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言葉の受け取り方が変わったことに気づいた日

つい一昨日。
ほんわかした外食の帰りの散歩中に、
一緒に住んでいる彼に、「私の憧れるところとか尊敬するところってある?」とおもむろに(笑)聞いてみたんです。
それについて、自分の中で物事の受け取り方が変わったかも!と今日気付いたので記録します。

コメント1
「自分の内側から身体もメンタルも整えようとするところ」
私は自分のことを知りたい、自分のことは自分で守りたいと思っているので何か起きた時に心の状態やなんでこう考えたのか等、とにかく内側を分析してから行動に移すところがあります。
その上でわからなかったら何でわからないのか、本などめちゃくちゃ読みます。
ハーブやアロマ、食事もその一部だし、全ては自分が幸せになるための手段としてまずは内側からという考え。
これが新鮮なようです。

コメント2
「良くも悪くも空気を読まないところ」
私は基本的には「優しい世界」で生きていたいし、生きてこれたと思っています。
とはいえ、自分もいろんな経験をしてそうとも言っていられないこともあるんだなと体感しながら、それでもやっぱり自分の生きる世界は優しい世界がいいしそれが広がればみんな幸せになれる、と本気で信じています。
何か物事が起きた時の解釈の仕方が、たとえ嫌味を言われていたり、苦しいとき、気まずい時でもその前提で会話をするので、リアリストの彼からすると空気を読んでないと思うところもあるようです。
俺が泥水の中を必死に泳いでる時に、その上をふわふわ飛んでる生き物のようだと言ってました笑
ちなみに、この考えは本当に理解してもらえそうな相手にしか言語化してきませんでした。
わかってもらえなくても、自分に対して辛い態度を取られても自分から発する言葉や態度はそれに引っ張られなければいい、と思っているから。

冒頭書いた、受け取り方の何が変わったかというと、今までは「こんなことができる」「こういう考えがいい」「見た目」「優しい」とか、判断できるところを言ってもらえると思っていて、言われなかったらそこまで喜べませんでした。

今回のコメントって、なにができるとかじゃなくて「どうあるか」「何を信じているか」についてですよね。
最初は???え。それだけ?と思いましたが、よく考えてみたらこれって私が自分に対して与えたい言葉だと気づいたんです。
何か要素があるから私は素晴らしいんだ、とかそういう世界線から離れたいと思い続けていたのにそれがなかなか自力では難しくて。

それを1番近くにいるパートナーが何の気無しに言ってくれた(代弁してくれた)のかなという気がして自分を赦せた気持ちになりました。

何でそんなことに気付いたかというと、今日仕事で色々トラブルがあり自分起因なのかわからないなと思ってむしゃくしゃしつつも自分はやっぱりダメなやつなのかもしれない、こんなんでこれから大丈夫かな、これからも周りに迷惑かけるんだろうか、と孤独感を感じていたから。
とりあえず、頭を軽くしようと書き出していたら先日のこの言葉を思い出したんです。

自分のトラブルについて開き直るつもりもなく、受け止めるべきことは事実として受け止めながら自分の心の置き場所、信念はそのままでいいんだよ、って実は今既に受け入れられる世界に自分がいたんだなと気付けた出来事でした。



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