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SNSに溢れる他人の意見との付き合い方

ここ最近ずっと“他者が言う意見”についてモヤモヤしている気がする。
けれど何でモヤモヤしているのかよくわからない。
自分でも曖昧なのが余計にモヤモヤするから言語化しようと思う。


私はもともと議論や話し合いをすることが好きだった、はず。
自分の意見を説得力のある根拠とともに伝わるように伝えて
思い通りに伝わるのも、
(性格がよろしくないが)相手を納得させることができた優越感も、
他者の意見で気づきを得られて自分の考えが広がる感覚も、
好きだったはずなのに。


ストレスの原因。

それはSNSのコメント欄。
それも、自分発信のものではなく他者発信のSNSの。
自分の考えを広げられるから全て遡ってしまうほどに好んで見ていたはずの
コメント欄なのに、今となってはストレスになっているような気がする。
(ちなみに自身は自分発信のものに頂いたコメントへの返信以外で他者のSNSにコメントしたことはない)


特に嫌なのは
・批判と誹謗中傷の区別がついていないコメントをされているとき
・自分と反対の意見が書かれているとき


批判と誹謗中傷。

最近は誹謗中傷が何かと話題になり、中には訴えられる人もいるが
その線引きが難しい。


ざっくりした感覚で
批判:対象への反対意見、(根拠があって)低い評価をつける
誹謗中傷:純粋な悪口やマイナスな発言で対象を傷つける
ことだと考えているがこれが正しい基準なのかすら私自身も自信を持てない。


こんなことが言いたいわけじゃないな、もっと感覚的なことで、
ただみんなが“受け取る人の傷を最小限にする”ことに全力になればいいだけなんだと思うんだ。


自分が発信したことに対してマイナスの意見を言われることは
たとえ自分が正しいと思っていたことでも自分を否定されたように感じることもある。
その一方で生きる中でたくさんのアドバイスや教えを受けて成長してきたように
自分とは違う批判的な言葉をもらうことはさらに自分の視野を広げる上で重要なこともよくわかっているつもり。


だからコメントをしない方がいい、と言いたいわけなじゃない。
人に干渉しすぎなくてもいいんじゃない、と言いたいのだ。


SNSはきっと誰かと何かを共有したくて始める人が多いと思うから。
発信者が伝えたいことだけ汲み取って
言いたいのならそこに純粋な感想を伝えたらいい。
動画の可愛い赤ちゃんに癒されたのなら
その気持ちだけお伝えして家庭環境にまで口を出す必要はない。
見えているものが全てではないから。見えていないだけかもしれないから。


少々過激発言かもしれないが、
少しでも誰かが傷つくコメントは“おせっかい”だと私は捉えている。


noteで初めてコメントをいただいた時はとてつもなく嬉しかった。こんな私の経験や考えにも反応して温かい言葉をくださる方がいることに救われた。
わざわざ時間を割いて気持ちを伝えてくださるなんて優しいなと思う。


そんな優しさだけ交換して、浅く緩やかに交流を楽しめばいいのに。
なぜ相手を傷つけてまで深入りして意見を主張するのだろうか。


アンチ反対意見。

これは自分が悪い。推しや自分の価値観を否定されたように感じた時に嫌なだけ。ただのわがまま自己中女である。
いつも嫌なわけじゃなく特定の好きなもの否定が嫌なだけ。
これは嫌な理由が明確で主観的で分かりやすい。

推しのビジュが良くないだとか、これしてる人は一生貧乏だとか
「うるせ〜〜〜〜!!」(て誰もがなっていると信じたい)


ここは、自分の器が小さいだけです。
私こそコメントはしないものの他人の好みや思考に干渉しすぎです。はい。
切実に「それってあなたの感想ですよね」マインドを身に付けたい。
心に留めておくとモヤつくのでそういう意見を目にした時はコメントに向かって推しの良さを語り尽くし、価値観を徹底的に口で説明して、
1人で論破してスッキリすることとします笑


モヤつくくせに見てしまう。

「見なければいいじゃないか」と言われればそれまでだし、
まんまこの文言で言い合いをしている場面にも遭遇するけれど、見たい気持ちがあるのも正直なところなのが難しいところである。


見たい理由としては、やはり
“他の人が対象物にどんな考えや感情を抱くのか知りたい“というのが大きい。
きちんと根拠があって「なるほどな」と思わせてくれる意見には学ぶことが多くて「この視点に出会えて良かった」と思うのだ。


また、“同じ意見を持っている人がいて嬉しい“もコメント欄を覗く理由である。例えば、好きなアイドルグループのMVに、
「〇〇(推し)のビジュが最高」なんてベタ褒めコメントがつけられていれば
全力で「わかる!!!!!」と首がもげる程に頷いてしまう。
推してるのが、その良さがわかっているのが、自分だけじゃないんだって嬉しくなる。


自分が“気づきを得ること”や“共感”を大事にしているからこそ
見たくなるんだろうな。


策を練る。

今回は自分の経験談(事実)ではなく意見(考え)を世に発信する内容なので
かなり主観的でいかにも“本音”って感じがする。
感情を外に出すことにちょっと怖さがある。


見たいけど見たくないコメント欄、ずっとなんでなのか考えているだけだったけど、言語化してラクになった。


SNSという1本の細い線のようなレベルの繋がりの場面で
親戚のような関わり方をしている人に対して、「干渉しすぎだよ…」と思うから
距離感おかしいでしょって言いたくなって疲れるんだ。(※主観)

まだ自分は世に自分の意見(コメント)を残して相手を傷つけないか自信が持てないので、これからもきっとコメントはしないけれど
その気持ちを心に閉じ込めると苦しくなってしまうから
“ひろゆきさんマインド“と“1人で言い返す“でモヤモヤを取り除いていこう。


コメントについて散々書きましたが、noteは気になった方が見てくれていいと思ってくださったら反応があるのでそこでどう受け取ってくださったかを知れて、とても平和で気楽に吐き出せるし繋がれる良いところだなと思っています。見てくださった方、私はマイペースにこのツールを使いますので皆様もどうかご気軽に。建設的な話し合いは好きだし自分のnoteの読者・筆者の方のご意見はいただけること自体がありがたいのでもし何かあれば(不快だ!などだったとしても)いつでもご意見ください。



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