夫に思いメモを見られたこと
夫に私の走り書きメモを見られてしまった。
要らない病院の領収書の裏にもやもやしていたことを昨日鉛筆で書いていたのだが、本音を書きすぎて見られていいものではないレベルだった。
それは「文章を書きたい。」からはじまり、「目に見えないものを表現したい」に移り、最後は「(自分の)見た目に自信がないから、見られない場面で人に認めてもらいたい。」というコンプレックスからくるネガティブな中二病的欲望の内容。本当はここに書いているだけでも恥ずかしいくらいなのだが、もう人に見られた時点で、ここでネタにするしかなくてどうでもよくなっている。
仕事から帰宅して、テーブルにはその私の走り書きの面を表にして置いてあった。夫に「これ見たの?」と聞いたら「うん。」とだけ言われる。それ以上何も相手もこちらも言ってないが、心中はほんとうにもう恥ずかしすぎて、何事もなかったかのようにすぐにゴミ箱に捨てた。親に日記帳を見られた女子(?)のようだ。
いつも人のことなんか詮索しないし、テーブルの片付けもしないのに、「なんで見たことをそっとしておいてくれなかったのだろう…。」と思う。「自分が逆の立場だったら放っておくのになぁ…。」と残念にも思う。私の大切な思いだったのに、夫に見られたせいで、「ちっぽけで恥ずかしいもの」に成り下がってしまった気がした。そんな大事なものを共用テーブルに置いてしまった私の完全なる迂闊な行動のせいだったのだが。(きっと病院の領収書、というのも夫的には放っておけない書類と思ったのだろう。)
似たようなことは15年前にもあって、里帰り出産をする姉が実家の部屋の片づけを母としていて、恐らくだろうが私の中学生のころの日記帳を発見して読んだらしく、後日「これ、あんたのものだけどとっておいたから。」と言われて他のものに混じってどっとその日記帳が私の前に置かれたことがあった。内容はよくある「好きな人を今日教室移動で見かけたから嬉しかった。」という極めて内向的な異性感情を吐露したものである。(先ほどと同上、恥ずかしいけれどもう第三者に見られた時点でここに書いてももうどうにでもすればいいと思っている。当たり前だが、こんな日記を書く奴の恋愛など上手くいくはずがない。意中の人を見て終わった青春だった。)
もう姉と母の前に置かれた時点で「完全に見られたのだな。」と感づいた私は即「あー、これ要らないから。」と言ってこれも即ゴミ箱に捨てた。
夫からしたら、書いた内容は大したカミングアウトでもないと思っているのかもしれない。
母と姉にしたらピュアで可愛い日記だったかもしれない。
でも、人に見られた時点で、これは私の感情の記録であり私そのものではあるが、恥ずかしい感情がそれに帯びると「それはただ恥ずかしいもの」としてしか、自分は受け取れなくなる。だから捨てたのだが、それは「自分が恥ずかしい」ということになってしまうのかもしれない。
大事な感情だったのに、なんで捨ててしまうのだろう。「恥ずかしい」と思う場面は自分の人生において数え切れないくらいあったのだが、なんで「恥ずかしい」から「捨てたい」になるのだろう。
このことにおいては、もっと私は「恥ずかしい」を受け止めてもいい気がする。自分の本当の感情を「恥ずかしい」けれど「大事」にしてもいいのではないか、とも。
もう形としてはゴミ箱に捨ててしまった私の感情たち。人に見られて気まずかったけれど、「でもこれは大事な自分の感情なんだ。」ってとっておけばよかったのかも。その私の行為を見た夫や母や姉は、「これは特別なものなんだ」って私の気持ちを大事だと捉えてくれたかもしれない。これは全然恥ずかしい事ではないのかも…。
だから今、書いてみている。
40代にもなってもシャイすぎる自分はもう、誰も共感なんて呼ばないだろうし、「中年が何言ってんだ」と笑われてしまうかもしれないけれど、これも自分だと思って、大事に思ったことを言葉にしていけたらと思う。
まさに今の私は「容姿に自信がないから、自分が見えないところで表現したことを人に認めてもらいたいんですよ。」ってことで…。
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