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離婚/親権はパパさんに。家族の新しい形の3年目。「自分の人生を生きる」を始めた私の今。

新しい家族の形が始まって、3年目に突入。今日は、ここ数日思うことと、「自分の人生を生きる」を始めた私の今について、書いてみようと思います。

今週は、娘とパパさんの家にお泊りの1週間です。パパさんが、幕張メッセで開催中の農業資材EXPOに出展してるので、朝早くて、夜遅いのです。

時折、こんな風に泊まりで通いママをさせてもらえるので、娘との過ごし方も、通常の通いママとは違う体験ができます。

今朝は、パパさんを見送り、登校する娘に朝ごはん出して、水筒にミネラル入りのお水を作って、入れて、マンションの上から娘を見送って。

もはや、妻って感覚を味わうことはないのですけどww
娘を中心に見た、一家の『お母さん』という立場を、泊まりが続くと、より濃く体験させてもらえる。
前夫←パパさんとは、「パパ」と「ママ」という役割においてエネルギーの交流があり、連携して家族を運営できてる感覚がある。

家族と仲良くなるための離婚 3年目はどうなった?

娘との関係

私が「家族と仲良くなるために」切り出した、我が家の離婚。3年目に入った今、私は、子育ても自分のペースでできていて、娘との関係が良好なのがすごく嬉しいこと。離婚直前は、ずっとママっ子だった娘との関係も、微妙だったのです。

娘は、離婚して2年目くらいから、ときどき寂しくて泣くこともありました。でも、離婚してママが穏やかになれたことで、娘との関係も良好になったし、娘にとっても自由を確保できているというメリットもあると話します。

多くのお母さんは、「子どもに寂しい思いをさせてしまっている」とお感じかもしれませんが、(私もそういう思いも出てきますが)それは、親の内面に実は問題がある状態です。

私は、心のセラピストとして、娘の寂しくなってしまう思いに対しても、感情的に「かわいそう」と関わる代わりに、「なぜ、寂しさが出てくるのか」根本を探しに行く対話やセラピーをするようにしています。そのケアによって、娘の中にあるインナーチャイルドが癒され、寂しくなってしまう心は、変化してきています。娘へのケアや関わり方については、別記事で書いていきます。

ママがいなくて寂しくなるときもあるけど、学校生活(小5)、委員会の活動、友達との関わり、習い事・・・すべてがうまく行っていて、すごく楽しそう。

パパさん(前夫)との関係

離婚後、子育てのパートナーとしての関係性が育まれました。

それまでも、比較的育児には協力的でしたが、仕事が忙しいことを理由に、細かなことや具体的なことは私任せでした。今は、パパさんが娘と同居しているので子育てメインで頑張ってくれていて、私は通いママとして週2~3回通っています。

何より嬉しく感じられるのは、パパさんと協力・連携を密にしながら、子育てができている実感が持てることです。パパさんも初めは「娘は俺が育て上げる」くらいの意地を張っていましたが、次第に、私を頼ってくれるようになりました。パパさんが飲み会の日は、泊まりで通いママするなど、パパさんの自分時間も持ってもらいたいと思ってます。お互いを尊重し合えている実感があり、離婚する前よりも良い関係になれています。

離婚前は、パパさんも実は、私との関係性において「安らがない」と感じていたところもあったそうで、「俺も今は自由にやれるようになって、綾香ともいい関係になれて、離婚はなるべくしてなったと思っているよ。そう思えるのも、今の彼女ができたからというのもあるけどさ。」と穏やかな表情で話してくれるんですよね。また、家事をするようになり、離婚する前の私の苦労を身をもって理解できたことで「大変だったよね、ありがとう。あの頃、俺は何にもわかってなかったな」と、伝えてくれます。私も、仕事しながら家事と子育てをこなす今の姿、離婚前の家族の生活費を一人で稼いできてくれていたことなど、今ようやく心から尊敬できるようになりました。

離婚後は、パパさんの中に怒りが生まれていた時期もありました。

パパさん自身がメンタル強い人であること、時が解決してくれた部分、そして、私がパパさんの了解を得て、エネルギーヒーリングを数回行なったことも、とても効果がありました。離婚の申し出を受ける方の精神的打撃は、とても大きいと思います。

そのようなことを経て、私もパパさんも、自分の心の健全さを取り戻したことで、相手のことも思いやれるようになっれているのだと思います。

2拠点生活

私には、同棲している彼との生活、というもう一つの場所がある。こちらも、私にとっては、すごく必要な場所と存在になってて、ありがたい。
この2拠点生活は、自分の中のバランスを取るためと、個としての成長と進化にとって、必要を感じるのです。

離婚して一人暮らししたら、経済的に本気の自立した生活になったかもしれないのですが、私の場合、精神的自立を先にする必要を自分で感じていたので、自分の中の育ちきれていないところを、彼との関わりを通して、自分で自分を育て直せている気がするのです。それによって、パパさんと娘との関わり、子育て、自分を活かして仕事をすることなど、すべてが前よりレベルアップした私で取り組めています。

私自身が、生まれた家族の中で、そして社会で、健全な自己の確立、そして他者との関わりを、すんなり学んでこれなかったのが、これまでこじらせてきたことに影響していたのです。

私の場合、HSP洞察系の性質というのも影響しているし、原始反射の統合も十分にはできていなかったので、生きづらいがベースになっていました。当時は気づいていませんでしたが。気づいていないから、対処もできないというのが、ずっとこじらせてきた原因です。

ちなみに、話は反れますが、私は、自分がHSP気質があるということを盾にして生きていくことに違和感がある人なので、自分のことを「HSP気質です」とは、話さないです。でも、性質は当てはまるところがいくつもあるのは確かです。

「家族と仲良くなるための離婚」という概念

離婚し別々に住み始めて、実は私だけではなく、パパさんも娘も感じながら生活していた「不自由さ」。これを解消できて、今、みんなが活き活きしてる。

家族とゆう「形」にこだわらない選択をしてみて、うちの場合は良かったです。その不自由さは必要悪だと押し込めたり、不自由さにも気付けないほど自分を麻痺させ、そのネガティブなエネルギーを抑圧しては、家族間でぶつけ合う。そんな生活、私は続けていたくなかった。

離婚という選択をする解釈

3年前の自分が判断した、離婚の申し出は、怖さもあったけど、自分の内側から湧いてくる感覚に沿った選択でした。

その結果、今、このような状況を生むことができて、自分の感覚を信じて進んで大丈夫なんだ、ってことも確信しいました。再生の前には破壊があるのが自然の法則だけど、怖さに押しつぶされずに行動することが、決して逃避ではなく、破壊と再生に繋がるのかもしれない。

パパさんと娘の協力があってこその、家族と仲良くなるための離婚」であるので、私のこの考察は、文字面だけを読んだら、軽率で、独りよがりにも読めるかもしれないのですが、私の中では、とても大切な体験として刻まれているものです。

家族の再生のために離婚を勧めるつもりはないけれど、世間一般の目や、身内の目、「離婚」に対するイメージなどで、自分の生き方を狭めてしまうのは、もったいないように思います。

破壊にしか見えないものも、決して「失敗」や、「回避すべきもの」とは限らなくて、さらなる上を目指すための再生プロセスの手前、ということもあると思うのです。

私は、こちら側の考えの持ち主だ、というだけの話として、読んでいただけましたら幸いです。