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半袖寒いホットコーヒー美味しい

今日は明らさまに季節がスライドした気配が直撃だったので「今だ!」とPolarisを聴きながら長距離歩行することにした。Polarisしか立ち入れない空気と情緒のスポットがあり、いつも今日のように聴かざるを得ないタイミングが急に訪れるので、存在自体が金木犀と同属性(季節が巡る上で無視できない宿命課題のよう)と思って今年が多分10年目くらいだと思われる。駄目になりかけている野菜を大量消費、簡単に衣替え、1000年ぶりのマスカラ。昨日前職の同僚が履いていた可愛いサボのことを唐突に思い出し「あのサボは可愛かった」とメールしたところ商品URLをくれたので、季節も変わったことだし新しい靴として初めてサボという形状に足を突っ込んでみるのは良いのではないかと思った。
コロナになってから人のことをヒトと片仮名で書いているのを見るようになった。ヒトからヒトに感染する。季節を察知する瞬間や、場所を運営する仕事をしている時に、人は人というよりは確かにヒトで、光や音や匂いに寄ってくる虫のような、本当に単発短絡刹那的な側面があるなと感じる。自分自身も季節の変わり目は分かりやすく単細胞化する。その心地上においては本当は夢の島の植物園に行きたいと思ったけれど今日は定休日で、ロンTでコンバースを履いてイヤホンを突っ込むといつまでも歩けると確信。最寄駅が一切ないエリアで知り合いとすれ違い笑う。見上げる高さの百日紅を3本ほど見かける。
若干のヒールにも不慣れな自分がぽっくりぽっくり歩く姿を想像しながら靴屋に到着。目的のサボを履いて小さいお店を1周しただけで店員さんに「最近寝不足ですか?」「運動をやっていましたか?」と言われてドキドキ。占い師のようだ。「寝不足ではないですが電気をつけっぱなしでよく気絶しています」「学生の時にハンドボールをしていました(キーパーだが)」。西洋人と東洋人は歩行する際の重心の位置が違う/つま先が緊張していると筆圧も強くなりメンタルも緊張しやすくなる/靴下は踵に合わせた方が良い等々、歩行に纏わる豆知識シャワーを浴び、やっぱりインターネットで買わなくて良かったと思った。私の筆圧は強い。
そのままぽっくり店を出て、岡田パイセンと音楽ライター鳴田さんのジャニーズ論をラジオ的に聞きながら、化粧品が多数陳列されている建物に突入。全テスターの前にビニールが垂れ下がっており、テスターを使いたい場合は店員さんに声をかけなければならない。無言でジャニーズ論に戻り、ずっとインスタでガン見していたスニーカーを購入。家から履いたコンバースと途中で履き替えたサボと新スニーカーを所持しながら(靴靴靴)引き続きジャニーズ論。ドラックストアでリップ購入。今日は消費の日。
このあたりから完全に気分が中東、そのまま電車に少し乗って直ぐ降り、フムスを求める。香港やベルリンのように日本でもラフにフムスを販売してほしい。ファラフェルも。目当ての中東屋がシャッターで残念。ハイボールを買って、少し先にあるハラールショップに初めてIN。缶詰のフムスを発見。ズッキーニをクミンで焼く。
」ここまでが今日の日記。

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春先から私はほとんどここに居るのでMoment Joonばりに是非いつでもいらしてください。ご案内します。

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情緒の曲線を観察するのが好きなのに最近はそんな余裕もなく蛍光灯が爛々と光る(消し忘れた)部屋で眠り続けていて(脚が攣る攣る)最近この辺りは亜熱帯地域に入ったという説もあるし、花見や花火などの儀式行事で季節なるものを強制的に得ていたのだなと痛感するほどに今年は例年に比べてかなりマットでフラットでぶよぶよと間延びした感じがあるものだから(メカ送風によって上半身がフカフカに膨れている工事作業員さんについてのみ今年たくさん見たので今年の夏のイメージとして記憶される見込み)これは色々区切り甲斐があるなと思っていた矢先のPolaris日和、ありがとう。今日のような1日(生活基盤を整えたり身体へ治癒を施す以外で時間を使う)はかなり久しぶりだった。夏の間に部屋の植物たちは全滅した。
ライブハウスにもしばらく行っていないし(外に開いたままで内向的にスケルトン濾過できる俯瞰⇄超個!の行き来手段がまだ他に見つからない)本や映画もネトフリも美術館も漫画も全然・本当に全くインプットしておらず、Apple Musicでもカラオケで歌いたい・つまりすでに知っている曲を繰り返し聴くマンと化しており(今はとにかく焼け野が原を歌いたい)このままでは感性らしきものが死滅するのではと思いつつ、かつて大学生の頃は特に逆に感性らしきものを見つけないと死ぬと思いながらそれらを必死に過剰摂取していた感じがある。何を見ても咀嚼し感想を抱かねばならないと思っていた。どちらが消費的か?
普段から絶頂〜地底的な範囲のあらゆることが起き得るし(窓が大量にあればあるだけ面白い)ストレンジャーシングスのように目前のものにはそのまま反転した裏があるという想像をするのが癖になっていて、その範囲や種類をもっと拡張したい・驚き続けていたいと思っているとすると、日々の過ごし方も情緒の均し方も変わってきていて、それが一体どうなっていくのか観察している感じが最近はある。例えばこれまで共感心理が前提としてある(ないと存在不可の)場所に居続けてきたのだな、ということは、共感心理が全く通用しないシーンで痛感するし、その中でも縁的な磁場にはまた邂逅するから(これに関してはいちいち驚かなくなってきた)そちらベクトルの確信は前進した。振り返ることや懐古にうっとりする属性として、振り返る暇がないというのは斬新で、稼働と成果の構図というべきか、考え事や仕事や出来事における引力構造を変えたいなと思うようになった。
新しいことを思い始めると反動で脳内が散漫になり、1月に短歌をなぜか50句書いたこと、自らの口語は向井秀徳とkemioの影響が強いであろうこと、高校のとき無根拠に強くなりたいと思っていたこと、防災放送、変拍子でしか解消できなかった視野など生きている年数分びっちり、今後こういった散漫たちが永遠に増えるのかなと思いつつも、それらを堰きとめるか置き場所を作ってあげるか何かして、冴えていられるようにしたいなと思う。

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