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亡き友人を偲んで

本日11月2日は私ナカジ。の誕生日です。
無事にまたひとつ歳を取る事ができました。
(いくつになったんや?という質問は受付とらんで!笑)

でも今年は特に重く受け止めています。
と、いうのもつい数日前にいつも一緒に青春を共にしていた大切なかけがえのない友人がこの世を去りました。
あまりにも突然の訃報で、今もどこか信じたくない自分がいます。

ここで全て綴る事は不可能なくらい、多くの思い出がある友人S。
今回は友人「S」についての思い出を綴るとともに、自分の中でSへの気持ちをしっかり振り返る時間に充てようと思い、改めてブログに触れてみました。
音楽とは全く関係のないお話になりますが、私の音楽活動を応援してくれていたSは多方面でも私に影響をもたらした人物です。

最後まで目を通してくれたら嬉しいです。

<事の経緯>

仕事が終わっておうちでリラックスしていたとある10月の日曜日。
突然高校時代の旧友からLINEが。
内容は『友人Sが亡くなった』との知らせ。

あまりにも突然すぎて、「???」しか思い浮かびませんでした。

<友人について>

友人Sとは、高校で知り合いました。
高校3年間同じクラスで、部活動も一緒の吹奏楽部。Sはトランペットを演奏していました。
高校時代は、Sがいつも身近にいました。
Sはいつも笑顔が絶えず、一緒にいてくだらない事でも何でもネタに出来て爆笑しあえるほどいるだけでその場が明るくなる、天真爛漫・明朗快活な人柄でした。
その人柄で、交友関係も広く社交的な友人Sは私の目標でもありました。

卒業しても交流は続き、POPS/ROCKにすごく詳しいSについていき、ライブに一緒に足を運んだり度々会っていました。
私自身現在classicジャンルからROCKジャンルへ演奏の裾野を広げる活動を始めたきっかけも、友人Sの影響が大きかったのです。

たまに地元の群馬県に帰省したときは、一緒に中之条まで行って陶芸もしたりしました。

そして、今から3〜4年前でしょうか。
Sから結婚の報告があり、私は結婚式で友人代表のスピーチを担いました。
その時私がどんなスピーチをしたか内容は忘れてしまいましたが、晴れの舞台に私を選んでくれたこと、すっごく嬉しかったのを覚えています。
そして今年1月、Sから娘が産まれたよ!と幸せのLINEが届きました。

「おめでとう!まずは出産お疲れ様!出産のお祝い送りたいから、引越し落ち着いたら住所教えて♪」なんてLINEのやりとりを行っていました。
Sは来年2024年1月から産休明けで職場に復帰する予定でした。

ママとしてもこれからという時でした。

<残る後悔>

訃報を聞いてからずっと後悔しています。
出産祝い、なんで「落ち着いてから〜・・」なんて呑気に後回しにしちゃっていたんだろう。
なんで「今度・また・落ち着いたら・仕事の状況を見て」などの社交辞令を当たり前のように使っていたんだろう。
Sは私からしたらとっても元気で健康で快活な印象しかなかった。
まだうちらは若いし、少々月日が経っても会おうと思えば会える。
どこかでそう思って後回しにしてしまっていたんです。

でも実際会える確証なんてなかったんです。
もう会えないんです。

私のこと「なかちゃーん!!」てくったくのない笑顔で呼んでいたSの声がもう聞けないんです。

<最期のお別れに>

Sの告別式に合わせて帰省をし、最期のお別れをしてきました。
どこかで私の勘違いであってほしい。そう思ってはいたけど、葬儀で現実と向き合わなくてはならないことに。
まだ1歳にも満たない我が子を残して逝くこと。Sも相当悔いが残ったに違いありません。
生前の笑顔溢れるSの写真。Sは誰にも分け隔てなくあのくったくのない笑顔で和ませてくれました。

最期くらい笑顔を!と思って務めて参列しましたが、お焼香の時にこれで最期なんだ、、という実感がこみ上げてしまい、やはり涙を流さずにはいられませんでした。

<人の命は儚い>


持病がないから、まだ若いから大丈夫!なんて保証はどこにもないんだと自覚しました。
そして1日1日はすっごく尊いということも。

会いたい時に会っておく!やりたいと思った時に行動を起こしておく!
言うのは簡単ですが、果たしてどれぐらいの人が実行できているのでしょうか?

私も明日どうなるかなんて分かりません。

今はまだSの死を受け止めるまでに時間がかかりそうですが、Sのことは絶対に私がいつかそっちに逝くまで私の記憶の中で生き続けることでしょう。

そして音楽が大好きだったSを想いながら私はこれからも舞台に立ち続けます。

とりとめのないお話になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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