9年前の日記読み返し日記
日記を捨てるための日記
今月の占いに「古い日記帳は読んで自分の成長を知って捨てるべし!」とのことが書いてあったので、先週から棚から発掘した7,8,9年前の日記を読み返している。当時の私は毎年ノベルティで無料でもらった手帳にこつこつと毎日書き連ねていたようだった。その頃は今のスマホアプリに日記を書く、という習慣が無かったのか、全て手書き。だからこそ捨てる、捨てない、問題があるのだが。
古い日記なんてさっさと読んで捨てようと思ったが、結論としてなんだかんだで捨てられない。
感受性が高いで売りの私(?)が細かな観察眼で仕事上での周囲の人々のことや、日々に思ったことなどが、すらすらかかれているそれ。転職した今はもはやどうでもいいことではあるが、「そのとき思ったこと」をたくさん集めたことによって、現在悩んでいることさえも、この日記のように俯瞰して見たら「もはやどうでもいいことに悩んでいた」ということに気付くための装置にもなるな、なんて思えてきてしまったのだ。
私生活をはき流すことが大好きな私はこの頃にももちろん、子供のことや旅行のことをインスタやブログで散々綴りまくってはいる。けれど、無意識に感じたことや、思ったことは手書きの日記にしか書かれていないことが多い傾向がある。SNSで書いていることは今だいたい覚えているんだけれど、手書きの日記の詳細な所感は忘れていたことがかなり多いことにも気付いた。いわゆる「喉もと過ぎれば暑さを忘れる」とやら。
要約日記を書いてみる
今回は過去日記を捨てる目標のために、ここで9年前からのことを要約して書いてみる。もしかしたらここで書いてネット上で永久保存されるなら、もう書いた日記は捨ててもいいって思えるかもしれない…という試みで。年毎になるべく短文で書いてみたい。
2015年の日記
第一子5歳。仕事は給食調理補助のパート。この年の日記はその仕事が夏休みに無い期間に夫実家付近でホテルのリゾバに住み込みで半月働いていた期間の前後くらいしか記録が無い。(それ以外はどこに書いたんだ?)
子供は夫実家に預け、私一人で神戸に一人旅行したのち、そのお金を補充するかのようにリゾバで短期間だけ鬼のように働いていた。でもその年のことはそれだけで十分なくらい、「期間限定の住み込みリゾバ」が楽しかったようだった。第一子出産後5年の33歳の私。子育てとパートの仕事をしたいただけの生活をしていた身としては、解放感と自由に生きる感覚をわずか半月の勤務期間で取り戻したようだった。誰かのためでなく、自分の生活のために動く。自分が自分らしくいられる感覚ってこうだったっけね、っていう。
8月、リゾバは鬼のように働き、疲れ知らずで一人遊んだ記録
山の中のホテル勤務、非接客の裏方作業。勤務時間は朝から昼まで働き、午後は中抜け、そして夜にも勤務、という状態を繰り返した。週2日の休みはあり、連休ということにもならなかったが、私はその休みに周辺をバスで一日観光したり、近くの日帰り湯に入りに行ったりしていたらしい。普段の生活だったら休みの日なんて動くのも億劫だったのに、そこに行ったら驚くほど足取りが軽やかな自分の行動が日記に書かれていた。
人にも恵まれ、勤務時間は過酷だったが、年の離れた地元の若者と、年上のリーダーと、みんな住み込んで働いているので悪い奴は全くいなかった。遠方からの中年バイトの私はそれなりに人見知りしていたが、毎日日記にあの人がこうだった、とかもやもやしたことを毎日全部書いていたのでそれで晴らしていたよう。よそ者から見た内部の人間模様などは私の大好物なので、仕事しながら空いた時間にひたすら観察して書いてある。人の観察と、自分の妄想と、思い込みで作り上げる人間ドラマ。それだけで現場のいびつな人間関係を見ては楽しんでいた半月間だった。長期勤務ではできない人間関係だからこそ。
そう気が楽なことも書いてあれば、一日14時間勤務の日もあったり、下痢や眠れないこともあったりと、それなりに体がしんどいとは書いてあった。給料はそれなりにバックされていた。
8月後半は子供と夫生活に戻り、子供とよく遊んでいた記録。日々に埋もれないように調理師の免許を取ることを決意したことも書いてあった。
9月から11月、通常の仕事に戻るもリゾバが恋しい日々
自分の記憶では、リゾバの場所が山の中のホテルということもあり、どこを見ても自然だらけ。コンビ二もなく、建物は全て旅館施設しかない。人間よりも他の生き物と自然が多い場所で、私は初めての滞在生活。暗くて静かで、空気が美味しくて仕事が辛かったのを忘れるくらい、いいところであったとポジティブに捉えている。
そのインパクトが大きすぎて、3ヶ月経っても「あそこに戻りたい。」と思っていたらしい。時々書かれる日記には、都市型生活の窮屈さに辟易してリゾバの思いが大きくなった時だけ、2週間に1度ペースで吐き出すように書いていた。
リゾバの場所も生活するのには不便ではあった。バスは1時間に1本程度しかないし、買い物をする場所もバスで1時間乗らないといけない。3度の食事も食堂で皆がいるところで食べなきゃならないし、その都度知らないおじさんやおばさんから声かけられるから内気な私は向いてなかったし、部屋からお風呂へ行くのも一度外を出ないと入れなかった。仕事も派遣契約なんのその、現場ではこき使われ放題だった。
でも、「自然の中で」「一人で」「自由に生活する時間もある」ことが、とても私の人生で大事なことだったと気付いたよう。たまたまリゾバに行って、今の都市での子育て生活とは正反対のことをすることで、私は、私の求ていることが全て分かってしまったのだった。もはや「あそこに帰りたい」とまでの現実的でない言葉ばかり書かれていた。
11月には調理師試験も受けたらしい。子供の保育園繋がりの会合、夫の知り合いの会合にも行った記録。試験勉強をしている最中だったためか、それくらいしか楽しんでないようだった。現職のことは、社員が異動になったことと、衛生的に気になる事が書いてあった。まじめか。
12月、それでも現実に戻って子育てをする日々
調理師試験の結果わからないまま年末を過ごす。
「毎日大したこともしないまま不満もなく。子供と何かしら一緒に過ごすも、自分がしっかり子育てをしている感覚もない。雑音が多くて自分のやるべきことから離れている気がする。もっと自分の好きなことをしたい。」
というようなことが書かれ、その一年の日記は終わっている。
2015年の日記まとめ
8月にリゾバで覚醒してしまった自分の生活への欲がもろに影響してしまった年であった。
2024年現在の私からしても、一人でボーっとしたいし、自分のしたいことを常に見つけて実行しようとしているのは変わらない。職場を観察するのは良いが、その雑音が強すぎて自分の考えていることが見えなくなる傾向も常にある。
あの時から比べると、子供の成長とともに自分の自由な時間もいくらか取れるようにはなっている。自然に触れることも意識的にはしている。
今、あのリゾバがしたいか、と言われたらちょっと微妙である。2人目も生まれてより家族とは離れたくなくなったし、今はそこまで自由生活を求めるほど緊急に変化を求めていないからである。
あと、生理痛が頻繁に起きていたとの記録が多かったが、今はそれは起きていない。年のせいかもしれない。
たぶん年のせいもあって、体力的にもリゾバをする気にもなっていない。
2015年の日記まとめ、おしまい。1年分だけでも長くなったので、次回はまた別の投稿に。
この作業は結構楽しいので、他の方もやってみてもいいかもと思う。
日記に書いてあることが、やっぱり自分の声無き貴重な声である気がして、やっぱり捨てられない…。保留だ保留…!
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