アラーキーミューズの問題で感じたこと
十数年に渡って、アラーキーのミューズとなった女性の言葉を読んだ。
そして、内容として、あまり驚かなかった。 だって、アラーキーは誰がどうみてもエロい写真を撮ることが有名な写真家だから。
アラーキーに写真を撮られるってことは、安全冊のない有名な火山に「ヤケドするかもな、危ない場所だもんね」って思いながら近づくようなもんじゃないだろうか?
私はアラーキーの写真が好きかと言われると、好きとは言わないけれど、アラーキーの写真を見ると、生死が垣間見えてその切なさが胸にぐっと刺さって押しつぶされそうになる。
彼の写真には女性のエロえぐい写真も多い。その被写体になっている女性たちは、アラーキーにぜひ撮影してもらいたくて撮影されているんだろうなと想像していた。
アラーキーにお金をもらって撮影されてる、という感じはどうも写真からも伝わってこないからだ。
もしの話。アラーキーに撮影してもらえる機会があるとしたらば、うわお!すごい!と興奮するだろうけど、同時に恐怖さえ感じる。
まさか、脱がされるんじゃ!? 脱がなきゃいけない状況になるんじゃ? 下手したらやられるぞ!
と。
それは、アラーキーの写真を知っている人ならば誰でも感じることなんじゃないだろうか?
嫌な事は、嫌と言う。
言わないと、何も考えてない、何も感じていないと思われる。
それは、事実としてありえることだと思う。
今回のアラーキー、ミューズの件で感じたのは、
どうして、嫌だと言って止めなかったんだろう?逃げなかったんだろう?
危ない火山だってことは知らなかったってことはないだろう。
火山に近づいて大やけどしたので、速攻で逃げました。でも、その時の話は今だから言える。。。というのであっても、十数年間もの長い間、彼に写真を撮られ続けていたというのは、どうしてなんだろう?
色々事情があったとしても、やはり、
嫌と言えない、止められないという流れに強く立ち向かえない弱さがあったのだと思う。
その弱さを今、mee tooの向かい風に載せてようやく発言するチャンスと勇気をもてたのだと思う。
でも、10数年も嫌と言えないってのは、やっぱりよくわからない。
とにもかくにも、このmee too問題、白黒はっきりできないモヤモヤな後味ばかりが残る。そして、弱さに立ち向かうmee toの向かい風が、今世界中の女性に吹いているけれど、日本ではその風は、ずいぶん生ぬるく感じる。
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