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愛情底なし沼のジェットコースター

 友人たちにも言えなかった、過去に言われた親からの呪いの言葉、「子供なんか産まなきゃ良かった。」と、そこにまつわる暗かった子供時代を今になって思い出しては書こうとしている。前に夫だけには過去を打ち明けたことはあったのだが、夫は完全に客観的な視点で捉えていたようなので、「反面教師にするなら、家族が倒れたときの保険をかけておくべきだったな。」という位しか感想が無かったのでちょっとびっくりしたし、夫は私の気持ちを分かってくれようともしない人なのだ、と悲しかった記憶と共に置き去りにされたようで、余計に悲しくなって泣いていたことがある。

愛情底なし沼の原因


 私が幼少期、母親から呪いの言葉をかけられた原因の一つに、私の父親が30代の時に糖尿病を患い脳卒中で倒れて以来、母が金銭的な苦労を一気に背負うことになって、もともとアダルトチルドレン気質だった母がより性格をこじらせてヒステリーを起こし、子供にも当たるようになったことだった。夫は私の話から、「家族の病気由来の金銭的トラブル」が母親を虐待体質にした最もの原因であると判断したらしい。(そして本当に、当時の親は共に保険に入っていなかったので、父の糖尿病の医療費やら、後遺症の保証金などは一切入ってこなかったので一家は金に困ったのである。しかもその後に父親はトチ狂って独立事務所を建て、更に借金が増えてしまった。)話の要点を掴むのが上手い夫は、そこから私にトラウマめいたものを植え付けた、と見たらしいが、私の悲しみはそれまでに両親が子供にしてきた扱いのせいでもあると思っている。

ジェットコースターのはじまり


 私の記憶では父が倒れる前から私は親の愛情がやや与えられていない気がしていた。誕生日などのイベント、家族旅行とそれなりに家族ごっこはしていたが、もやもやとその中で家族の愛情が見出せない生活の末端に飛び出したのがあの呪いの言葉であって、もやもやと私が愛情の薄さを感じる出来事は、私のきょうだい間で感じる不平等さにあると思っている。

きょうだい間の不平等からジェットコースターは加速し、愛情底なし沼に行き着くまで


 私には姉と弟のきょうだいがいる。きょうだいは「女、女、男」の順番で、歳の差は姉は3つ、弟は2つ離れている。私が2歳のときに産まれた弟は家族に溺愛された。そりゃあ誰だって赤子の弟が産まれたらそちらばかり見るに違いないし、長男ということもあって初めての男の子を母親をはじめ、周りは可愛がるに違いない。しかも私は可愛いはずの赤子の頃から泣いてばかりいたらしく、泣き声がうるさいと父親が赤子の私をお風呂場に持っていこうとしていた、という話を姉から聞いたこともある。子供の頃の長女の姉はよくおしゃべりをするし、たっちして歩くのが早かったが、あなたは泣いてばかりだった、という母の記憶の中の私は非常に影が薄いことにも気付く。


 一緒に住んでいた母方の祖父祖母は私を親よりは可愛がってくれた記憶はあるのだが、弟が産まれた途端に弟へは特別扱いで、どこかへ行くたびにウルトラマンの怪獣人形だのサッカーボールだのを買ってもらっていた。私は姉のおもちゃで遊んでいたが、ふと気がついたら弟の周りには私の知らない男の子のおもちゃが溢れかえっていた。
小学6年生の頃、クリスマスのサンタさんからもらうプレゼントをおもちゃ屋さんで選んでいたとき、私は電子手帳が欲しかったのだが、「お金が高くないやつね。」と母から言われて欲しかったものの3分の1の値段の全然欲しくない電子手帳もどきを値段を見て選んだ記憶がある。3人もきょうだいがいたら確かに値の張るものをひとりひとりに親は与えられないのだろうが、なんとなく弟が産まれたら弟ばかりにモノや大人の目が集中していたのはよく覚えている。(その頃姉は音楽にはまっていたので確かCDアルバムかなんかを頼んでいた。長女は生まれた時から可愛がられていただろうから、きょうだい間の不平を一切言わなかった。きっと何も感じてはいないのだろうと思う。)五月人形も弟には大きなガラス張りの人形で、私は姉が産まれた時に買ったであろうお雛様を姉と兼用。まあよくある家庭の話かもしれない。

 当時の私はきょうだい間の不公平さを感じていたのだろうが、物心ついた時からそれが当たり前だと思っていた。私も弟は大好きだったし、大人たちも同じ気持ちだからそうなのだと。私が欲しいものは後回しで、もしも言ったら弟のようにわがままで幼稚。周りの大人が困ってしまう。私の中の子供らしい気持ちは、わがまま放題の弟の存在を見ては恥ずかしい事だと無いものにして、私は勝手に大人側になったつもりだったのかもしれない。

 そして当時は親を大事に思っていただけに、小学校高学年ごろになると「何が欲しくてもお金をかけないでおこう。」と自分の欲を思うままに外に出そうとしなくなっていった。ちょうど父が倒れた時期、母は自分ばかり苦労しているのだと私たちに言い、父の脳障害の振る舞いがひどいと「こんなになるなら結婚しなきゃ良かった。」と私たちに愚痴るので、私はそんな母に同情して親にお金の苦労をかけないように、なるべくお金がかからず生きようとする。(父の脳障害の振る舞いは直接母親への暴力は無かったが、怒りに任せてすぐに怒鳴りつけ、食べものを投げつけて当たるなどしていた。)
わがままは幼稚な人がすること、弟はまだ子供だからそんなもんだし、母親に自分のしたいことを言ったら母親も困るだろう。父親は怒ってばかりで怒ることは怖いし情けない。私はそんな家族間で物分りを良くし、自分の親に甘えたいだとかわがままな部分をなるべく出さないようにして、意識だけは一人前にと心に刻んでいた。

愛情底なし沼の住人は母親で、ジェットコースターはそこへ落ちていく


しかし、当の母は私に苦労をかけているとは微塵も思っていなかったし、始終「苦しいのは母親。子供は何も苦労していない。だから子供は母親を助けてあげて。」という布教活動を近所の母親や私の担任に愚痴込みで言いふらしていた。私は母親に心をこめた「我慢」のプレゼントをしたはずなのに、母親からは私には全く「愛情」のお返しが返ってこなかったし、むしろもっと母親を助けてくれと求められてばかりいたのである。
 私は意識だけは大人並みになったはずなのに、わずかにもっていた子供心はちっとも満たされてはいなかった。母親は始終機嫌が悪く、それは母親を助けられない自分のせいだとも思った。(子供の頃の母の日、毎年何かしら母にプレゼントしていた私ときょうだい達は、ある年に母に何もプレゼントをしなかったことがある。その日はめちゃくちゃ機嫌の悪さをぶつけられ、改めて母の日プレゼントを買いに行った覚えがある。今なら笑い話にもなるが、親の立場になった私から言わせるとやばい母親でしかない。)
 私も時に欲しいものを出したこともあった気がしたが、当然親に渋い顔をされたしあからさまに機嫌が悪くなったので「私がわがままを言ったからだ。」と自分に罪悪感も持つだけで終わったこともある。
 同じ親の元に生まれても、他のきょうだいには感じない「愛情の薄さ」は、生まれたタイミングのせいで中子の私だけ感じるようになったらしい。上記は母親の話ばかりしているが、糖尿病を患った父親はただ酒を飲んで仕事の愚痴を独り言い、私たちに当たり、仕事を変えては辞めて不貞腐れて家にいるだけの生活をしていたので全く親として認められず、私の求めていた愛情は母からのそれだけだったと思う。

沼を過ぎても


 同じきょうだいの中で、40過ぎた今になっても親に対して根深い感情があるのが、その証明かと思う。その過去の辛かったこと、悲しかったことを書いた手紙を一度35歳の時に私の両親に送ったこともあったのだが、父は逆ギレするだけ、母も「覚えがない。」と返信してきただけで、「ただ勝手に娘が怒っている。」と両親に認識されたのみだった。年月が過ぎ、家族が大変だった時期を今振り返っても自分らは間違ってない、という姿勢に心底「自分の親はクズだ。」と思ったので、私の第二子の妊娠出産も教えなかったし、以後両親に対する態度も変えた。


夫の実家に行って気づいたこと

 私が20歳過ぎて今の夫と付き合いだし、夫の実家に初めて行ったとき、夫の両親に対する夫の態度に「そんなことして親に悪くない?」と思うことばかりで本当にびっくりしたことがある。夫の性格的に人に対して強引なところがあるのだが、両親に対してはもっと強引にスケジュールを推し進め、私たちが行く日の予定を空けさせたり、車を両親に運転させていたりしていた。夫の両親への話し方もそっけなく、何を聞かれてもそこまでちゃんと答えていなかった。決して両親と夫とが仲が悪いわけではなく、昔からそうだと言う。食事の片付けもしなくて良いと言うし、私が家に宿泊したことで部屋や布団の準備などもさせてしまったのに、それでも何一つとして両親は気を悪くせず当たり前の風景のように動いていた。その頃の私は自分の親に対して、「もっと親の喜ぶ報告をして、親が機嫌悪くしていないか顔色見て、盛り上がる話題をしなきゃいけない。」と思っていたのに、夫の家族の場合は口数少なくしていても、勝手に両親たちが私たちに楽しく話をしていて、子供(夫)が何もしなくて幸せそうに機嫌も悪くしていなかった。なので結婚当初も何度か帰省する度に「本当にこれでいいの?」という疑問しか浮かばなかったのである。(もちろん、当時は私がお客様だということもあったからかもしれないが、それを差し引いても両親が夫のために動き、夫が自分勝手に動いても両親は色々気にかけて対応し、こちらが何もしなくても両親たちは見返りを求めていないことに、ここは別世界ではないかと心底驚いた。)

愛情底なし沼のジェットコースターから見えた他人の愛情風景

 なので、先に書いた夫の感想も、私が聞くと「なんで妻に同情してくれないんだろう。」と寂しくもなるのだが、夫にとっては今までの人生で「家族に寄り添った言葉を言う。」というガジェットを搭載していないだけなので、愛情はあっても同情する言葉を言う必要もないと思っているのである。つまり、夫にとって同情は愛の形ではないのだ。夫からしたら聞くだけでも愛情なんだろう。私は親からの愛情を与えられた認識が薄いせいで、愛情は無条件に受け取れるものではなく、自分を捨てて人に寄り添ったり、相手のことを自分のことのように考えて動いたりしてやっと得られるものだと思っていた。が、夫と付き合っていく中でどうやら違うらしいことに気づく。自分でもまだはっきりは分からないが、無理に自分の欲求を消して相手に合わせて行動することではなく、自分も相手も楽に生きてなお、愛情のある行動ができるのだと思う。

ジェットコースターを降りてもまだ泣いている

 夫と付き合い始めてから20年弱経った今、夫の家族の関わり方を知ったことで自分の親の接し方が異様であったことに気付きだしたし、私にも子供が産まれて育児をしていく中で、「親心」というあふれんばかりの子供への愛情が自分にも沸きあがる度に、「自分の子供時代の親達っておかしかったなぁ。」と思い返す。それでもなお「子供なんか産まなきゃ良かった。」と言われ、ただ親の感情をぶつけられるサンドバックだった高校生の頃の自分を何度も思い返してはぼろぼろと涙が出ている。当時感じ切れなかった悲しい子供心はまだ残っているようだ。あと何回その言葉を思い出せば呪いが解けるのか、noteを泣きながら更新してねちねち分解したいと思う。

 

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