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自分のペースで「好き」を燃やす

先日、ゆぴさんの『「好き」は「好き」のうちに燃やせ』という記事を読みました。
『推しは推せるときに推せ』という、何かしらのファンにとっては真理を表す言葉。
推しがいるときに推せということにプラスして、「好き」という気持ちがあるときに全力で「好き」でいる、そしてこの尊さを感じました。

「好き」は本当に尊い。
私にとっても「好き」は大切なものです。

私は大学生になってからオタクが加速していきました。
マンガもアニメも音楽も、昔より大好きになりました。
マンガやアニメが好きだった友人が、最近は恋愛や仕事の話ばかりしているとちょっと勝手に悲しく思ってしまう自分がいます。
もちろん、恋愛や仕事の話を否定する気持ちは全くないし、好きなことだけ考えていればそれでいいとも思ってはいません。
自分のことも大事にいたわることも大切だと最近は思っています。
ただ、自分の「好き」が相手にとっては全く「好き」の範疇にないときがざらにあります。
「好き」で繋がっていない友人の方が圧倒的に多いので、そういう友人と基本的な会話を自然にすることは自分にとってはちょっと難しいと感じることがあります。
一般人に擬態しようと試みようと思ったこともありましたが、「好き」に一般的なものに当てはめることは難しかったです。
(結局、擬態はやめました笑 人を困らせない程度に自然に生きる!)

大学生に加速させたオタクは社会人になってからも変わらずなので、「好き」がなくなってしまうことに対して、私は生きていけるのか不安になるぐらいの恐怖を覚えます。

「好き」という気持ちは本当に尊い!

ゆぴさんが何が原因で興味がなくなってしまったのか、ハッキリとされていませんが、私の場合はどうなると興味がなくなりそうなのかなんとなく把握しています。
というか、「好き」でいることが辛くなることを経験したからです。

「好き」って自分のエネルギーになるけど、同時に、「好きでいること」は思った以上にエネルギーのいることだと思います。
エネルギーがいるのになぜそんなに推せるのかといったら、「好き」と思えばエネルギーがわいてきてしまうから。
上手くいっているときはそこでエネルギーが循環し続ける
オタクが生きられるのはそこの循環が生命維持に影響を与えているからで、そこに支えられているからだと考えています。

では、このエネルギーの循環が上手くいかなくなるのはどんなときか。
私が思うに、エネルギーに対して「しんどい」と拒否反応が出てしまうときです。
メンタルがついていかなくなっているときです。

元気がないときに「好き」を摂取して元気になるのでは?と思いますが、元気がなくなりすぎると「好き」を摂取するのもしんどくなってしまうのです。

その状態になったとき、私の心の内はパニックに陥ります。
好きなことの情報を追いたい、でも追いすぎるとしんどくなってしまう。
でも、今、追わないと乗り遅れてしまう。でも、しんどい。
好きでいたい気持ちと好きから離れたい気持ちが同時に現われてしまいます。

メンタルが弱っていなくても、好きで居続ける=エネルギーを燃やし続けると燃え尽きてしまうこともあります。

例えば自分の好きなマンガ。
マンガは店舗によって特典がつくことがあります。
しかもその特典が店舗ごとに異なることが多いです。
今では電子書店ごとでも異なることもあります。
特典の内容は様々ですが、小ネタ集的なファンの大好物であることが多いです。
好きな作品であればあるほど全部欲しい!と思ってしまうのです・・・。

CDとかも店舗ごとの特典や、曲は同じだけど、ジャケットが違うとかで何パターンも出ることがありますよね。

この収集を何も考えずに没頭できたら大丈夫なんですが、いきなり冷静になったり、心の中で勝手にマウントをとりだすとダメ。
オタクでいるときって、良い意味で冷静じゃないです。
冷静じゃないからこそ楽しめると思っています。
そして、他人と比較するものでもない。
自分の弱い部分として、勝手に他人と比較してしまうことがあります。
自分の好きなことに対しても比較し出すようなメンタルは相当やられているときだなと思っています。

他人と比較し始めてしまったのは、世界が変わって都会と地方の格差を改めて顕著に感じるようになったからだと思います。
エンタメのアクセスのしやすさは新たな方法が出てきて、都会と地方で変わらなくなった面もあります。(オンラインイベントとか!)
しかし、リアルとなるとやっぱり都会で始まり、都会に集まる。
地方民でも移動手段の発達でアクセスは可能なものの、今ははばかられる世界に変わってしまいました。
行きたい!と思う気持ちと行ける財力と時間だけでは行動できなくなってしまいました。
地方民は特に感じているし考えてしまうと思います。

以前と変わってしまった世界で、以前と同じように「好き」を燃やし続けることは難しくなりました。

そこで思ったのは、「好きを好きで居続けるために、好きを燃やしすぎない、ほどほどに燃やす」ということです。
以前と同じ「好き」の燃やし方では、心がモヤッとしてしまいます。
ならば、燃やしすぎて嫌いにならないように、自分のペースで好きを燃やそうぜということ。

そもそも「好き」って人のためではないですよね。
本質的に自分のため!
ならば自分のペースで、自分の火力で「好き」を燃やすことは当たり前のことなのではと思いました。

いろんな人がいて、その人それぞれに「好き」があるから、全く同じ人って珍しい。
自分が知らないことでも、その人の「好き」を楽しそうに話してくれたら、私も楽しいし、そういう話が大好きです!
いろんな人の「好き」が混在しているこの世界でもっと皆が気持ちよく生きられたら!と思います!!!



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