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洋服とわたし

昨日は、洋服の断捨離をして、10着をクローゼットから出すことにした。

わたしは自分の着たいものは自分でも作る。今では、それが人からもお願いされるようになり仕事にもなっている。

ここ最近、以前から温めていた「これからの自分が着たい服」を制作して。作ったのがワンピース2着とフレンチスリーブのブラウス。

わたしはセミオーダーでの衣類の制作を承っていて、そのもととなっているのは【わたしが着たい服】。

わたしが着たい服を自分で作り、SNSに挙げると制作の依頼をくださる方が現れるので、今度はその方の体型や好みに合わせて型紙を作り替え、生地選びをして制作する。


今回の断捨離のやり方

どうも最近、スカートはマキシ丈にしたいという思いが強くなり、作ったワンピース2着はどちらもマキシ丈。それまでのふくらはぎ丈のスカートやワンピースはちょっと合わなくなってきている気がしてきていた。

それもあってクローゼット内の断捨離に着手したわけなのだけれど、トップスとボトムスの組み合わせを考えて実際に着てみて鏡で見る。とはこれまでのやり方。それだけじゃなくて「写真を撮ってみる(自撮り)」を今回は初めてやってみた。思いついたから。

すると、目を向けるのがつらくなるような映りの写真が現れるコーディネートもあって(笑)好きで揃えたはずのわたしのワードローブたちなのだけれど、なぜこんなことが起きる?と現実を直視するのは大変つらい。

そして、「恥ずかしい」という感情を味わう。似合ってない(自分のイメージしていたものと写真に写っている自分の姿が乖離している)ことを「恥ずかしい」と感じている自分にも気づいた。家で独りでしているのだから、誰が見ているわけでもないことなのだけれど。

こんなに似合ってないだなんて・・・

この体験を通して、思ったことを書きたくてnoteを開いた。


洋服の断捨離の効果って

わたしの場合は、何か憧れのようなもの、もしくは、挑戦したい新しい自分とか、その服が似合うようなわたしに進化したいというような想いを洋服に投影して、買ったり作ったりしていたのだろうと、今回感じた。

ときには、それによって新たな自分の魅力に気づき開花したり、自分にワクワクして自己認識がアップすることもあった。

けれども、繰り返し着ても似合っていかない服もあるのだ、ということ。もしかしたら初めは似合っていたのかもしれない。似合っているような気がしていただけかもしれない。けれど、時の経過によって服と自分の差がどんどん開いていって、それでようやく「似合っていない」ということに気づかされることもあるのかもしれない。自分が進化したために、もうその服が似合わない自分になってしまったということもあるだろう。

実際、ここ3年、5年で、わたしの顔の雰囲気も、髪型も(伸ばし始めていたのだけど、最近また髪をボブに切りました)、内面も、そして外側の環境も変化していっているのだから、自分と共鳴するものが変わるのは当然のことだ。

「古くなったもの、不要になったものを断捨離することで、今の自分やこれからの自分に必要な新しいものが入ってくる」ということが断捨離の世界では言われているのも、すごく腑に落ちた。

わたしの場合、断捨離すると新しいものが入ってくるというよりは、先に新しいものが入ってくるので、いよいよ古くなったものを手放さないと、という順番であることが多いのですが。無理に断捨離の世界のパターンに自分を当てはめようとはせずに、わたしはわたしのパターンでいくことが当たり前になったのも、わたしの中の変化だ。


「手放す」のわたしの捉え方

名残り惜しい気持ち、もったいない気持ち、そのモノが含んださまざまな思い出。モノを自分のもとから無くすときに立ちはだかる感情的な関門がある。モノを手放すとはそれらの想いをも手放すことであり、それはたやすいことではないこともある。

けれど、今回わたしがしたように、鏡で見て、写真に撮ってみて「客観視」すること、他者になりきって自分を見てみることで自分がどのように見えるのかを素直に率直に感じてみること。

その時に、違和感を感じるのだとしたら、手放したり変えていくきっかけをsその愛おしいモノたちが見せてくれているんだってこと。手放したり変えていくことで、わたしにとってよりしっくりくる装いや暮らし方、さらにはより豊かさを感じられる人生に向かわせてもらえるってこと。

手放すことも変えていくことも、決して過去を失うことではないってことに気づいていたい。

過去の自分や過去の自分が選んださまざまなモノのお陰で今の自分があり、今の自分の連続がこの先の自分になっていく。手放すとは、単に手を離しただけであり、握りしめていないというだけであり、自分を構成している素材(エッセンス)の中に、本当はそれはずっとあり続ける。

わたしのところへ来てくれたモノへの感謝の心。そのモノが本当の意味で永遠に自分のものとなる瞬間。


ついでに思ったこととして

古くなっても、使うほどに味わいを増すものや、いつまでも変わらずに自分のそばに置いておけるもの、違和感が出てこないモノというのもあるなぁ。服であればダーニングしたりしてお直ししてでも着つづけていく。

モノに限らず、人との関わりも同じだなぁ。

あと、今回、断捨離していて思ったことは、わたしの中で徐々に、その洋服の本質(その洋服の持つ要素・エッセンスのこと。たとえば色味、形、トップスかボトムスか、など)から見て普遍的に自分に合うもの(調和するもの、共鳴するもの)がどんなものかが感覚でわかり、自分に合うものが絞れてきているのを感じた。

これまでは、いろんなテイストの服を着て気分や雰囲気を遊びたいというのがあって、結果、服もたくさん所持することになっていたけれど、本当に所持したい服、着たい服というのが徐々に見えてきたから絞れてきたんだな、という感覚を今回味わった。

このことについては、わたし自身が自分の本質的なところに触れるようになり、それを認知するようになり受け容れるようになったと感じているけれど、そのことが服選びや服を所有することともリンクしているのだという体験になった。

断捨離は心と関係が深いと言われる理由が何となくわかったきがする。クローゼットがすっきりしたことに加えて嬉しかったこと。


単に、家の中がすっきりするというだけではなくて、変化した自分、進化した自分を見せてもらえるので、この記事に心が反応したとしたら断捨離してみるのもいいのではないでしょうか。


あやか



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