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はじめにタイトルについて

「離婚することにしました」でも「離婚することになりました」でもなく、「離婚してみることにしました」という感覚。


離婚することになった発端はわたしの中の違和感

3年くらい前から、夫との間に違和感を自覚するようになった。最初は、その違和感が何なのかわからなかったのだけど、自分の素直な気持ちに目を背けずにいることで、少しずつ明らかになった。違和感の正体については、追々書いてみようと思います。

自分が夫との関係に違和感を感じているのさえ、自覚するのが怖かったし、その違和感の背景にどんな意志が隠れているのか知るのも怖かった。そんなことが明らかになってしまったら、自分が変化してしまうに違いない。自分が変化したら、今までのすべて(家庭や夫との関係)が壊れてしまうのではないか。わたしがすべてを破壊してしまうのではないか。そういったことが恐怖だった。

でも、自分が感じていることは自分の中の本当のことなのだ。それに耳を傾けてみる。そして、自分の中にある本当のことに寄り添いながら、自分の行動を選択する。

離婚はその末の決断だった。

離婚したいという気持ちに気づくまでに2~3年の年月を要した。その2~3年の間に2回くらい、わたしの胸の内に違和感があることなんかを思い切って夫に話した。まだこの頃は、わたしにとって離婚することが目的ではなかったし、仮にいつか夫とは離婚するとしても、数年先のことだとわたし自身も思っていた。

ここで改めて思い返すことだけれど、私は自分の内にある本心を夫と話すことがなくなっていたのだ。結婚当初や子どもが生まれる前は、本音で話せていたように思うけれど、そのころとは、悩むことや、信頼できる人にしか話せない内容というのも、私の中で変化していた。そのような話を夫には話さなくなっていた。会話がうまく成り立たなくて疲れるばかりなのを繰り返していたので、話すのをやめてしまった。


8歳の娘がいます

わたしたちには娘がいる。離婚が決まった当時、8歳。

小学校に上がるまでは、ママがいないとダメな子だった。幼稚園に上がるまでは、パパと2人でお留守番のときは、パパがなすすべがないと感じるほどに、ずっと泣いている子だった。

そんな娘が、小学2年生に上がると徐々に変わっていった。成長なのだと思う。あるとき、「ママは、週に2~3日家にいてくれればそれでいい」と言われた。

母親が8歳の娘にそう言われたら、どんな感情を抱くのだろうか、わからないけれども、わたしはショックを受けることはなく、わたしもそれは好都合と感じたのが正直なところ。

わたしは、どちらかというとお世話好きなママではなく、娘を子どもとしては扱わず、1人の人として関わり、子どもであっても「自分のことは自分でやる」が前提。そうは言っても、できないことだけは手助けするけれども。

お互いに大好き。だけど、べったりそばにいることを求めなくなった自立心が高く自由な娘と、母や妻という枠から羽ばたいて生きていってみたい、わたし。そんな母娘。

わたしは、自分の中に離婚したい意志があることがわかってきたときから、夫よりもまず娘に打ち明け相談した。

娘に何と言われようと、わたしの意志は変わることはないのだけど、普段から相談相手として頼りにしていたし、彼女を傷つけてまで離婚することは望んでいなかったから。

彼女を傷つけずに、わたしの意志を形にするにはどうしたらよいか、考えたかったからだ。

娘がわたしにどんな関わり方を求めているのか知るために、説明や質問をたくさんした。8歳の子どもにもわかるように、言葉を変えたり、いろいろな場面を想定したりして、何度も彼女の想いを確認した。

彼女の希望に寄り添いつつ、夫の考えを聞きつつ、わたしの意志を行動に表していくのを、段階を踏んで進めていった。

娘は「ママがやりたいことをやったらいいし、一緒にいたい人といたらいい」と言ってくれていた。そんな娘だったから、8歳というこのタイミングで夫に離婚の意志を告白することに踏み切ることを決意できた。


わたしの中にある離婚や家族の形のビジョン

「この離婚はわたしたち家族の挑戦だね」
夫との間で離婚が決まったあと、あるとき娘が言ったひと言だ。

わたしの中でこの離婚は、夫との縁を切るのが目的ではなかったし、縁あって家族になったこの3人とは、今後もお互いが自分らしく生きていくのを応援し、見守れる関係を育んでいきたいという願いがあった。

わたしたち夫婦は、一般的に見たら離婚を決断をするような状態ではなかったと思う(冷めきってはいたけどw)。けれど、わたしの中にある違和感を無視することができなかった。

夫が感じていた正直な気持ちに「あやかといても安らがない」というのがあったとわかった。離婚の話がほぼ決まったあとに、夫から言われた言葉だった。

夫が感じていたその”安らがない不満感”が夫からは放たれていて、わたしの中で感じていた違和感の1部としてキャッチしていたんだと思う。夫自身は、無意識に感じていたことかもしれないけれど。

離婚を切り出したのはわたしで、わたしが家庭を破壊したんだと考えることもできる。でも、わたしの中の感覚では、それぞれのよりよい人生のためになるような気がしている。このわたしの感覚、理解できないと感じる方もいると思う。

わたしにとって、この離婚は家族の新しい形を模索して、理想の形を実現することができるかという挑戦。娘が口にした【挑戦だね】という言葉から、娘も似たような感覚でいてくれるのかなと頼もしく感じられた。安心もした。

8歳にして、なんという視野の広さの持ち主なのか。


離婚後の展開は新しいパートナーとのスピード同棲

夫に離婚の意志を告白した5ヶ月後、協議離婚として離婚届を提出した。

離婚後、新しい場所での新しいパートナーと新しい生活が始まった。離婚届を出す1ヶ月半くらい前に、離婚したら同棲することが決まったのだった。これは、すごくミラクルなできごとに見えました。


新しいパートナーとの新しい暮らしは、別の記事に。

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