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感想文

7月末に宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を観に映画館へ足を運びました。

お仕事でご一緒させていただいた方が上映日に観に行かれ、もう1度観たいので仕事の後にも観に行くとおっしゃっており、興味が湧き感想をお伺いしたところ

「う〜ん。」
と言った様子でした。

大抵の場合、映画の感想などを聞くと
「こんなストーリーで、こんなシーンがあって、こう思った。」など、映画が想像できる感想を聞く事が多く、それで興味をそそられて観に行くという流れが多いように思います。

ですが、その時ばかりは鑑賞された方が
「感想にするのが難しい。」
「感想をあまり見ないで観てもらいたいかも。」
ともおっしゃっており、その素直で曖昧な感想にリアリティを感じ、その瞬間に次の休日に観に行こうと決めました。


(「君たちはどう生きるか」の感想は、別に記載しようと思います。)

映画を観た後、感想を書くためのカフェを歩いて探しながら主人公の心境の変化や、シーン1つ1つの意味を考えて、頭を整理しました。

しばらく歩いても頭の中は整理できなかったため、書きながらであれば整理できるかと思い、疑問に思った事や、不確定な事、自分の考察も思いつくままに鉛筆を進める事にしました。

今まで以上に自由に、感じた事を書いた感想文となり、最終的には私の人生をどのように作品として残したいか。というところに辿り着きました。

そんな自由な感想文を書いている中で…
「私たちは、無意識のうちに感想文に正解を求めながら書いているのではないか?」
と思いました。

というのも、今までの感想文や学校で書いてきたような感想文は

こんなシーンがあった。→こういう事の表現だと思う。→私はこう感じた。こうしていこうと思った。

という流れでコンパクトに書いていましたが、今回の感想文は


(考察→これで合っているかな?→宮崎駿さんという人→作品作り→では私はどう生きるか)
というように、曖昧な書き方に加え、文章の中に感じた事を散りばめて書いてしまったからです。

そんな感想文を書きながら、まとまりのない感想文になってしまったな。
と思いつつも、感想文って作品に触れて感じた事を自由に書くものじゃないのかな?
逆に、なんで今まで型にハマったような感想文を書いていたのだろう?と思いました。

学校での読書感想文だと
本を読んだきっかけ→本のあらすじ→印象に残ったシーン→自分だったらどうするか→まとめ

のように、私たちの感想文が書きやすくなるように授業で、どの順番でどのような内容を書くかを教わった記憶がある人も多いと思います。
そして、もちろん評価もあるので自由に好きな事を書くというよりも、教えてもらった形式に寄り添って、よりわかりやすく書いていたように思います。

ネットでレビュー等を読む際にも、似たような文章の形式が多く感じます。
ネットのレビューだと、参考にしてくれる方がいる前提で書くため、誰かの参考になるようにわかりやすく書いているのだろうと思います。

そんな環境に知らず知らずのうちに慣れてしまい、本来は自由で良いはずの感想文ですら、何かに制限されていたように感じました。

状況や誰に伝えるかにもよりますが、少なからず自分のために書いている感想文であれば、存分に自由に書きたいですし、そのように書いていくうちに自分の人生の方向を少しでも良くする気付きに出会えるのではないかな?
と思いました。

私自身、今回は感想を書いていて次々と溢れる考えや、書きながら気付いたことも、思い浮かんだ順に書いていく事がとても気持ち良かったですし、数週間後に読み返して、その時の感情が鮮明に蘇ってきました。

誰かに伝えるためにわかりやすく形式を意識して書いたり、端的にまとめる感想文も素敵ですが、自分の感情や考えが溢れ出るがままに書く感想文や、自分自身のための感想文もたくさん書いていきたいと思いました。

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