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明日を生きる理由について考える

11月。季節の変わり目だからか、2022年の日本滞在もあと1週間だからか。若干センチメンタルの週。来週からは再び3ヶ月間のアフリカ出張です。

神戸のシェアハウスでの毎日の暮らしが、とても心地よくなってしまったことは喜ばしくも、当たり前の日常を失う寂しさもあり。。

さて、気づけば27歳も残り2ヶ月足らず、社会人歴も4年目の半分を折り返しました。
大学院を卒業後、アフリカでインターンしたり、休職したり、日本にいたりアフリカにいたりで、当初進むはずだった社会人のレールを大幅に外れてきた感があります。

新卒からベンチャー企業に就職したため、同期の社員はこれまでにいたことがなく、何かを決めるとき、「この年齢なら普通..」みたいなバイアスは良くも悪くも、持っていません。明確なやりたいこと・達成したいビジョンがあるわけでもない、普通の若手だったので、キャリアについても散々悩んで、蛇行運転しながら今まで進んできながら、その都度、『自分らしい生き方は何か?』を人一倍探し続けてきたように思います。

これからのキャリアについて考えるとき、よく、
スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチの中の有名な一節を思い出します。


“If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?”
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」


生死は強烈なインパクトを与えるもので。
少し前に2-3歳年が上の知人が、海の向こうで亡くなったと知らせを受けたとき、今からやろうとしていることは、全く自分を幸せにできない、このまま変化なく生きていてはダメだといてもたってもいられなくなり、目の前の何かを変えなくては!その人の分まで生きた証を残さなくては!と強く駆られた日々もありました。


でも、どのように目の前の何かを変えたらいいんだろう。


悩み、行き着いた先は、圧倒的に自分の幸せに耳を澄ませる、です。

しかし再び、壁にぶち当たってしまいます。
今、改めて自分の幸せに向かう生き方を考えたとき、生きていることが幸せか、わからない。どうしてもそう感じてしまうのです。

さっきのジョブスのスピーチ通り、「今日が最後の日だったとしたら?」と自分に問いかけた時、今から手につける目下の物事よりも、もっと楽しく幸せになれそうな物事が未来にたくさん思い浮かぶと同時に、明日を待たずに今日死んだとしても「別に後悔ない。」とも思ってしまうのです。

特別今日を生き延びたい理由、明日をどうしても迎えたい理由、が見つからないのです。


一方で、死に急ぎたい理由も見つかりません。
普通に過ごしていると、小さな楽しみは1週間のうちポツポツと起こるし、鬱の症状になるような、強烈なネガティブな状況に包まれているわけでもない。
強いて言えば、環境問題を考慮に入れた時、人間がこのままこれまで通りに生きていくことは地球にとって悪影響なのでは、と感じるくらいです。

共同牧草地で個々の農家は、多くの利益を求めている。他の農家より一頭でも多くの牛を放牧することが経済的には合理的ではあるが、過剰放牧が起こるとすべての農家が共倒れしてしまう。

合理的に行動する限り、人は限界値を超えていくということに警鐘を鳴らした。
< 中略>
地球温暖化やオゾン層の破壊など、地球的規模で起こっている問題にも通じる話であると言えるだろう。

上記記事より引用



そのように振り返って、何が問題かというと、総じて、生きる理由も死にたい理由もなく、ぬるぬると生きていくことに気持ち悪さを感じるのです。せめて登頂を目指している山くらいは把握しておきたい、くらいの感覚です。

山を登る人のイメージ(Hermann TraubによるPixabayからの画像)

まだ若すぎてどの山に向かうべきかわかっていないだけかもしれません。いろんな経験を積めば、自分に合った山を知るのかもしれません。

明日を生きる理由。


結局、あれこれ話してきましたが、【わからない】が正直な答えです。『そんなものだよ』という声も聞こえてくるような気がするし、そもそも理由なんて、無いかもしれないとも思います。

でも、朧げながら口に出してみたい。

自身の不完全さを忍んで言うなら「明日を生きる理由を見つけたい」ということが、現時点での、私の、明日を生きる理由のように思います。

みなさんの、明日を生きる理由はなんですか?

こんな想いを持ったことある人と話してみたいなぁ。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

P.S.
この手の話はこの時代を生きる人間の永遠のテーマかもしれない。色んな人が似たようなテーマで記事を書いているよう。このnoteを書いた翌日、偶然このnoteが語りかけてくるように目に入った。この中でも言われてる通り、運が来ているその”場”にいること。答えは自分でつくるのだということ。


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