本に帰国してからは、コロナ禍での外出自粛要請にともなう、カウンセリング機会が多くあったので、それを利用していろんな人と話して整理ができた。そして分かったのは、「怖かったのは、何者でもなくなる上に、周りからどう思われるんだろうと気にしている」ということだった。
あるカウンセリングをしてくれた女性は、年齢も近く海外経験もあり、私の気持ちに対し大きく共感を示してくれた。私以上に波瀾万丈な人生をなんとか生き抜いていて、私もその女性の決断における経緯などを聞いていると、安心した。パキっとした新品のシーンズは、洗われて柔らかくなり人にフィットするように、何度も経験した葛藤や修羅場によって、相手にも居場所を与えてくれるような、優しさがあった。

『ああ、強さって賢さや逞しさだけじゃなくてもいいんだ。柔らかく、しなやかに生きることも、他者を受け入れ、安心させられる要素なんだ』

その1週間後、決意を固めた。自分を見つめ直すために、休職期間に入った。
これから何をして過ごすか、具体的なプランはまだない。


追記。
4ヶ月後からこんにちは。
あれから3ヶ月。好きなだけ休んで、しばらくすると休んでいることに後ろめたさがあってなんとなく勉強始めたりしました。これまで読まなかった本にも手を出してみて、毎晩夕食を作って家族と一緒にご飯を食べたり。家にこもって、体力がなくなっていくのが嫌で、知り合いの農家の米作りを手伝ったりしました。
もやもやや不安を信頼できる人に話して、心が求める自然がある地域にも訪れました。たまたま人のダイエットに付き合って、自分の体づくりを再開して、筋トレ・ヨガ・ファスティングを始めてみたり。自分のために努力した分だけ、好きな自分に近づいてる気分。
ひとつひとつ丁寧に、欠けていたパズルのピースを埋めて行くにつれて、描きたかった未来が見えてきています。

さて、走って、休んで、また走り出します。


追記2。
2021年10月から、こんばんは。
あれから1年7ヶ月。信じられる?今はまた別のベンチャー企業で、アフリカ出張に来ているよ。相変わらず、傷つきやすい性格のままだけど、『ああ、今心が痛いなあって言ってる』と、そんな性格であることを自分自身で客観視して、抱きしめてあげられるくらい、少しだけしなやかに生きれるようになってきました。
実家で始めたヨガや筋トレは、今でも続けていて、毎朝晩やることで自分と向き合う大事な時間になっています。あと、サーフィンを始めた。週末は海に行って、必死に波と1on1したり、まったり揺られたりと、大きな地球の一部として、この瞬間を丁寧に生きることができてきています。

仕事の方は、まだまだ伸び代ばかり。でも、「1人でなく、チームで前に進む」という意識を持って、自分なりの【いい仕事】の定義が見つかりそう。

走ることも、休むことも、どっちも、自分のペースで。

追加3

このnoteをついに公開したいなと感じた2021年12月31日。世間はコロナが収束に近づき(オミクロン株はまだだけど)、やっと友人とも気兼ねなく会えるようになってきました。コロナ禍での海外出張で消費した心と体の充電に、地元福岡に帰ってきて、海外や仕事でどんなことをしてるかあまり知らない15年来の友人や農業でお世話になった家族と再会。話すことといえば、目の前の食べ物の美味しさや、耕していた田畑の様子など。過去も未来も関係なく、今の自分と向き合ってくれる人たちが沢山いたんだなぁと、勇気をもらって、公開ボタンをポチッと押します。なにかしらメッセージが届く人がいますように。

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