見出し画像

「今ここ」を生きることが、未来へのバトンとなる。


よく空想をする子供だった。

子供の頃から気付けばよく内省し、空想することや哲学的なことを考えるのが好きだった。

学校や地域の人間関係、複雑な物事が苦手だった私は、空想を働かせることで「今ここ」の目の前の現実から目を背け楽しむ、ということをたびたび行っていた。自分を主張することも苦手だった。

嫌いなことをして過ごしている時間は楽しいことや近い将来の楽しみなことを思い出して「今ここを過ごす」ではなく、「今ここをやりきる」という意識で生活していた。そして、自分の優しさから派生していたと思っていた気遣いをすることによって、自分よりも他者を優先した。(いきすぎた協調性もここから生まれたのだと思う)

これが普通だったし、うまく生きていくためのスキルだとさえも思っていた。



必然的な変化

はっきりいつかは覚えていないけれど、自分の人生について考える術が手に入るようになり、自分の価値観がはっきりし始めるようになったころ、違和感を覚え始めた。

境界線がわからなくなってしまった。ということを自覚した。

自分と他者との境界線。
過去現在未来、時間軸の境界線。

これによって、今自分が考えていることが正しいのか正しくないのかの判断基準、そしてこの考えは自分のものなのかという自己不信感、他者の力を借りて外側の「正しさ」を追うのが当たり前になっていることに気付いた。

これまではわからないことがわからないまま生きてきたのに、わかった途端にとても怖くなった。その反面、同時に安心感も覚えた。



たどり着いた「今ここ」

そこから、まぁ紆余曲折遠回りしながらも最終的に私は「今ここ」を生きること、自分の心の声に耳を澄ますことを意識して過ごすことを始めた。

「今ここ」を生きることは、自分の外側にある世界の声を等身大の自分自身がありのまま聴き受け止め、そして自分の内側の声を、否定も評価もせずに自分自身が丁寧に受け止めることであると思う。

これまで言葉にはしてなかったけれど、こんな感じのことを何年もかけてじっくりおこなっていたのだと思う。行ったり来たりしながら、ゆるやかな螺旋階段を登るように、苦しみながら喜びながら、泣きながら笑いながら。

「今ここ」を生きることは、時に心地良く時に心地悪くも感じるだろう。でも、それでいい。

「今ここ」を生きることは、自分が感じる全ての感情は自分にとって正しいのだと、自分からうまれる感情や気持ちはすべて正しいのだと、自分だけは見放さず受け入れていく。まずは受け入れ、それから癒していく。

最近読んでいてとても感銘を受けているこちらの本にもこのように書いてあった。

(ある修行僧の水行のお話)
凍てつく水が肌を刺すたびに、何か別のことを考えようとしたり、意志の力で冷たさの感覚を消そうとしてみた。目の前の現実がつらすぎて心を別のところに向けるというのは、常識的に考えれば妥当な反応だと思う。
しかし、刺すように冷たい水を何度も何度も浴びるうち、ヤングはそれが誤った戦略であることに気づいた。むしろ意識を冷水に集中させて、強烈な冷たさを全力で感じたほうが、苦痛が軽減されるのだ。
「いったん注意が途切れると、苦痛は耐え難いものになります」とヤングは言う。彼は冷水をかぶるたびに、今ここで感じていることに意識を集中させた。そうすると、冷たさを感じても、苦痛に飲み込まれずにすむのだった。
やがて、それこそが冷水の儀式の目的であることがわかってきた。気を抜かずにいれば報酬が与えられ(苦痛が減り)、気が散ると罰が与えられる(苦痛が増す)。(中略)
修行生活を終えたあと、ヤングは自分の意識が変化していることに気づいた。今ここに集中する技術を身につけたおかげで、日常のさまざまな場面で感じる苦痛が明らかに減っていた。
問題は活動そのものではなく、自分の心の中の抵抗にあったのだ。
抵抗をやめて、目の前の感覚に注意を向けると、不快感は静かに消えていった。

限りある時間の使い方


自分の中からうまれる感情に抵抗をせず、淡々と受け止める。
自分の感情や思いを自分が置き去りにしてしまうと、それは誰からも受け取られず、呪いになってしまうこともある。

自分くらいは、ゆっくりと丁寧に時間がかかってでも、自分の感情に向き合ってあげてもいいのではないか。



拡張していく自分

この話はまた別のnoteで残したいと思うが、私はいつからか「成長したい」と思わなくなった。20代の頃はずっと思っていた「成長したい」が自分の中でしっくりこなくなった。

今のわたしが使っているのが「自分の純度を上げていき、自分を拡張させていきたい」(「成長したい」と私の中ではだいぶニュアンスが違うのですが、しっくりくる言語化ができていない…)

自分の内側にある中心から、自分の純度が高まっていき、じわじわと自然と外側の世界に広がっていく。


「今ここ」を生きることが、この世界線にわたしを連れていってくれる。

「今ここ」を生きることが、私を未来に連れていってくれる。

「今ここ」を生きることが、未来へのバトンとなる。






後記

今回、りみさん(@rim_konbu)まーさん(@ma_tomarigi)の主催するAdvent Calendar冬_2022に参加させてもらい、このnoteを書きました。


固定ツイートにするくらい、ずっと「今ここ」を生きようとか言ってるけど、これまで「今ここ」を生きるとはどういうことなのか、そう思うに至った過去のお話なんかもアウトプットしたことなかったなぁと思い、今回初めて言語化してみました。まだまだ探求中のため、100%の状態で言語化はできないけれど、必要な方に、最善のタイミングで届くと嬉しいなぁ。

今回のこの企画、クリスマスに因んで「言葉を贈り合う」というコンセプト。参加者の方たちの「大切にしている、意味はないけれどなんかいいキーワード」。ランダムに誰かから贈られた言葉をもとに語りたい物語を綴っていく。

とっても素敵。

わたしが受け取った言葉は「未来へのバトン」でした。

お話をいただいたとき、特に書きたい内容はなく、言葉を贈られた時点でインスピレーションで書こうと決めていたのですが、「未来へのバトン」と聞いた時すぐさまピコンと「今ここ」について書いてみようと思いました。💡


「今ここ」に、間(あわい)に揺蕩うことを許す。

わたしの中で大事にしているテーマだったので、このタイミングでアウトプットできたのは、ありがたいご縁だなぁと思います。

ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?